キャロウ宅の密室殺人~前編

 著者:探偵助手・ワトソン。



 小説にテーマが必ず必要だとは僕は思わないし、現実に起きる事なんて殆どがテーマなんて無くて、後付けでしかないということは重々承知している。その上でこの『キャロウ宅の密室殺人』にテーマをこじつけるとしたら、それはきっと『分相応』だろう。


 身の丈に合った生活をしなければ、いつか破綻する。背伸びを続ければ足首を痛めて転んで立てなくなるように、誰しもが、自分に相応しいステータスでなければ、いつかしっぺ返しを食らうのだ。


 この『キャロウ宅の密室殺人』は調度、そんな感じの事件となっている。




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 イングランド連合王国エセックスのチェルムスフォード。こう言って読者の皆様には伝わるだろうか。イングランド人には伝わるだろうし、グレートブリテン(イギリス)にも伝わる自信がある。


 けれどゆくゆくは海外出版も目指したいので、知らない人のために詳しい所在地を説明しよう。


 ──ロンドンの近くだ。


 どれくらい近いかと言うと、近すぎてロンドンっ子と名乗っても嘘にならないくらい近い。


 そんな世界的有名な大都会に探偵事務所を構えるのは、シャーロック・ノア・フィンチ。知る人ぞ知る名探偵であり、僕はこの人を先生と読んでいる。


「……おい、ワトソン君、今なにか悪戯をしたね?」


 アジア系の血が入っているらしく、真っ直ぐな長髪は黒く、時折銀色のメッシュが数束見える。黒い瞳を埋め込んだ鋭い目に睨まれると、きっと猿でも怖気付く。つまり今の僕だ。


「なんのことですか?」


 僕はすっとぼけて、パソコンのタイピングを続ける。


「目がニヤニヤしていた。ワトソン君は基本的に無表情だが、悪戯をするときだけキラキラするんだよ」


「あ、ちょ、見ないで下さい」


 パソコンを覗き込んで来る先生を止めようとしたけれど、先生は女性でありながら、男子と比べても長身だ。立ち上がろうとした僕を上から抑えつけ、そのままパソコンの画面を見る。


「えー、なになに。『無職生活5日目のシャーロック先生。来客がないからと油断して、髪を濡らしたまま事務所へ上がる』おい、事件簿になんてものを書くんだ」


「真実を晒すのが探偵の仕事なので、まずは探偵の真実を晒してみようかと」


「やめろ。私は無職が嫌いなんだ、5日もニートだなとと認めたくない事実を晒すな。仕事が無いのがバレてしまう」


「シャワー上がりなのは良いんですか」


「それは構わん。しかし探偵業務よりもワトソン君の小説のほうが稼ぎが良いなんて事実は絶対に書くな」


「構いましょうよ、レディなんですから……。あとついでに、僕の頭におっぱいが乗ってます」


「構うなマセガキ。それより早くその事件簿のラクガキを消せ」


「構いましょうよ……。今お客さんが来たらどうするんですか。調度都合よく、待たせても大丈夫な人ばかりでは無いんですから」


「うむ、それは確かに大変だ。少し席を外す」


 そう言って先生が事務所の裏手へ回ろうとした時、玄関が勢いよく開いた。


「シャーロック! 今ちょっと良いか!」


 金髪碧眼の若い男。僕も先生もよく知る人で、彼を見た先生は濡れた髪のまま仁王立ちした。


「調度良かったダニエル。出ていけ」


「全然良くなかったみたいだね!」


 髪の濡れた先生の姿に焦ったらしく、ダニエル巡査はすぐに事務所から出ていった。イングランド警察の末端、ダニエル巡査。この探偵事務所に、昔から仕事を斡旋してくれる人だ。


「……出ていくのは先生です……。早く髪を乾かしてきて下さい」


 呆れて言いながら立ち上がり、事務所の外で待機しているであろうダニエル巡査を呼びに行く。すると、


「髪が濡れていた……普段は見られない姿というだけでああも印象が……シャワーを浴びたばかりだったからか……? 通りで良い匂いが……」


「通報しますよ」


「うひゃあ!?」


 彼は発情していた。


「違うんだワトソン君! 今のはイングランド男子として、紳士として、美しい女性には好意を示さなければならないという本能があるからで!」


「御安心を、たった今掘った墓穴も含めて、先生には言いませんから」


 ダニエル巡査が先生に恋心を抱いている事は、先生以外は皆知っている事だ。




 先生が髪を乾かして事務所へ戻ってくると、ダニエル巡査はすぐに車を出した。


「事件だ。詳しくは移動しながら話す」


 とのことだ。


 ダニエル巡査が車を走らせている間に、僕と先生は大まかな現状を聞いた。


「トーマス・キャロウ、二十一歳、無職の男性。自室にて殺害されているところを、長女のキャサリン・キャロウ、十九歳が今朝未明に発見、か。──今朝未明?」


 早速先生が首を傾げる。


「今朝未明だと何かおかしいんですか?」


 僕が問うと、答えたのは先生ではなくダニエル巡査だった。


「そのキャサリンという子は、風俗店で働いているんだ。その日は予約が埋まっていたとかで、昨晩の二十二時に出勤し、本日の5時に帰宅した」


「だから、起きて人の部屋へ行くには不自然な時間になっていたのか。若いのに大変だな」


 あからさまな社交辞令を挟んだのは先生なのに、「そうだね」と同意したダニエル巡査を先生は「続きを」と急かした。


「キャサリンは食事等を済ませ眠ろうとした。時刻は六時頃。が、トーマス・キャロウの部屋の電気が着いている事に気付き、消しにトーマスの部屋へ行った。しかし部屋には鍵が掛かっており、合鍵は母のヘザー・キャロウのみが所持している。調度起きてきたヘザー・キャロウから鍵を受け取って部屋へ入ると、トーマス・キャロウが死亡していた、という流れだ」


「密室殺人ということか」


「そうだ」


 先生の呟きたダニエル巡査が頷き、途端に車内を緊張感が包んだ。


「ひとつ目、兄の部屋の電気が点いていた事が、合鍵を母から借りてまで消しに行くほど気になるような娘なのか?」


 先生が問うと、ダニエル巡査は運転しながら首を横に振る。


「母のヘザー・キャロウは足腰が弱いため短時間しか働けず、長男ダニエルは無職の引き篭もり。父親は離婚しているため、居ない。事実上キャサリン・キャロウの収入のみで三人の生活を養っていたため、貧乏らしい。電気代を節約しようとしたそうだ」


「なるほど。では二つ目。それならば長女のキャサリンがその家庭の実権を握っていてもおかしくない。何故キャサリンは合鍵を所持していなかった?」


「合鍵は元々三人で所持していたが、母のヘザー・キャロウが紛失してしまったらしい。家に居る時間が少ないキャサリン・キャロウが、自ら合鍵をヘザー・キャロウに渡していたと、ヘザー、キャサリン両名から確認出来た」


「なるほど」


 先生はしばし黙って、車れ乗り込んだ際に渡された写真へ目を向けた。殺害現場のものだ。僕もそれを覗き込む。


「トーマスさんが殺されたのは、働かずに引き篭もっていたから、身内に殺されたのでしょうか。無職にしては、娯楽のある部屋ですね」


 部屋は広くない。古いパソコンが一台。ボロボロのベッドがひとつ。黄ばんだ漫画本が並ぶ本棚。そのベッドの横で、男が横向きに倒れている。辺りの床には大量の血と、血まみれのベッドシーツがぼとりと落ちている。


「殺害動機としては。それだけでは弱いな」


「いや、そうでも無いよ」


 先生の否定を、ダニエル巡査がさらに否定した。


「壁の薄いアパートだからね、近隣住民の話では、母ヘザーと息子トーマスが口論する声が、真昼間によく聞こえていたそうだ」


「身体の都合でちゃんと働けない母と、全く働かない息子の口論ですか……。トーマスさんは何故働かなかったのですか?」


「障害とかは無いけれど、母ヘザーも息子トーマスも身体が弱かったらしくてね、トーマスは一度の就職後すぐ体調を崩し、ニートになって2年目だそうだ。母ヘザーもヘザーで、足腰だけでなく、しょっちゅう身体を壊していたらしくてね。今や睡眠薬が無いと眠れないらしい」


 ただ、と、ダニエル巡査は言葉を濁す。


「身体が弱い、というのは、周りから見て言い訳でしかなかったようだ。自堕落な生活を送っていたから体調を崩すだけ、とも、言われていたよ」


「つまり、無職であったことが殺害動機であってもおかしくないんけだな」


 結論まで聞いて、先生がふむと頷き、もう一度写真へ視線を戻した。


 ふと、その死体の横に、凶器らしきものが落ちていた事に気付く。槍の先端をそのままナイフにしたみたいな形だった。


「変わった凶器ですね。あと、すごい血の量だ」


 僕が言うと、「うむ」と、先生は頷く。


「円錐型(えんすいがた)の刃。柄もあるから、ナイフとは少し異なるのか……少なくとも、そこいらで手に入るものでは無さそうだが、これで刺せば傷口は広くなる。死因は失血か」


 先生の頭の中では既に推理が始まっている。


「今、死体検証と凶器の指紋を取ってるはずだ。着いた頃には結果が解る」


「うむ…………うん?」


 推理中の集中モードな先生から、集中力が一気に無くなる様がよく見えた。


「死体検証と凶器の検査もせずに探偵を呼んだのか?」


「え、早いほうが良いかなって」


「……馬鹿か、君は……」


「え!? どうして!」


「ワトソン君、無駄足だったかもしれない」


 そこで車が停車する。数台のパトカーが、古いアパートの前に留まっていた。


「先生、何か解ったんですか?」


 と僕が聞くと、先生が答えるより先に、壮年の警察がこちらへ向かってきた。


「おー、やはり呼び出されたみてぇで、すまねぇな、シャーロックとワトソン」


「うむ、おつかれ」


「先生、なんで偉そうなんですか……。お疲れ様です、エドマンド警部」


「おーおー、ワトソンはどこぞの放蕩(ほうとう)探偵と違って礼節を弁えてるから好きだぜ。パン食うか?」


「やったー!」


 差し出されたアンパンをすぐさま受け取る。本当はスコーンのほうが好きなのだけれど、背に腹は変えられないというか、甘いものはなんでも美味しい。


「ここがキャロウ宅のあるアパートか」


「なんだか、同じチェルムスフォードにあるとは思えない、なんというか、質素さですね」


 質素というより、本音を言えば、汚い、だ。


「おう、チェルムスフォードも広いんだぜ、世界に誇るトロピカル・ウィングスやチェルムスフォード美術館を始め、様々な観光地があるが、こういう人をぎゅうぎゅうに詰め込んだみてぇな住宅地もあるんだ」


「見て楽しむものばかりでつまらんな」


「ロンドンに行きたいです。エンタメは体験型こそ至高です」


「おめぇらそれでもチェルムスフォードの人間かよ……」


 エドマンド警部が肩を落としていたけれど、ちょっと頑張って移動すれば、それこそ世界に誇るロンドンがあるのだから、そっちに行きたいのは若者の宿命だと思う。


「それより警部、検査の結果は?」


 ダニエル巡査が尋ねると、エドマンド警部は一瞬の迷いの後、苦笑いしてこう言った。


「死亡推定時刻は二十三時半。凶器からはべっとりとヘザー・キャロウの指紋が見つかり、ついでに半分に砕いた睡眠薬も、ヘザー・キャロウの部屋から見つかった」


 少しの沈黙。先生は頭を抱え、ダニエル巡査は苦虫を噛んだような表情をする。


「トーマス・キャロウを殺害した後、睡眠薬の量を減らして摂取することで睡眠時間を偽装したと判断して、今、ヘザー・キャロウを連行した。──犯人はヘザー・キャロウだ」


 色々な意味で重たい空気が流れる。


「えっと……つまり?」


 僕が首を傾げると、先生が悔しそうにこう吐き捨てた。


「無駄足だったということだ」

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