第二章 天使の塔
第5話 過酷な道
天まで届きそうな程高い古塔の前に、二人の少女がいた。一人は水色のシャツに白色のショートパンツ、背丈に合わせたサイズの白衣を着た切れ長の目をした幼女、アルケミナ・エリクシナは空を見上げる。
昼下がりの時間帯、太陽から届く光は森の木々を照らしていた。
アルケミナの隣に立つ動きやすい長ズボンを履いた長い黒髪の巨乳の女、クルス・ホームは目の前に聳え立つ石でできた塔を見上げている。
ここが天使の塔。かつて錬金術師が光る大木を生成して、魔獣からの脅威から人々を救ったという伝説が残されている遺跡の一つ。
「天使の塔に一度来てみたかった」
「珍しいですね。先生が行ったことがないなんて……」
「アルケアは錬金術で財を成してきた巨大国家。錬金術絡みの伝説が伝わる地は、膨大に存在する。全ての錬金術伝説が伝わる地を訪問するには、五十年必要。まだ私は五割しか訪れていない」
「もしかして、旅の目的は錬金術伝説が伝わる地を訪れることですか? 残りの五大錬金術師とEMETHシステムの解除方法を探すことが旅の目的ではないのですか?」
クルスは当初の目的を忘れているのかと心配になる。だが、アルケミナの淡々とした発言を聞き、クルスは安心した表情になった。
「この天使の塔に、解除方法の手がかりが残されている可能性がある。浄化作用がある草花が生息しているのは事実。錬金術伝説が伝わる地を訪れるのは、もう一つの旅の目的。解除方法と五大錬金術師を探す旅と錬金術伝説が伝わる地を巡る旅。それを同時に行えば時間の節約になる」
「そうですか……」
クルスはアルケミナの説明に納得した。その後でクルスはアルケミナに尋ねる。
「この天使の塔へは、何日くらい滞在するのですか?」
「一泊二日。それで十分」
それから二人は、天使の塔の入り口に足を踏み入れた。
塔の内部は
「先生。これは何ですか?」
「一億段の螺旋階段。この塔の最上階にあるシャインビレッジに薬草が生えている」
「最上階に村ですか? まさかこんなところに人が住んでいるなんてことは……」
言い切るよりも早くアルケミナは首を縦に振りながら、歩き始めた。
「ちゃんと人が住んでいる。基本的には自給自足だが、一週間に一回のペースで薬草を買い取る専門の業者などが出入りしている」
アルケミナに続き、クルスは重たい荷物を背負いながら足を進める。
当たり前な話だが、一億段もある螺旋階段を昇ろうとすると、必ず疲れてしまう。
現に体力に自信があるクルスでさえも、息切れする程。永遠に続きそうな階段は、次第に二人の体力を奪っていく。
三百段程昇ったところで、アルケミナは足を止めた。彼女の後ろを歩くクルスは、アルケミナの荒い呼吸音を聞く。近づいてみると、彼女の顔は大量の汗で濡れていた。
おそらくアルケミナは幼児化により、体力が年相応な物に低下しているのだろうと、クルスは悟った。
仕方がないとクルスはアルケミナを追い越して立ち止まり、階段の上で腰を落とす。
「先生。おんぶしますよ」
そのクルスの一言を聞き、アルケミナは首を小さく縦に振る。そうして、クルスはアルケミナの体と思い荷物を背負いながら階段を昇る。
階段が永遠に続くかのような錯覚の中、クルスは着実に一歩ずつ進む。
残り五千万段。やっと半分の位置で、クルスの体に限界が訪れる。背負っているアルケミナの体や荷物を落とさないよう、うつ伏せに倒れそうな体をクルスは四つん這いになり耐えた。頬から汗が垂れ、クルスは荒い呼吸を繰り返す。足は生まれたての小鹿のように細かく震えていた。
「はぁ。はぁ。もう歩けません。先生。この塔にはエレベーターが設置されていないのですか?」
戯言を言うクルスの背中からアルケミナは降りて、ジッとクルスの顔を見つめた。その後で彼女は真顔で答える。
「あるはずがない。古塔にエレベーターが設置されていないのは常識。この塔はアルケア及び世界三位の高さを誇る建築物。ちなみに世界一位の建築物は天使の塔の一兆倍。それと比べたら楽な方」
アルケミナの話を聞きながらクルスは楽な姿勢を取るため、階段の上に座り込んだ。
「先生はその世界一位の建築物に昇ったことがあるのですか?」
この疑問に対して、アルケミナは即答。
「ない。あの場所は危険。世界一位の建築物の最上階を目指して毎年一億人の人々が命を落としているという噂だから。あの場所には、遭遇したら即死レベルの最強モンスターが住んでいる。さらに、建物内部には無数の罠が仕掛けられているから、最上階まで昇ることは五大錬金術師でさえも困難ではないかという噂がある。それと比べたら天使の塔はかわいい。罠が存在しないから、ただ一億段の螺旋階段をひたすら昇ればいいだけ」
一億段の階段がかわいいとはよく言ったものだと、クルスは感じ苦笑い。その直後、助手はつい心にもないことを口にしてしまう。
「先生はいいですよね。三百段昇ったら、僕におんぶしてもらえばいいんですから」
その発言を聞き、アルケミナは怒ったのか、声のトーンを低くして、クルスから顔を反らした。
「元の体なら、ここまで自力で昇る自信があった。体力が低下している方が悪い。もう少し歩けば踊場がある。そこで休憩する」
クルスの体に背負われ休憩することで、少しだけ体力が回復したアルケミナが自力で階段を昇り始める。五大錬金術師の助手は嫌な予感を覚えながら彼女の後を追った。
螺旋階段を少し昇った先に、広さ五十平方メートル程の踊場がある。その踊場に二人が到着したのは一分後のこと。
その場で右手の薬指を立てたアルケミナが、何もない空間をポンと叩く。
すると、彼女の右手に緑色の槌が現れ、彼女はそれを助手に見せつけた。
「これは新開発した回復の槌。これを使えば疲れが吹っ飛ぶ」
「温泉ですか? まさかこんな所で温泉を召喚して二人で入ろうなんて考えていませんか?」
クルスが顔を赤くしながら聞き返すと、アルケミナは首を横に振る。
「違う。これは一人用。温泉はリラックス効果で睡魔に襲われやすい。日が暮れる前に最上階に行きたいから、今回は温泉より早く回復できる奴にした。ただ副作用として、効果が切れてから六時間は筋肉痛で動けなくなる」
副作用。筋肉痛。その言葉を聞きクルスは身震いする。
「他に安全な回復方法はないのですか?」
「ない。通常の回復の槌の副作用は一日持続する。この試作品は副作用の持続時間を四分の一まで短縮されたもの」
「……試作品」
もしも、その試作品がEMETHシステムのような欠陥品だったら。クルスの脳裏に嫌な予感が横切った。
だが、アルケミナはクルスの心配を気にする素振りを見せず、踊場の中央に立つ。
「クルス。大丈夫。五大錬金術師の研究に失敗はない」
アルケミナは踊場の床で、回復の槌を叩く。
北に火星の記号。
南に
東に下向きに三角形。
西に水星に記号。
中央に
これらの記号で構成された魔法陣は緑色に光る。
そして数秒後、魔法陣の中央に意外な物が召喚された。その光景にクルスは目を点にする。
「先生。これはどういうことですか? 僕の目に狂いがなければ、マッサージチェアが目の前に見えるのですが……」
「マッサージチェア。十五分座るだけで体力が回復される最新型。プロのマッサージ師の技を再現する機能付」
アルケミナが解説するようにクルスへ言い聞かせると、クルスは疑問を口にする。
「なぜマッサージチェアなのですか? 他にも方法があるでしょう」
そこにアルケミナが正論を助手にぶつけた。
「マッサージチェアが一番体力回復までの時間が短い。錬金術でマッサージ師を召喚することは、法律で禁じられている。もちろん人工的に人間を作ることも。短時間で体力を回復するためにはマッサージが必要。マッサージで細胞を活性化させて体力回復」
「もう一度聞きます。もう少し安全な方法はないのですか? 細胞の活性化は危険な気がします」
「議論の時間はないから、マッサージチェアに座って。大丈夫。絶対に死なないから」
アルケミナは表情一つ変えない。逆にそれはクルスに恐怖を与える。
こうなったらと思い、クルスは思い切ってアルケミナに提案してみた。
「先生も座りませんか?」
「私は大丈夫。クルスに背負ってもらったおかげで、体力は回復されたから。それに子供がマッサージチェアに座ったら危険」
やはりクルスの企ては不発に終わる。
結局、クルスは魔法陣の中央に
すると、マッサージチェアに搭載されたローラーが、自動的にクルスの背中を刺激していく。それと同時に彼女の足元に搭載された別のローラーが動き始め、疲れた太ももの近くで回転を始めた。
強制的に機能を停止させるスイッチは存在しない。
その間アルケミナは踊場の床に座り、錬金術で召喚したお茶を飲んでいた。
これは不平等ではないかとクルスは感じたが、マッサージを止めることは不可能。
マッサージチェアに内蔵されたローラーが全て動き、固くなったクルスの体をほぐしていく。
そして十五分後、マッサージが終わり、クルスはマッサージチェアから解放された。その瞬間、クルスの体に異変が起きる。
体力が
これがアルケミナの開発した新型の回復の槌の凄さなのかと、クルスは身をもって感じた。
「先生。行きますよ!」
そう言いながらクルスは腰を落とし、重い荷物とアルケミナの体を背負った。
そして、体力を完全に回復させたクルスは風を切り残りの階段を昇っていく。
二人が天使の塔の最上階にあるシャインビレッジに到着したのは、回復の槌で強制的に体力を回復させられてから一時間が経過した頃だった。
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