第6話 サーベルキメラ騒動
その村は塔の内部にあるのにも関わらず、森林で覆われていた。人口三百人の小さな村。天まで伸びているように感じるほど高い塔の最上階に存在している村。それがシャインビレッジ。
この村を訪れる人々は少ない。一億段もの螺旋階段を昇らなければ辿り着けない。おまけに観光地もない。その昔、錬金術師が、魔獣を撃退するために光る大木を創造したという伝説しか残されていない。
コアな錬金術オタク。
この村に生息する浄化作用がある草花を摘みに来た人。
村で栽培している食物を下界に売る商人。
シャインビレッジを訪れる人々の九割がこの三つのどれかに当てはまる。
アルケミナはクルスの背中から飛び降り、雑草の生い茂る村の地面に足を踏み出した。
「田舎。錬金術伝説がなかったら訪れなかった」
初めて村を訪れたアルケミナの第一声は悪口。そのことに対して、クルスは怒りを覚える。
「先生。この村の悪口を言いましたよね? その悪口が村民たちに聞こえたら、大変なことになります」
「アルケアで一番無名な村。これがこの村のキャッチコピー。この自虐的な公式キャッチコピーがあるから、この村での自虐ネタは最高の褒め言葉。因みに先ほどの発言は、一昨年シャインビレッジ観光協会が考えたキャッチコピー」
『そんなマニアックなこと知るか!』という言葉を飲み込み、クルスはアルケミナに言葉を返す。
「そうなんですか? それにしても見渡すところ木しかありませんね」
見渡す限りどこまでも続きそうな森林が続く。その数は、ここが古塔の頂上であることを忘れる程。アルケミナは前方と指さし、クルスの顔を見る。
「村民たちは、この森を抜けた先に住んでいる」
「まだ歩くのですか?」
クルスは愚痴を呟きながら、森林を歩く。クルスの右隣りには、自分の足で歩くアルケミナの姿があった。
五分ほど歩くと、数棟の小屋が見えてくる。小屋だけではなく、商店や畑もある。森林で覆われているこの場所がシャインビレッジ。
村では数人の小さな子供たちが楽しそうに鬼ごっこをしている。その子供たちがアルケミナたちの前を通り過ぎていく。
村民たちが暮らす小屋の前で母親たちは洗濯物を干している。一方男たちは汗を流しながら農業をしていた。
そんな村民たちは、毎日を楽しく暮らしている。平和な村であると二人は思った。
クルスが宿を探すために村の情景を見渡すと、一人の少女が二人を追い越した。腰の高さに届くほど伸びた後ろ髪は黒く、身長はクルスと同じ。おそらくこの村で一番の美人ではないかとクルスは思った。
このかわいらしい童顔な容姿の少女は、何かから逃げている。
「誰か助けて!」
少女が助けを求めるため、叫びながら村を走った。それと同時に風が吹き、少女の前に一匹のキメラが姿を見せる。それは、サーベルタイガーの体にカラスの羽が生えた生き物だった。
「このキメラ……」
アルケミナはキメラを観察し、違和感を覚えた。一方クルスはキメラから逃げる少女の前に立つ。まるで彼女を暴漢から守るかのように。
それから、後方に視線を向けたクルスは、背後に立つ少女の方をチラリと見た。
「あなたは逃げてください。ここは僕が食い止めますから」
勇敢な声を聴いた少女は、首を縦に振り、無言のままでその場から立ち去っていく。そうして、アルケミナと二人きりになったクルスは、周囲を見渡した。
突如現れたキメラが
キメラの右の瞳に、『EMETH』という文字が刻み込まれている。そのことを把握したアルケミナは右隣にいた助手の顔を見上げた。
「気を付けて。そのキメラは能力者。多分、システムの不具合でキメラ化したんだと思う。その証拠はキメラの右眼に刻まれた文字。そのキメラはアルケアに生息しない外来種。世界最大のスピードを誇るサーベルキメラ」
アルケミナの話を聞き、クルスは息を飲みこみ首を縦に振った。
「分かりました。あのキメラの暴走を止めることができるのは、僕たちだけのようです。ところで、あのキメラの絶対的能力は咆哮で竜巻を発生させるというものなんでしょうか?」
その質問に対して、アルケミナは首を横に振り否定した。
「違う。あの咆哮はサーベルキメラ特有の能力」
「サーベルキメラと同じ能力。それにEMETHシステムで付加された絶対的能力。この二つが同時に使えるということですか。かなり強いですよね?」
クルスが如何にも強そうなサーベルキメラの顔付きを見つめる。しかし、アルケミナは、安心していて、幼い手でクルスの背中に触れる。
「それに錬金術が使えたら最強だけど、キメラは錬金術を使えない。私がクルスをサポートすれば、勝てる」
「僕の能力は計算外ですよね。まだ僕は能力を一度も使っていないのですから……」
それは大きな賭けであるが、それでもアルケミナは考えを変えない。
「大丈夫。絶対的能力は人類を超越したもの。どんな能力だとしても、問題ない」
「分かりました。サポートしてください」
クルスとサーベルキメラは互いの間合いを維持してから臨戦態勢に入る。
『……使えない』
不意にクルスの頭に男の声が届いた。どこかから声が聞こえて来たわけではない謎の声は、脳に直接届く。
『錬金術を使えない!』
謎の声がクルスの頭に響いた瞬間、問題のサーベルキメラはカラスの羽を上下に動かし、天空を舞い始めた。
「空を飛ぶこともできるのですか?」
思わぬ光景にクルスは呆気を取られたが、アルケミナは表情一つ変えず、右手薬指を立て、空気を叩く。
「通常のサーベルキメラにも飛行能力がある。あの羽は飾りじゃない。でも大丈夫。私がサポートするから」
そうして、アルケミナの右手に召喚された茶色い槌が収まると、空を旋回したサーベルキメラは鋭い牙を輝かせて再び咆哮する。突風によりクルスはキメラに近づくことができない。近づくことができたとしても、キメラは上空を飛んでいるため、攻撃は回避されるだろう。
「どうすればいいんですか?」
そのクルスの声は、突風で掻き消される。もちろんアルケミナにこの声は届かない。
それでもアルケミナは、
東西南北全てに逆三角形の記号が記された魔法陣。
中央には牡牛座の記号。
土を
高さ五メートル程度の大きさの壁に回り込むクルス。壁の後ろ側にはアルケミナの姿があった。
次の瞬間、目の前に聳え立つ大きな壁が小刻みに揺れた。上空から勢いよく突撃された衝撃は、何度も地面と壁を揺らす。
「どうすればいいんですか?」
壁の内側でクルスが再び尋ねると、アルケミナは作戦を伝える。
「サーベルキメラは本能のままに壁に突進するはず。そして、この壁は一定の衝撃を受けたレンガが黄色く光る。光った瞬間に得意のキックをしたら、サーベルキメラに攻撃が当たる」
「分かりましたっ!」
元気に返事しながら、ジッと目の前の巨大な煉瓦造りの壁を見上げたクルスは、心の中で絶対的能力を使うという意志を示し、「はぁ」と息を整えた。壁の中心が黄色く光るのを視認して、体を後方に飛ばし、距離を取り、助走をつける。
その距離が数メートルまで縮んだ瞬間、左足で地面を蹴り上げ、高く飛びあがり、前に伸ばした右足で壁の中心に蹴りを入れた。
すると、レンガ造りの壁は音を立て崩れていく。突風すら跳ね返す衝撃を受け暴走する怪物は彼方へと飛ばされた。
目の前にいたはずの怪物が彼方へと飛ばされていく中で、クルスの体は地面に着地した。
「あのキメラを追い払うことに成功したらしい」とアルケミナは右隣にいる助手の顔を見上げた。だが、そんな助手の顔は腑に落ちないようなものになっていた。
そのことを疑問に思ったアルケミナは、「クルス?」と首を傾げる。
すると、助手はハッとして、腰を落として、視線を小さな女の子に合わせた。
「先生、さっきの攻撃に違和感があります。あのキックは壁を完全に壊す程度の威力じゃないと思うのですが……」
浮かび上がった疑問を口にしたクルスの隣で、アルケミナは考え込みながら、地面に転がった瓦礫を見ていた。
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