君のいない世界

遠山七央

第1話

僕は考えた。困っている。とっても、だ。


 この十歳ほどの女の子にしなくてはならない説明、「テレビ」とは何かを、どう話したらいいのだろう。

だって、今僕がいるのは江戸時代末期なのだから。とても難しいことだとわかってもらえるだろう。


 なぜ、「テレビ」の説明を江戸時代で説明するのかって? 当然の疑問だ。

そもそも、なぜ僕が江戸時代末期にいるのか。そこから話さないといけなかったのだが。


 詳しくいえば、ここは西暦1869年5月31日の江戸。江戸市中というのはわかるんだが…おそらく神田あたりだろうか。この家の二階から神田明神とおぼしき神社が見えたからだ。神紋は流れ三つ巴だったかな。


 僕は平成生まれの24歳。横浜市内で大学院助手をしている。研究室で時間移動するための研究ををしているんだけど、その甲斐あってこの時代にタイムリープしたんだ。歴史にとても興味があってね。特に幕末の時代が大好きなんだ。それがこの時代をタイムリープ先に選んだ理由さ。


 この時代に到着した時、僕は気絶していたらしい。どれくらいの時間を無防備なままで過ごしたかわからないが、よく何もなく無事で目覚めたものだと我ながら驚いた。


着いた場所がどこかの海岸らしく、時間はまだ暗くて何もみえなかったので、夜中か。それで誰にも発見されなかったんだろう。タイムリープが成功したと理解できるまでは、頭がクラクラ、身体はガクガク。気持ち悪かったのなんのって、大嫌いなジェットコースターを100回乗った(実際に乗るわけないが)時の気分みたいに最悪も最悪だった。でも成功したとわかった時は全部吹っ飛んだよ。案外、冷静だなって? うん、まあ僕には確信があった。絶対うまくいくって。


ただし、僕ができるようになったタイムリープはこうだ。好きな時代、思った場所にピンポイントで行ける正確さだが、そこにいられる時間は限られる。しかも生涯一度だけ。


僕が生きている日本では戦争がはじまるんだ。安全保障条約というのかな、日本も戦争から逃げられないらしい。僕は研究に没頭してるからニュースを見ない。世間のことはよくわからない。大事なことだからって彼女が教えてくれた。彼女はなんとかという艦の乗組員でね、ミサイルにあたって海に沈んでしまった。僕はそのころ、タイムリープ技術が完成させた。そして決めたんだ。ここから逃げようと。彼女のいない世界にいてもしょうがないからね。そのかわりどうしても行きたいところに行こう。




僕はひとりで退屈そうに遊んでいた少女に声をかけてみた。大人に声をかける勇気がなかった。不審な人間が見つかったら、どんな扱いを受けるか怖かった。近くに少女の親らしい大人がいないかきょろきょろ確かめた。その挙動不審さ、怪しさで見とがめられたらおわりだという余裕もなかった。



 少女は、はじめは驚いた顔をしたが、話すうちに好奇心が強い利発な子だとわかった。この時代の女の子にしては、からくりに興味があるなんて意外だった。それにしても死んだばあちゃんのこども時代の写真によく似てるよな。


「走馬燈ってお盆にかざるものがあるだろう。あれがまわると馬が走っているように見えるよね。僕たちが普通に動いている様子を一枚の板みたいなものに、ある仕掛けを使って見ることができる。これをテレビと呼んでいるんだ。」

少女はキョトンとしたが、

「世の中には不思議なものがあるのね。あたしもおとなになったら見られるかな。板に書いた絵が動くなんて信じらんない。ああ、とうちゃんもかあちゃんもみんなもたまげるわ。」

と、大きく見開いた目をクルクルまわした。


「見られるようになるのは、まだまだ先の話なんだけどね。」

「お兄ちゃんは、なんでそんなこと知ってるの?海の向こうから黒船に乗ってきたの?」


君がいつかそれを見られるといいのに。心底そう思った。どうして江戸時代に来て「テレビ」の話になったのかわからない。


「君は女の子なのに、どうしてからくりが好きなの?」

「からくりを見ていると、胸のあたりがドキドキするの。いつかじぶんで作ってみたい。かあちゃんには女の子はそんなことするなって、いっつも怒られるんだけど。家の手伝いしろって。」


もしかしたら、あれは彼女が作ったものかもしれない。僕が小さい頃に爺さんちの土蔵で見つけた、古いからくり人形を思い出した。動かなかったのを、僕が分解して組立て直した。壊れてた小さな部品を作り直しもした。僕が機械いじりが好きになったには、あのからくり人形のせいなんだ。僕のその後の人生を決めた。


 無邪気に笑う少女の隣に腰掛けながら、僕は自分のこどもの頃を思った。

あの夕焼けが沈むまで、このままでいたいな。僕がこの時代から、いや、生身のからだが消滅するまであとわずかだ。


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君のいない世界 遠山七央 @nao_toyama

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