第3話 対象者の異変

 暗闇に覆われていた空が、再び青くなった。それに伴い、ヒュペリオンの姿は巨大神殿から消える。


 同時に、十万人の対象者の体を包んでいた光が消えた。

 アルケミナと同様に対象者として選ばれたクルスが瞳を開けると、ある違和感を覚えた。


 下を向いた時に見えた下着すら身に着けていない大きな二つの塊。それを見たクルスは、思わず鼻血が出そうになった。

 後ろ髪が少しばかりくすぐったく、衣服も若干ブカブカになっている。


 イヤな予感が頭を過った五大錬金術師の助手は、周囲を見渡した。近くにいたアルケミナなら何かを知っているかもしれないという期待を抱きながら。

 だが、五大錬金術師がいた神殿の中心に残されていたのは、衣服の山。まるで脱ぎ捨てられたようなそれは、アルケミナが着ていたものと同じ。

 しばらくすると、その中で何かが動いた。そして、大きなTシャツの襟元から、銀髪の幼女が顔を出す。

 腰の高さまで伸ばされた白銀の長髪に、切れ長の青い瞳。その特徴はアルケミナそのもの。


「先生」と声を発したクルスは右手で喉を押さえた。


 その高いトーンの声は男性のモノではない。


 徐々にイヤな予感が強まっていく中で、大きすぎるTシャツしか纏っていない幼女は無表情な顔で口を開く。


「……あなた。誰?」

 それは、アルケミナの声を幼くしたような声だった。突然現れた見覚えのない長身女性の顔を見上げた幼女の答えを聞き、クルスは目を点にする。

「クルス・ホームです。もしかして、先生は記憶喪失になったのですか?」

「私が知っているクルスは男。長髪の女ではない。それに、クルスは私より身長が低かった。あなたは私より身長が高い。よってあなたはクルスではない」


 とんでもない証明を耳にしたクルスが首を左右に振る。


「先生。まさか変化に気が付いていないのですか? たしか先生は、鏡を出現させる小槌を……」


 その現象を近くで見て、クルスの思考回路が一瞬固まった。幼女は錬金術を発動するために使う槌を使うことなく、厚さ三センチほどの鏡の壁を出現させたのだから。


 袖から指が出ていない状態で床に右手を置くだけで、鏡が瞬時に錬成される。この現象はあり得ないことで、クルスは鏡で今の姿を確認するのを忘れ、腰を落として目を丸くした。


「えっと……先生。何をしたのですか?」

「EMETHシステムで付加された能力を使った。これは公になっていない情報だけど、絶対的能力には任意型と常時型の二種類がある」


 幼女が再び床に左手を置くと、今度は真っ赤な薔薇の花束が出現した。

「やっぱり。床に手を置くことで、錬金術と同様の物を創造することができる能力。創造するのは私が思い浮かべた物。先ほどは薔薇の花束を思い浮かべたから、それが出現した。両手どちらで触れても能力は使えるってこと」


「先生の能力のことは分かりましたから……」と呟きながら、五大錬金術師の助手は鏡を覗き込む。鏡の中にいたのは、太ももに弾む胸を押し当てて座り込んだ黒髪ロングの女性。それが今のクルス・ホームの姿だった。

 

 一方で鏡を見ようとしない幼女が、再び右手を床に置くが、何も起こらない。同じように左手でやってみても結果は同じ。

 試しに倍以上あるシャツの両袖を指が出るまで折り曲げた状態で、両手それぞれ1回ずつ触れても、結論は覆らない。


「私は任意型。能力を使いたくないという意思で床に手を置いたけれど、何の反応もない。研究者としてもう少し自分の能力について実験したいけれど、あまり使いたくない能力だということが分かったから止める」


「なぜですか?」

 クルスが尋ねると、アルケミナは意外な答えを口にする。

「この能力は錬金術を冒涜している。この世の理を全て無視する能力は使いたくない。だから、自分の能力に対する実験は行わない」

 錬金術を冒涜するようなことを許せないアルケミナらしい理由だと、クルスは思った。だが、それよりも重要なことがある。クルスは思考を冷静に戻し、少女に促す。


「そんなことよりも、鏡を見てください」

 幼女はクルスに促され鏡を見る。そこに映し出されたのは、ブカブカな衣服を着た幼い容姿のアルケミナ・エリクシナだった。

 鏡で自分の姿を認識したアルケミナは、目を見開いている。普段は無表情の彼女でも、さすがに驚いているとクルスは感じ取った。


 

 アルケミナ・エリクシナは幼児化。

 

 クルス・ホームは女体化。


 ありえない現象が起きていると分かっていながらも、クルスは変わり果てた自分の姿に茫然とするしかできなかった。そんな中で、アルケミナは再び床に左手を置く。

 すると、クルスの前に出現した鏡の壁が跡形もなく消えた。その光景を見ながらアルケミナが呟く。

「なるほど。錬金術を解除しようという意思で床に手を置くと、能力で出現させた物が消滅。そこは普通の錬金術と同じ」

 アルケミナが自分の能力の考察を行うと、クルスが冷静になりアルケミナに尋ねる。


「先生。これからどうしますか?」

「研究所に戻る。ブラフマたちと今後について相談しないといけないから」

 そのアルケミナの答えは正しいとクルスは思った。研究者として今後のことを相談して、対策を考察することは、研究者の常識だ。

「分かりました。早速戻りましょう」とクルスが賛同したが、なぜかアルケミナは目の前にある衣服の山に向かい歩き出す。


「数分前まで私が着ていた衣服を片付ける。あの中で動いてたら、いつの間にかTシャツ以外脱げてたから」

「それって……」と呟いた瞬間、クルスの顔は真っ赤になった。

 そんなことなど気にしない五大錬金術師は、表情一つ変えず、再び衣服の山に潜る。それから、数秒で茶色い槌を握ったアルケミナが顔を出した。


 そのまま、それを地面に二回叩くと、五十センチ程度の大きさの正方形の木箱が二個召喚される。傷一つないそれから蓋を取り、近くに置いてから、次々に大きな衣服を投げ入れていく。


 全ての衣服を回収すると、今度はもう一つの空の木箱を開け、その場に残された槌も片付けていく。

 それから、蓋で箱を閉じ、再び茶色い槌で木箱を二回叩いた。すると、木箱が槌の中に取り込まれていく。



 片付けを終わらせたアルケミナは、神殿の階段を降りようとするクルスに視線を送った。それに気が付いたクルスが背後を振り返ると、アルケミナは上目遣いで助手の顔を見つめていた。


「クルス。おんぶして」

 予想外な要求に、クルスは呆気に取られた。

「えっと、先生……」


「裸足のままで地上を歩くと、その辺に転がっている石で足を切って、怪我をしてしまう。今の私にとって大きすぎるあの靴を履いてもいいけれど、ぶかぶかすぎる故、歩行には適していない。おまけに、今の私の服で歩行を試みると、裾を踏んで転倒する可能性が高い。現状を合理的に考えると、クルスにおんぶしてもらった方が、より早く研究所に辿り着くことが可能と結論付けた」


 スラスラと思考を口にする銀髪幼女に対して、巨乳女性になってしまった助手は首を横に振る。

「いつものように、錬金術で衣服を創造すれば、いいでしょう。靴だって身の丈にあったモノに作り替えればいい」

「お姉ちゃんが幼い妹をおんぶすることは、普通のこと。それに創造の槌は、現在研究所のロッカーの中にある。それまではこの衣服を着ないといけない」


 正論だとクルスは思った。確かに現在のアルケミナとクルスは遠くからみれば、姉妹のようにも見える。

 それならば、別に構わないのではないかとクルスは考え、首を縦に振る。

「分かりました」


 クルスがアルケミナをおんぶする。幼くなったアルケミナの体重は軽いと、クルスは感じた。元のグラマーな体型のアルケミナをおんぶして神殿の階段を下ると、かなり疲れるが、幼女化したアルケミナをおんぶして階段を下ったとしても、疲労は感じない。

 

 歩く度に大きな胸が揺れることが気になってしまう五大錬金術師の助手は、研究所に向かい走り始めた。

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