第4話 旅の始まり

 十分程で二人が研究所に戻る。研究所の自動ドアを二人が潜った瞬間、一斉に電話が一鳴り響いた。

 クルスが慌てて、一階にある事務室に足を運ぶ。その部屋の異様な光景に、クルスは目を大きく見開いた。


 事務室に設置された電話がいつまでも、鳴り続ける。それだけではなく、ファックスやメールが大量に届いているようで、コピー機から印刷された大量のメッセージの紙が、部屋の中を埋め尽くしていた。

 嫌な予感を覚えながら、クルスはファックスの山から適当に一枚取る。


『どうしてくれる! EMETHプロジェクトに参加したら、顔が狼になったではないか‼』

 

「先生。どうやらこの現象は、十万人の対象者全員に起きているとみて間違いないと思います」


 クルスが状況を分析しながら顔を上げると、ファックスから一枚の紙が舞い上がった。それは小さくなったアルケミナの頭の上に落ちていく。

 頭上に乗った紙を手にしたアルケミナは記された文字に目を通し、クルスの顔を見上げた。


「ブラフマからのメッセージ。アルケミナ。あなたは記者会見を行った。世間ではあなたが、このプロジェクトのリーダーであり責任者であるという認識になっているらしい。責任者として、この現象の対処はあなたに任せる。ワシのことは探さないでほしい。他にやることがあるからとのこと」


 鳴りやまない電話の音をバックに、伝言を聞いたクルスは呆れ顔になった。


「ブラフマさんは、先生に責任を押し付けて雲隠れしたということですか? 五大錬金術師はリーダーを決めないという方針で、錬金術研究を進めていたのに。じゃあ、ティンクさんたちに連絡を……」


 クルスが呆れたような表情を浮かべる間に、アルケミナは電話の受話器を手にしていた。覚えている番号を押し、通話ボタンを押した彼女は、中々切れないコール音に苛立ちを覚え、首を傾げる。それから、別の番号に掛けなおしても結果は変わらない。


「ダメ。電話しても繋がらない。大量に届くファックスで回線が繋がりにくくなっている可能性もあり得るが、ティンクたちもブラフマと同様に雲隠れした可能性が高い」

「そんなぁ。先生、なんとかならないのですか?」

 問いかけに少し考える仕草を見せた五大錬金術師は、決真剣な表情で助手と顔を合わせた。

「十万人の対象者が被害を受けた現象の解除方法と残りの五大錬金術師を探す」

 その決断を聞き、クルスは不安な顔になる。


「見つかるのですか? 残りの五大錬金術師も容姿に変化が起きているでしょう。解除方法は原因が分からないことには、見つけようがありません」


「たとえ、姿形が変わろうとも、彼らを見つけるのは容易いこと。高位錬金術師レベルだと、瞳を閉じても第六感で個人を識別できる。それと、原因なら分かる。EMETHシステムには、人類の遺伝子レベルで書き換えを起こすことで、能力を付与するというメカニズムがある。その付与する段階において、プログラムが本来ならを書き換えた結果が、この現象だとすれば、説明ができる」


 アルケミナがスラスラと原因を説明した後で、クルスが首を傾げた。

「それが原因だと、解除方法が分かりませんよね?」

「原因を取り除けば、解除できるという問題ではないということ。そして、この問題は私だけでは対処できない。他の五大錬金術師の協力が不可欠。クルスなら覚えていると思うが、ブラフマたちが所持しているアレが必要になるから」

「アレって確か……」とクルスが呟く間に、アルケミナは身の丈に合わないシャツの裾を引きずりながら、一歩を踏み出した。


 事務室から出て右に曲がり、真っすぐ廊下を進んだ先でその幼女は佇んでいた。

 その視線の先には、灰色の壁しかない。その壁を瞳に映してから、「はぁ」と息を吐く小さな高位錬金術師が右手を開く。

 その手が壁に触れた瞬間、そこにあった行き止まりは白い光に包まれた空間に変わっていく。


 そんな現象を、慌てて彼女を追いかけた助手は目を丸くして見ていた。


「指紋認証ならこの体でも入ることができる」と呟きながら、銀髪の幼女は突然現れた空間の中へと足を踏み入れる。そうして、数秒後、その空間の中から一枚の紙を握ったアルケミナが顔を出した。


「それって、EMETHシステムの錬金術書……」

 アルケミナが持っていた紙に注目したクルスの声を聴き、彼女は視線を目の前に立つ助手に向けた。

「そうだが、これだけでは読み解くことはできない。ブラフマたちがそれぞれ一枚ずつ所持している紙を集めて、あのシステムの術式が読めるようになれば、どこに欠如があったのかが分かる。さて、クルス、どうする? EMETHシステムの解除方法と残りの五大錬金術師を探す旅に行くのか? 行かないのか?」


 アルケミナからの突然の問いかけ。その答えは既に決まっていた。

「行きます。元の体に戻りたいから」

「分かった。それでは旅の準備を始める。一緒に研究室に来て」


 五分後、二人は十階にある研究室にいた。そこの研究室のロッカーに創造の槌が隠されている。

 アルケミナはロッカーから、創造の槌を取り出す。二メートルに及ぶ槌は五歳の体型には似合わない。五歳のアルケミナにとってこの槌は大きすぎるようにクルスは思った。

 しかし、アルケミナはその槌を軽々と持っている。そのことにクルスは違和感を覚え、つい疑問を口にした。


「先生。どうして、創造の槌を軽々と持っているのですか?」

「特殊な槌は使用者を選ぶ。使用者の体型によって重量が変わる。つまり、創造の槌は幼女化したこの体型に合わせた重量に変化している」

「なるほど」


 クルスが縦に頷くと、アルケミナはクルスの目の前でブカブカになった衣服を脱ぐ。その様子を見て、クルスの思考が固まった。今度はそれだけではなく、クルスの顔が見る見るうちに赤くなっていく。

「先生。何をしているのですか?」

「今着ている衣服から、今の体型にあった衣服を創造する。そのためには、一度ブカブカになった衣服を脱がなければならない」


 クルスは次の一手として、ある提案を持ちかける。

「絶対的能力を使って、衣服を創造しませんか? 絶対的能力を二回使うんです。一回目は衣服を創造するため。もう一回床に触ったら、一瞬のうちに早着替え」

 この程度のことならできるはずだ。そうなれば元々男だった自分が女の生着替えを見なくて済む。そう思ってクルスは発言したのだが、アルケミナの考えは変わらない。


「イヤ。あの能力は使いたくない」

 クルスの全裸目撃回避作戦は、アルケミナの我儘によって不発に終わる。だが、クルスは諦めない。

「だからと言って、僕の目の前で脱がないでください」

「女の子が女の子の裸を見ることは恥ずかしいことではない」

「しかし、中身は男です。目の前で裸になられては、セクハラをしているような気分になります。兎に角、体にバスタオルを巻くか、僕を研究室から退室させるか。選んでください」

「一瞬。一分も満たない」

 アルケミナはクルスの問いに答えない。

 クルスは、目の前で裸になっていくアルケミナの姿を見て、一瞬の内に全身が赤く染まった。


 さらに追い打ちをかけるように、アルケミナは提案を持ちかけた。

「体のどこにEMETHという文字が刻まれたのかが気になる。衣服で隠れたところに刻み込まれたとすると、裸にならないと確認できない。鏡や目視で確認できる箇所には文字が刻まれていなかった」

「えっと。僕も裸になれということですか」

「そう。温泉に行ってもいいけど、早く旅に出かけたいから」


 最悪な展開。これが俗に言う羞恥プレイという奴だと、クルスは思った。

 アルケミナは容赦なく、クルスの衣服を無理やり脱がす。抵抗する暇すら与えず。そうやって、無理やり裸にされたクルスの体を、全裸の幼女のジロジロと観察していく。

 三十秒後、幼女は顎に手を置いた。

「なるほど。クルスの背中に、あの文字が刻み込まれている」

 そう呟いた後で、彼女はクルスの前方に回り込んだ。

「確認して」

 クルスの顔がさらに赤くなる。まるで、ゆであがったタコのように。


「……先生。できません。こういう変態行為だけは勘弁してください」

 助手の話を聞かないアルケミナは、見た目が女でも中身は男のクルスにグイグイと迫る。


 何とかしてこの状況を打破しなければならない。そう考えるクルスの目に、あの文字が飛び込んできた。

「右の胸の真下。そこにEMETHという文字が刻み込まれています。分かったら、早く着替えてください」

 クルスは、視線を彼女の裸体から反らしながら促す。アルケミナが首を小さく縦に振り、脱ぎ棄てられた衣服を創造の槌で叩く。すると衣服は幼女化したアルケミナの体型に合った衣服に変化した。


 アルケミナがその下着を履く姿を目撃したクルスの鼻から大量の血液が飛び出した。純粋な助手の男だったクルスは、そのまま仰向けに倒れた。

 その体はタコが茹で上がったように赤くなっている。


 それから、何時間か経過した頃、クルス・ホームは目を覚ました。瞼を開けた助手の顔を幼いアルケミナが無表情で覗き込んでいる。

 服装は水色のシャツの上から白衣を纏い、白色のショートパンツを履いた幼女の姿を見たクルスは、上半身を起こした。

 ピンと伸ばされた下半身を履き慣れた男モノのジーンズが覆う。まさかと思ったクルスが首を曲げて、上半身を見ると、自分の身の丈に合わせた黄色いTシャツを着ていることが分かる。


「えっと、先生、この服……」

 目を点にする助手に対し、アルケミナは無表情のままで首を傾げる。

「動きやすい服装に着替えさせた。因みに下着は私の御下がりだが、サイズが少しだけ緩かったので、創造の槌で微調整した」

「せっ、先生の下着!」

 思わず叫んだクルスの顔が赤く染まり、鼻から血が垂れた。それを抑えるために、クルス・ホームは自分の鼻を摘まんだ。

「今の私には使えない代物だから、再利用しただけのこと。元の姿に戻ったら、また創造の槌で作り替えればいい。新しく買いに行くよりも時間を有効活用できるのなら、これで良い」

「よくありません! 先生の下着を男の僕が着ているって想像したら……」

「今のクルスは女だから関係ない」

 アルケミナの正論を前にして言い返せなくなったクルスが頭を下げる。


「ごめんなさい。時間を無駄にしたでしょう」

 アルケミナは相変わらず無表情で、あっさりと否定してみせた。

「そんなことはない。クルスが失神している間に、錬金術の実験を進めたから、無駄な時間は存在しない」


 まさか助手が気絶している間も研究をしていたのかとクルスは思うと、彼女は怒りを覚える。だが、ここは堪えて、クルスがアルケミナに尋ねる。

「介抱していたのではないのですか?」

「介抱した所で時間の無駄。錬金術の実験や旅の準備をしながら目を覚ますのを待った方が時間を有効活用できる。因みに、外で他の五大錬金術師と連絡を試みたが、繋がらなかった」

 合理主義者らしい言葉だとクルスは思う。そこで、クルスは再びアルケミナに質問する。


「ところで、旅の準備は整いましたか?」

「準備は終わっている。食料及び旅に必要な物は、既に準備した」

「行き先はどこですか?」

天使てんしとう。そこが最初の目的地」


 天使の塔。八大都市ノームに一番近い古い塔で、錬金術伝説が伝えられている。

「そこに、残りの五大錬金術師の一人がいるのですか?」

 クルスが尋ねると、アルケミナは首を横に振る。

「その場所に彼らはいない。EMETHシステム解除方法の手掛かりが残されている。天使の塔の内部にある、シャインビレッジで栽培されている草花には、浄化作用がある。現在では所有が禁じられている呪言じゅごんの槌の解除方法に必要なアイテムが、栽培されているのもシャインビレッジ」

 呪いという意外な言葉を聞きクルスが再び疑問を口にする。


「つまり、EMETHシステムは呪いだったということですか?」

「それは違う。EMETHシステムと呪いを一緒にしないでほしい。薬の材料が天使の塔にあるということ」

 アルケミナの説明にクルスが納得して、再び質問を重ねる。

「なるほど。今日中に天使の塔に到着できるのですか?」

「時間と距離などを考慮すると、今日中の到着は不可能。今夜は天使の塔への道中で野宿する。天使の塔へは明日の午前中に到着する予定」


 野宿。聞き間違えではないかと思い、クルスがアルケミナに確認する。

「野宿ですか?」

「大丈夫。寝具とテントは準備してある」

「因みに、テントの個数を教えてくれませんか」

「テントを一張り。道中には宿泊施設がないから、テントで野宿する。テントは一人用だけど、この体なら大丈夫」


「それは一人用のテントの中で、先生と一緒に寝るということですか?」

 そのクルスからの質問に対して、アルケミナは首を縦に振った。

「そう。旅の予算を節約したかったから、テントを一人用にした。この体なら一人用のテント内でクルスと寝たとしても、十分なスペースを確保できる」

 アルケミナの答えに、クルスが声を荒げる。


「先生。少しは考えてください。本当のあなたは年上の女性。本当の僕は青年。そんな二人が一つ屋根の下で寝ると考えたら……」

 助手の赤面した鼻からは鼻血が垂れた。鼻をハンカチで押え止血しようとするクルスの顔を、アルケミナが見つめる。


「現在のクルスは、現在の私にとってお姉ちゃんのような人。小さい妹とお姉様が一緒のベッドで寝るのは普通のこと。恥ずかしいことではない」

 アルケミナの正論には負ける。クルスは一度目を瞑り、返答する。

「……分かりました」

 なんとか鼻血が止まったクルスは、今夜の睡眠を心配する。

 そして、五大錬金術師とEMETHシステム解除方法を探す旅に出かけるために、二人は歩き始めた。

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