キャロウ宅の密室殺人〜後編

 事務所へ戻る。観光地の多いチェルムスフォードだが、フィンチ探偵事務所はそういったものとは無縁の、普通のビジネス街にあるオフィスビルの一角を借りている。


 僕とシャーロック先生は、ダニエル巡査に送られてそこへ舞い戻ってきた。


「トンボ帰りでしたね……」


「そうだな」


「密室殺人か、と、少し期待したんですが……」


「残された凶器にヘザーの指紋があり、合鍵も母が所持していたと確認されて、睡眠薬での睡眠時間は摂取量で偽造可能となれば、もはや密室殺人ではないからな」


「自室で殺されたトーマスさんも犯人のヘザーさんも、働いてなかったそうですね」


「働かずに食べていける。羨ましい限りだな」


「働かず、長女に無理をさせていた母が、ニートで引きこもりの息子を殺す。……小説のテーマにすれば面白そうなのに」


「ざまぁ見ろ無職、とは思うがな」


「先生……」


 そう言えば現場へ行く前もそんな事を言ってたような気がする。事務所のパソコンを開きながら、話を続ける。


「……それにしても、逮捕されたヘザーさんは何を考えていたんでしょう。合鍵を使って密室にしたのに、凶器を残してくなんて」


「……おかしなことか?」


「おかしいですよ。現場は密室。母は自前の睡眠薬で眠っていて、長女は仕事でアリバイ有り。しかも現場は応急処置を試みたのか、血まみれのタオルが散乱してたせいで地獄絵図。こんな重大そうな事件が、探偵要らずで片付くなんて、ひどい話です」


「ワトソン君。君が言いたいのはおかしいではなく、つまらない、だろう」


「まさか。小説のネタにはならないなー、とは思いました」


「君も大概ひどいやつだな」


 肩を落としながらデスクの椅子に腰掛ける先生。疲れては居ないと思うけれど、深いため息を吐いていた。


「何か、納得出来ていないみたいですね、先生」


「納得……。いや、納得はしている。しているが……耐え難い」


「そりゃ、あんな無駄足を踏まされれば、イライラもしますよね……」


「そうではないよ、ワトソン君」


 結構感情的になっているらしい先生は、イスの背もたれに身を任せて天井を仰ぎ、額に手を置いた。


「間違った答えを否定出来ないという事が、耐え難く屈辱的なんだ、私は」


 僕は首を傾げる。先生は僕の方を見ないまま続けた。


「……あの事件は解決していない」


「え……。どういうことですか?」


「この事件には裏がある、ということだ」


「ほんとですか!?」


「喜ぶな……。いいか、犯行に使われた円錐型のナイフは、一般では売られていないため入手が難しい。ただ殺すには大袈裟なものだし、殺害以外で使う機会は特殊な職業でも無い限り、無い」


「刺して、抜いた後に血が止まらなくなって失血で死ぬんですよね。確かに手が込んでる。普通のナイフで何回か刺せば、失血を待たずに殺せるのに」


「そうだ。だが犯人はわざわざ特殊なナイフを用意し、失血で殺した。そこまで準備した人間が、凶器を現場に残すか?」


 先生は「さらに」と話を詰める。


「睡眠薬が、摂取量で調整可能なもので、それによって睡眠時間というアリバイを作った……水道かトイレに流せば一切の証拠が消えるのに、何故わざわざ部屋のゴミ箱に捨てた?」


「確かに、殺害を計画していたはずの凶器、計画していたはずの状況で、大事なところが無計画ですね……。でも、ヘザーさんが犯人でないのなら、外部の人間ということですか?」


 先生はようやく背もたれから身体を起こし、僕のほうを見た。


「人目の多い住宅地でありながら、キャロウ宅から出た人影は、死亡推定時刻よりもっと前に仕事へ出た娘だけ。しかも被害者は二年間も外部と接触の無い引きこもりだ。殺す理由が無い。外部の人間とは考えがたい」


「……となると、真犯人は長女のキャサリンさん? 無職の家族2人の面倒を見るような良い人でしたし、指紋も出ず、死亡推定時刻は夜の仕事中でアリバイもあるんですよ?」


「ワトソン君、少しは頭を使いたまえ」


「使ってますが?」


 これでもフル回転させているところだ。ただ、全力が弱いだけだったりする。


「もし君が、暗闇の中で突然、誰かに何かで刺されたら?」


「逃げますね」


「家の中、玄関側にその犯人が居たら?」


「……自分の部屋に逃げますかね」


「助けが来ず、外にはまだ犯人が居るかもしれない。腹には刃物が刺さっている。どうする」


「救急車を呼びます」


「トーマスは稼ぎが無く、携帯電話は止められていたらしい」


「ああ……そうですよね。いや、でもパソコンは? パソコンが部屋にありました」


「それはまた後で説明するが、パソコンが使えなかったとしたら?」


「応急処置をします。それしか出来ません」


「犯人が近くに居るかもしれない状態で?」


 ぽつり、と、小さな違和感をここで覚えた。


「……犯人が部屋まで追撃して来ないのを確認するために待ってから、応急処置を──」


 言いながら、自分が刺された時の応急処置の仕方を知らない事に気付く。


「しようとしてタオルを集め引き抜いたナイフ。それが刺突用のナイフだったせいで、血が止まらなくなったとしたら?」


「…………どうしましょう」


 どうしようもない。少なくとも僕には。


 先生は言う。


「死ぬしか無いんだ。その場合、刺され、ナイフを抜き、失血死するまでに、いくらかの時間が掛かる」


「…………犯行時刻と死亡推定推定時刻に差が生まれる……?」


「そうなれば、仕事中だったという娘のアリバイは無くなる」


「だとしたら、母のヘザーさんは──」


「そう。冤罪(えんざい)だ」


「…………いや、でも」


「母は自前の睡眠薬で眠っている。ある程度の事は気付かない。引きこもりの長男を、例えばブレーカーを落とし電気を消すという形で部屋から出したとしたら? 明かりが無いため漫画は読めず、パソコンは動かないし携帯は止まっている。どうする?」


 と、先生が言う。僕は考える。


「部屋から出ます……。出て……部屋から出てきた長男トーマスを、長女キャサリンがナイフで刺す。暗がりで犯人が解らなかったトーマスは自室へ逃亡し、鍵を閉める」


 と、僕が答える。


「そこまでを確認したキャサリンは急ぎ出勤し、アリバイを作る」


 先生が言う。


「パソコンも携帯電話も使えないトーマスは応急処置と思い自らナイフを抜き、失血死……」


「……合鍵を持った母が凶器を残していくより、こちらのほうが現実的だ」


「でも、キャサリンさんは無職2人を支えるために、夜中に働くような良い人ですよ!?」


「夜中に働かなければならないほど、無職2人に寄生されていた、とも取れる」


「……親族だから、見捨てられなかった……?」


「故に、長男トーマスを殺し、母のヘザーが寝てる間に凶器に触らせる事で犯人に仕立て逮捕させ、2人を排除した。これが、キャサリンによる犯行の全てだ」


「……す、すぐに警部に連絡をっ!」


「待て、ワトソン君」


「どうして!?だってヘザーさんが冤罪なら、晴らさないと!」


「私はわざと見逃しているんだ」


「どうして!?だって事件の真相は!!」


「明かせば社会不適合者の母が釈放され、勤労に励む未来ある娘が逮捕されるぞ」


「っ!?……それでも、探偵は真実を明かすべきです」


「それは違う、ワトソン君。探偵は依頼をこなすのが仕事だ」


「どう違うんですか」


「……今回の事件、我々はダニエル警部に無理矢理連れていかれただけで、誰からも真実を解き明かせと依頼されていないんだよ」


「…………ああ、確かに」


 探偵「依頼で無いのならば、情に流されたって構わないだろう。なにせ私は、働きたくないのに稼ぐため働いている労働者だぞ?」


「えっと、つまり?」


「つまり私は──無職というものが嫌いなんだ」


 そんな理由で家族を殺した人を見逃して良いのか、という疑問はあった。あったけれど、かける言葉が見つからない。


 何かを言いたいのに、それを言葉にする能力が僕には無かった。


「……嫌です」


 絞り出した言葉は、ただの我儘だった。


 理屈的では無い。話し合いの交渉などとはとても言えない、子供の我儘。


「…………それでも、家族が家族を捨てる、というのは……なんか……嫌です」


「…………」


 先生は真っ直ぐ僕を見ていたが、次第に視線を落とし、手遊びを始め、最後には携帯電話を取り出し、どこかに電話を始めた。


「…………もしもし、ダニエルか。キャロウ宅の事なんだが……ああ、トーマスのパソコンを調べてくれ。キャロウ宅のみを襲った停電により、何かの作業が緊急停止していたはずだ。もしそうだったら、キャロウ宅のブレイカーを確認してくれ。──昨日今日でキャサリンが触れた痕跡が出た場合、犯人はヘザーではない」


 まくし立てるように言って、先生は通話を切る。


 色々と聞きたい事があった。


「何故、トーマスさんが死ぬ前にパソコンをやっていたと断定出来たんですか?」


「眠っていたならば、電気が消えても気付かない。漫画を読んでいる最中に電気が消えたならば、漫画を本棚に戻している余裕も意味も無い。しかし殺害現場の写真に漫画本は床に落ちていなかった。よってトーマスは死ぬ前にパソコンをやっていた」


「ブレイカーに触れた痕跡、とは?」


「埃だ。日常的に触れる事の無いブレイカーには、掃除好きの家庭でも少なくとも内部には相応の埃が溜まる。触れた痕跡が埃によって解るはずだ」


「…………良かったんですか? 無職、嫌いなんでしょ?」


「そうむくれるな、ワトソン君」


 先生はそう言って苦笑する。


「誰かに寄生する無職というのは、分相応では無い生活を送っている。働かざる者食うべからず、だ。しかし、分相応な生活をしていない者は、必ずいつか破綻する」


「はい。それが今回の事件の原因ですよね……無職と半無職が長女に集って、ラクしてたから」


「いいや、ワトソン君。今回破綻したのはキャサリンのほうだ」


「…………え」


「分相応とは、何も下の人間にだけ言えるものではない。稼いでるならば稼いだだけ、頑張ったなら頑張っただけに相応しい生活をしなければ、人はいつか壊れる。真夜中に働いてまで多く稼いでいたのに、家族を見捨ててでも自分に相応しい生活をしようとしなかった。だからキャサリンは破綻し、犯行に及んだ。動機こそトーマスとヘザーにあったかもしれないが、事件を起こしたのはキャサリンの弱さなんだよ」


 僕は、また何も言えなくなってしまった。


 稼いだら稼いだ分、良い生活か、希望ある未来か、もしくは過去の支払いを済ませるかしなければならない。


 報われなければ破綻する。


 これもまた、酷い話だ。


「あれ、ということは、先生」


「どうした、ワトソン君」


「探偵業務より、僕の小説での稼ぎの方が大きいのですから、この事務所では僕のほうかま上の立場なのでは?」


「え」


「上の立場なのでは?」


「いや、違うぞワトソン君。それは、違う」


「分相応ですよー! 先生、じゃあお茶を入れてください!」


「調子に、乗るな!」


「くはっ!」


 筆箱を投げられて、少し痛がって、すぐに笑った。僕が笑うと、先生は苦笑する。




 ──そして翌日にキャサリン・キャロウは逮捕され、事件は正しく解決を迎えたのだった。

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