第9話 サーベルキメラの正体 後編

 夜が明けた頃、湖の畔の近くで丸くなり眠っていたノワールが目を覚ました。

 瞼とパチパチと閉じても景色は変わらず、四つん這いの怪物の身体を起こし、小池に映る自分の姿を覗き込む。


 そこに映し出されたのは、昨日と同じ鴉の羽を生やした肉食怪物の姿。悪夢ではないことを突き付けられたノワールの耳に鳥が羽ばたく音が届く。


『エモノダ』

 そんな言葉が頭に響いた瞬間、無意識に羽ばたく羽と共に四足歩行の怪物の体が宙に浮く。

 やがて、目の前で飛ぶ数十匹の茶色い野鳥の姿が瞳に映ると、鋭い牙が光った。

 その直後、天を駆けるように動くノワールが、大口を開けて野鳥に噛みついた。


 生肉を食いちぎり、消化できない骨を吐き出すノワールの目には、逃げようとする野鳥の姿が次々に映っていく。


 ノワールは本能のままに、逃げていく野鳥を追いかけ、次々に喰い尽くしていった。

 

 鋭い牙は血の色に染まり、怪物の周囲に野鳥の残骸が散らばる。

 もしもこれが人間だったらと思うと、意思を取り戻したノワールはゾっとして身を震わせた。そんな時、不意に婚約者のアニーの姿がノワールの頭に思い浮かぶ。


 アニーに会いたい。そう思ったその時、ノワールは婚約者の声を聴く。

『ノワール? 私も会いたいです』


 幻聴の可能性もありえるが、ノワールの中である仮設が生まれた。人物の顔を頭に思い浮かべたら、その者とテレパシーで会話することができる。


 しかし、この能力には矛盾がある。初めてこの姿で村に帰った時、自分を退治しようとした青年たちは全員、ノワールが近くにいるのではないかと錯覚していた。あの時、ノワール自身は青年たちの姿を思い浮かべていない。あの場にいた全員が見えないノワールの姿を探していた。


 矛盾点を感じているノワールは、アニーに会いたいという気持ちを抑えることができない。

『今、森の湖の傍にいるから、来てくれないか? いつも俺たちが薬草を積んでいる所だ』


 ノワール・ロウはアニーに声を送る。すると、すぐに会いに行くという趣旨の返信が届いた。

 会いに来たら、この姿になったことを打ち明ける。そう誓いながら待っていると、婚約者が木々の隙間からひょこっと顔を出した。


「ノワール。どこ?」

 周囲を見渡しながらここにいるはずの婚約者の姿をアニーが探す。そんな時、彼女の目にサーベルキメラの姿が飛び込んできた。


 周囲には布切れになった衣服と槌、野鳥の骨が散らばり、目の前にいる怪物の牙は血の色に染まっている。


 そのことの意味に気が付いたアニーの顔が青ざめていった。

「ああああああ」

 言葉を失い、絶望に突き落とされた彼女が怯えながら、その場から逃げていく。

 

 一方で、何とかして自分の異変を告白したい。そう思ったノワールは一歩を踏み出した。すると、今度は『ヒトヲクイタイ』という言葉が頭に浮かぶ。

 それに対して、『イヤダ』とノワールは心の中で首を横に振った。


 このままでは、目の前で涙を浮かべる大切な人を喰ってしまう。

 ノワールは怪物としての本能を押さえつけながらアニーを追いかけた。


 追跡劇は村まで続き、アニーは見知らぬ二人に助けを求める。その内の一人が、今ノワールの目の前にいる銀髪の幼女だった。



 一通りの顛末を聞いたアルケミナは分析を始める。

「なるほど。ノワールは自分の絶対的能力に矛盾を感じているようだけど、それは矛盾ではない。ノワールの絶対的能力は、自分の周囲にいる人に自分の声を聞かせるもの。それを意識せずにやったってことは常時型で間違いない。一方で特定の人物を頭に思い浮かべるだけでその者と会話することができる任意型の能力も併せ持つ。研究のやりがいがある能力。私も同じように研究しがいのある能力の方が良かった」


 一般的な絶対的能力では説明できないケースを前にして、アルケミナは自身の研究者魂に火を付けた。一方でノワールは目の前にいる幼女の言動を疑問に感じた。

『お前も絶対的能力者か? 絶対的能力に任意型と常時型という分類があるなんて知らなかったが、なんでお前はそんなことを知っているんだ?』

 当然の疑問にアルケミナは淡々と答える。

「……最初の疑問については、そうと認める。次の疑問は詮索しないでほしい。そんなことより、これからどうする?」

 アルケミナの問いかけにノワールは強い決意と恐怖を瞳に宿す。


『俺はサーベルキメラの能力を使ってこの村を守りたいけど、怖いんだ。今は大丈夫だが、いずれ怪物としての本能が覚醒するかもしれない。そうなったら、敵味方問わず人間を襲い始めるだろう。それだけはイヤだ!』

「一つだけ方法がある。この村の住人の使い魔になればいい。そうしたら、最悪なケースを避けることができる」

『だが、それができるのは、高位錬金術師だけと聞くが……』

「心配しなくていい。その手の術式なら一晩もあれば余裕。明日までに誰を主人にするのか考えて」

『……ああ、分かった』と伝えた次の瞬間、ノワールは暗闇に覆われた森林の中に消えた。



 村役場の村長室に備え付けられた電話の受話器をトーマス・ダウが掴む。気を落ち着かせるために先程スイッチを入れたラジオからは、今の彼の焦る気持ちを見透かしているような音楽が流れていた。


 このままサーベルキメラを野放しにしておけば、村に被害が広がり、最悪誰かが命を落とす。それだけはどうしても避けなければならない。

 

 村長は藁に縋る思いで、怪物を狩る者に連絡を試みるため、村長は受話器を握った。

「こちら、クエスト受付センターのノアです」

 受話器から若い女の声が聞こえ、村長は焦る気持ちを落ち着かせるため、深呼吸する。

「村長のトーマス・ダウだ。村の森の中に外来種のサーベルキメラが一匹現れた。駆除してくれ。報酬は五十万ウロボロスと村で栽培している薬草百グラムで頼む」

「了解いたしました。依頼書作成前に本人確認を行います。登録されている座標に石板を転送しますので、そちらに触れてください。電話はお切りにならないでください」

 マニュアル通りなメッセージの後、机の上に魔法陣が浮かび上がり、そこから手のひらサイズの石板が現れた。正方形で灰色のそれには文字すら記されていない。

 机の上にあるそれに右手を乗せると、石板は青白く輝き始めた。


「掌紋照合の結果、本人確認ができました。クエスト依頼は即日受理いたしますが、今回の場合、緊急性が高いと判断されます。そこで、天使の塔を中心に半径十キロメートルの中に滞在しているギルド登録者の方からクエストをクリアできる猛者を検索し、センターから直接クエストを紹介するつもりです。その場合、オプションの緊急クエスト登録料の五百万ウロボロスが必要になりますが、いかがしましょうか?」


「ああ、ノアさん。助かるよ」

「それでは、依頼料二百万と契約金百五十万。さらに、緊急クエスト登録料の五百万を振り込んでください。依頼料の中にはクエスト達成者に支払う五十万も含まれているので、支払う金額は、合計七百五十万ウロボロスになります。また、契約金はクエストをキャンセルした場合、払い戻されませんので、ご注意ください」

「分かった。いますぐ支払おう」

「ありがとうございます。それでは、目の前の石板をご覧ください。文字が浮かび上がっているでしょう?」

 電話の主の指示に従い、村長は机の上に置かれた灰色の石板に視線を向けた。これまで無地だった石板に文字が浮かび上がっていることに気が付いた村長は、首を縦に振る。

「ああ、契約書だな?」

「はい。そちらの契約書が破損及び消失した場合もキャンセル扱いになりますので、サーベルキメラ討伐クエストが達成されるまで大切に保管してください。それでは、緊急クエストに御参加いただけるギルドが名乗りを上げましたら、またご連絡します。失礼いたします」

 電話が切れ、滞りなくクエスト依頼が終わった村長は、ホッとしたような表情を浮かべた。

 丁度その時、ラジオはニュースを伝えていた。

『アルケア政府関係者を狙ったテロ事件から明日で四年が経過します』

 



 クエスト受理から五分が経過した頃、黒いローブで小太りの体型を隠した金髪リーゼントの男、ハント・フレイムは目を丸くした。その間に彼が両手で握っていた30センチ程度の正方形石板に文字が記されていく。

「ブライアン兄さん!」と声をかけながら、顔を上げると、近くにいた黒いローブを着ている長身の金髪スポーツ刈りの男が、空に矢を放とうとしている。

 咥えた煙草と矢の先端から白く細い煙を漂わせた狙撃手は、「はぁ」と息を吐き、絃を弾き、鋭い矢を放つ。

 薄暗い空を物凄い速さで飛ぶ紅蓮ぐれん怪鳥かいちょうの右翼に突き刺さった矢を中心にオレンジ色の炎が広がり、怪鳥の体を包み込んでいく。

 炎が全身に及んだ怪鳥は真っ黒になり、地上に激突した。それを見て、ハントは思わず口笛を吹く。

「ブライアン兄さん、スゴイぜ。あの怪鳥、確かサーベルキメラと同じ速さじゃかなったか?」

「そうだぜ。とっとと紅蓮の怪鳥の羽を採取して、クエストクリアといくか!」

 目の前で気絶している怪鳥に近づいたブライアンが羽を数枚抜き取り、右手で握った。

 自信満々に胸を張る兄、ブライアンに対して、ハントは喜びながら両手を合わせた。

「ブライアン兄さん。さっきクエスト受付センターから連絡が来たぜ。何でも天使の塔に突然現れたサーベルキメラを駆除してほしいって話で、村長が依頼人だ」

「俺たち、炎天兄弟にとって簡単な依頼だな。今から塔を昇り、とっとと害獣を駆除しよう」


 偶然、天使の塔の近くまで来ていた二人の狩人兄弟が、害獣を駆除するために動き始める。

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