PERFECT HUMAN

柴咲もも

PERFECT HUMAN

 

 紅に染まる視界のなかで、その影は悠然と立ち上がる。

 両の腕から伸びた鋭利なが、弧を描くように宙を舞い、飛びかかるの身体を大小に引き裂いていく。指先の動きに従って地表に散らばった朱紅い雫が氷柱のように鋭利に尖り、奴らの腐った身体を百舌の早贄のように貫いた。

 ——やっぱりすげぇ! カムロギ・セツナは俺の英雄ヒーローだ!

 

 *

 

「セツナ! お前やっぱりすげぇな!」

 戦闘を終え、ドームへと向かう装甲車に乗り込むセツナに声を掛ける。ゆっくりと振り返ったセツナの顔は、血泥に塗れて酷いものだった。深い溜息をつき、制服の袖で顔を拭いながら、セツナは指先をちょいちょいと動かした。

「はやく乗れ、シンジョウ・アラタ。いつ感染者が現れるかもわからないんだ」

 ぶっきらぼうにそう言うと、セツナは壁に寄りかかり、帽子で顔を隠した。

 

《感染者》

 今から数十年前に、突如として拡散されたPHV(Perilous Hideous Virus)に冒された人間ものの総称だ。

 ウイルスに感染すると急な発熱が脳に影響を及ぼし、本来の人格が破壊されて凶暴性が増し、同種の非感染体を捕食するようになる。皮膚の表面が爛れ、肉が腐った奴らの姿は、はっきり言って滅茶苦茶グロい。体液に触れるとウイルスに感染する可能性が極めて高いため、俺たちのような《適合者》が奴らの襲撃から一般人の居住区域であるドームを守っているわけだ。

 

 西暦2XXX年、突如として世界中に拡散されたPHVにより、人類のおよそ8割が感染者となった。残された人々は各地に設営されたドーム状の隔離都市で、感染者との攻防を続けていた。人工的にPHVによる特殊能力を目覚めさせる技術を開発した人類は、PHVに適合したもの達を収容、育成し、彼ら——俺たち《適合者》を、対感染者用の戦士として軍隊を設立した。

 ウイルスに適合し、PHVの感染を恐れることなく生きることができる俺たちは《パーフェクトヒューマン》と呼ばれている。

 

「すまないが、先に部屋に戻らせてもらえるか?」

 施設に着くと、装甲車の荷台に寄りかかったままセツナが言った。

 心なしか気怠そうな声だ。先の戦闘で俺を庇って派手に交戦した所為もあるだろう。いや、寧ろそれが原因に違いない。

「良いぜ! 報告書は俺が出しといてやるよ」

 俺が親指を立てて笑ってみせると、セツナはニヒルにふっと口角を上げた。

 俺が同じように笑ったら、絶対犯罪者的な下卑た笑顔になるに違いない。元が美形だと同じ表情でも与える印象が全然違う。不公平な神の所業に俺は苦虫を噛んだ気分になった。

「よう、セツナ。飯でも行こうぜ」

 振り返ると、そっくり同じ顔をした背の高い二人組が俺にニッと笑いかけてきた。いや、正確には俺の向こう側に立っていたセツナに、だ。

「なんだ、ツナキヨかよ」

 ため息を吐いてみせると、二人は揃って俺を一瞥し、再びセツナに目を向けた。

 

 このふたりはツナシとキヨシ。双子の適合者だ。

 PHVへの適合性は遺伝子に関係するらしく、適合者の家族は適合者になれる可能性が高い。双子ともなれば、その適合率の高さはかなりのものだ。

 適合者は基本、戦場では二人でバディを組んで闘う。双子の適合者は意思の疎通もしやすいようで、ツナキヨは同期の中では戦績が高く、かなり威張り腐っていた。戦績トップのセツナのことが気に入らないらしく、二人はことあるごとに、こうやって俺たちに絡んでくる。

 だが、セツナはいつも至ってクールだった。俺の肩をポンと叩くと、ツナキヨには目もくれずに居住エリアへの連絡通路を渡って行った。

「相変わらず愛想の無いやつだな」

「さすがは他とは違うね」

 ツナキヨは大袈裟に肩を竦めると、二人揃って笑いだした。

 

《天然》‎とは、自然発生した適合者のことだ。人工的にPH能力に目覚めた俺たちとは違い、一度PHVに感染したにも関わらず、変異せずにPH能力者になる者が稀に存在するのだそうだ。能力値も極めて高く、彼らこそが真のパーフェクトヒューマンだと唱える科学者もいる。

 セツナの素っ気ない態度も当然だ。こうやって執拗に《天然》であることをネタにする奴らの相手なんか、頼まれたってしたくないだろう。俺だったら絶対に嫌だ。

 げらげらと笑い続けるツナキヨを無視して、俺は教官の部屋へ報告書を提出しに向かった。

 

 セツナはこのドームで唯一の《天然》だ。七年前の大規模な感染者掃討作戦の際、感染者によって滅ぼされた都市で、妹と共に発見された。

 自然にウイルスに適合し、そのちからで感染者を退け、隠れていたところを保護されたらしい。

 初めて施設に連れてこられたとき、セツナは血泥に塗れた酷い格好をしていた。他の連中は気味悪がってセツナを除け者にしたけど、冷めた目をしてひとりで訓練を続けるセツナが俺にはかっこよく見えたから、実戦投入前のバディ選択の際、俺は迷うことなくセツナを指名した。

 セツナが頭角を現したのは、訓練が終わり、実戦をこなすようになってからだった。他の追随を許さない強力なPH能力を自在に操って、セツナは単身で感染者の群れを駆逐した。何度も、何度も。俺の目の前で。

 俺の親父はドームの権力者のひとりで、俺は子供の頃から甘やかされて育ったから、ひとりで孤独に闘うセツナがとてもかっこいいように思えた。何度も戦地で助けられるうちに、セツナは俺の中で英雄的存在になっていた。

 

 報告書の提出を終えて居住エリアへと戻った俺は、施設へ帰還したときの気怠そうなセツナのことがちょっとばかり心配になり、斜め向かいのセツナの部屋へ立ち寄った。

 鍵は掛かっていなかった。扉を開けて中を覗くと、廊下の片側で半開きになった扉の向こうからシャワーの音が聞こえた。

「おーい、セツナ!」

 声を掛けたが返事がない。絶え間なく続くシャワーの音の勢いが普通ではない気がして、俺は慌てて浴室のドアへと駆け寄った。

 シャワーを浴びたまま倒れていたりしたら大変だ。そう考えて、勢い良く防水カーテンを開け放った、その直後。

「あばばばばばばば冷たッア————!」

 突然、顔面に向かって水が放たれ、俺は悲鳴をあげた。

 ちょっと待て、洒落にならないくらい冷たいぞこれ。

 放水が止まり、ようやく俺は顔をあげた。何度かまばたきを繰り返し、眼前の状況を確認する。頭から水にずぶ濡れたセツナがカーテンを体に巻きつけて、今までにない冷たい目で俺を見下ろしていた。

 俺、何か悪いことしたっけ?

 考えようとした矢先、全身が震え上がり、俺は派手なくしゃみをした。

「つめたっ、おまっ、修行でもしてたのかよ!?」

 両腕を抱えてガタガタ震えながら、もう一度セツナを見上げて。

 あれ……?

 目の前の違和感に、俺はようやく気がついた。同時に、突然の理不尽な仕打ちの理由もわかった。

 セツナと初めて会ったのは、お互い八つのときだった。それから二年間、兄弟のように寝食を共にしていた。個室が与えられる年齢になっても、セツナは相変わらずかっこよかったから、俺はすっかり忘れてしまっていた。

 カムロギ・セツナは、女の子だったんだ。

 

「いつまでそうしてるつもりだ。風邪をひくぞ」

 素っ気なくそう言って、セツナは扉にかけてあったタオルを手に取った。体を拭いているセツナの姿がカーテンの向こう側にちらちらと見え隠れしたから、俺は慌てて浴室を飛び出した。

 

「それで、何か用でもあったのか?」

 セツナはトレーニングウェアに着替えると、清涼飲料水をコップに注ぎ、俺に手渡した。

 そこはほら、暖かい飲み物をね。

 などと言えるはずもなく、未だ動揺を隠せないまま、俺はセツナの問いに答えた。

「ほら、お前、さっき調子悪そうだったから、大丈夫かなって思ってさ」

「そうか、心配をかけたな」

 そう言うと、セツナは珍しく優しい笑顔を見せた。ほんの数分前に見た光景のせいで、余計に調子がくるってしまう。いつもと変わらないセツナを相手に少しばかり世間話をして、俺ははやめに部屋に戻った。

 

 結局のところ、俺はその日から一週間、風邪を拗らせて寝込むことになった。その間、感染者の襲撃がなかったのは幸運だったと言えるだろう。バディの俺が出撃できなければ、のセツナも出撃できず、戦況は不利になるからだ。

 俺が戦線に復帰したその日、俺の回復を待っていたかのように感染者がドーム近郊 に現れて、出撃命令が下された。

 

 *

 

「もう大丈夫なのか?」

 セツナに声を掛けられて、俺は力強く頷いた。

 すっかり回復した俺は、久しぶりの出撃で同期達と装甲車に乗ってドームから数キロ先の森付近へと向かっていた。感染者が放つ微量のPHVに森の木に仕掛けられたセンサーが反応したことで、ドームに厳戒態勢が敷かれたからだ。

 目的の森は比較的広く、俺たちは今回の作戦では二組ずつ合同でチームを組んで任務に当たることになっていた。

「戦績トップのお手並み拝見、ってとこだな」

 顔を見合わせて頷きながら、ツナキヨの片方が言った。正直俺にはどっちがどっちかわからないんだけど、とにかく今回の任務では俺たちとツナキヨがチームを組むことになっていた。

 愛用のブレードを鞘から引き抜いて、いつか観た古いアクション映画のヒーローみたいに研ぎ澄まされた刃に口付けると、ツナキヨが揃って俺を指差した。

「お前、なんだそれ。気持ち悪ッ」

「ヘッヘッヘ、カッコ良いだろ」

 胸を張って笑ってみせる。隣に座っていたセツナにも鼻で笑われた気がしたが、悪い気はしなかった。

 

 生暖かい風に吹かれながら装甲車は荒野を進み、目的の森へと到着した。周囲に感染者の気配はなく、俺たちは作戦通りチームごとに分かれて森を包囲した。

 指示通りの配置につき、制服に取り付けられた通信機で司令部の連絡を待つ。指の骨をポキポキと鳴らすツナキヨの姿を眺めながら、今回こそは俺も手柄を立ててやると意気込んでいた、そのときだった。

 通信機が耳障りな音を拾う。ザーザーと雑音が煩いせいで、内容が上手く聞き取れない。セツナとツナキヨの様子を確認したが、三人とも小さく首を振るだけだった。

『‎——い……‎——総い‎……‎——ッ』

 一瞬司令部の教官の声が聞こえて、同時にブツッと音声が途絶えた。

 

 嫌な予感がした。

 森の向こう側から銃声や人の声が聞こえた気がする。既に戦闘は始まっているのだろうか‎。

「どうする? セツナ」

 俺が振り向いたのと、セツナが右腕を薙いだのは、ほとんど同時だった。

 変形したセツナの腕が、瞬時に俺の後方の暗がりを貫く。僅かな間のあと、奇妙な叫び声と共に黒い影がふらふらと茂みの奥から現れた。地面に転がったのは、今まで見たことのないタイプの、奇妙な変異を遂げた感染者だった。

「気をつけろ! 囲まれている」

 声を押し殺し、セツナが言い放つ。俺もツナキヨも、感染者の接近に全く気付いていなかった。

「気付くのが遅すぎた。アラタ、ツナキヨも、全力で装甲車まで撤退するぞ」

 淡々と指示するセツナの頬を一筋の汗が流れ落ちる。

 装甲車まで、撤退……?

 セツナの判断に、俺とツナキヨは揃って首を傾げた。

「待てよセツナ。本当に装甲車は無事なのか?」

 ツナキヨの言葉に、セツナは答えようとはしなかった。だが、俺たちには考え込む時間などなかった。

 独断でセツナが駆け出して、その直後、周囲の暗がりから感染者の群れが一斉に飛び出してきた。ツナキヨ顔を見合わせて、俺はすぐさまセツナの後を追いかけた。

 通常、感染者は動きが鈍い。瞬間的に素早い動きをする個体もいるにはいるが、長距離を走って追いかけてくるような個体とは、今まで一度たりとも遭遇したことがなかった。

 だが、今回は違っていた。走っても走っても、全速力の俺たちに遅れも取らず、奴らは後を追ってきた。

「くそッ、くそッ、どうなってやがる!」

 悪態をついたツナシの膝が、ガクガクと震えていた。限界が近い脚を気力だけで動かして、俺たちはひたすらに走り続けた。

「見ろ! 装甲車だ‎——」

 道の先を指差して、キヨシが安堵に目を輝かせる。だが、ほっとしたのも束の間だった。目の前に広がった悲惨な光景に、俺たちは息を呑み、足を止めた。

 視線の先にあったのは、装甲車を取り囲む感染者の群れだった。寸分先に立ち止っていたセツナが歯を食いしばり、苦々しく呟いた。

「交戦するしかない……!」

「冗談だろ!? こっちはたったの四人だぞ!」

 ツナシがセツナに食ってかかる。その間にも、感染者の群れは俺たちに迫っていた。

「後方の感染者は私が処理する。君らは装甲車を奪還してドームへ向かえ」

 言い放つと同時に、セツナの両腕が禍々しくかたちを変えていく。俺とツナキヨは頷き合い、各々の武器を手に取った。感染者の群れに立ちはだかるようにして、セツナが俺たちに背を向ける。

「無理すんなよ」

「誰に物を言っているんだ」

 素っ気ない言葉を交わし、俺たちは別々の方向に走り出した。

 

 装甲車は既に目と鼻の先にある。左右の暗がりから飛び出してきた感染者を、盾のように変形したツナシの腕が突き飛ばす。続けざまに飛びかかった影を、キヨシの槍が貫いた。俺も愛用のブレードで、ひとり、またひとりと感染者を薙ぎ払い、無我夢中で走り続けた。

 装甲車を取り囲んでいた感染者の群れが、俺たちに気付いて一斉に振り返る。荷台の周りに散らかった残骸が嫌でも目に入り、目を覆いたくなった。それは紛れもない、さっきまで生きていたはずの、仲間だったものの残骸だった。

 俺は込み上げる吐き気を堪え、襲い来る感染者へと目を向けた。その視界が、一瞬で朱に染まる。

 殴り付けられたような衝撃のあと、頭部が燃えるように熱くなった。

「痛ッ——」

 ツナキヨが何かを叫んでいたが、言葉が聞き取れなかった。ぐらぐらと揺れる視界に映ったのは、投石器のようなものを手にした感染者の姿だった。

(感染者が、道具を……?)

 脚から力が抜けて、俺はその場に崩れ落ちた。感染者の群れが、目の前に迫っていた。

(ウイルスなんて怖くないけど、噛まれるのは嫌だな……)

 肉片と化した仲間の亡骸が脳裏に浮かぶ。俺は死を覚悟した——瞬間、黒い影が目の前を過ぎる。

 

 紅に染まる視界のなかで、その影は悠然と立ち上がる。

 両の腕から伸びた鋭利なが、弧を描くように宙を舞い、飛びかかるの身体を大小に引き裂いていく。指先の動きに従って地表に散らばった朱紅い雫が氷柱のように鋭利に尖り、奴らの腐った身体を百舌の早贄のように貫いた。

 動くもののいなくなった視界の中で、その影は——セツナは俺を振り返り、それからニヒルに笑ってみせた。

「セツナ……やっぱりお前は……」

(俺の英雄ヒーローだ……!)

 朦朧とする意識のなかで、俺はセツナにあらんばかりの賞賛の言葉を投げかけた。砂利を踏みしめる足音が近付いてくる。

「まったく、きみという奴は……たまには頼り甲斐のあるところを見せてくれ。男だろう?」

 耳に心地良いセツナの声が聞こえて、俺の意識はぷつりと途絶えた。

 

 *

 

 目を醒ますと、見慣れた天井が目に入った。ベッドの上で起き上がり、俺は辺りを見回した。包帯の巻かれた頭部が痛んだけれど、そんなことはどうでも良かった。

「落ち着いて、アラタくん」

 ベッドの傍らで椅子に腰掛けていた救護班のサナエさんが言った。

 感染者の群れに追われて装甲車に向かう途中、通信が途絶えて、奴等と交戦することになって——それ以降の記憶がない。

「サナエさん、俺……。セツナは? ツナキヨは……?」

「ツナシくんとキヨシくんなら、あなたと同じよ。自室で休んでいるわ」

 そうか、あいつらも無事だったんだな。

 ほっと息をついた俺に、サナエさんは事の経緯を掻い摘んで説明してくれた。どうやら俺たちは、司令部からの連絡が途絶えたことで本部が出動させた応援部隊に回収されたらしい。

 最後まで説明を受けて、俺はハッとなってサナエさんに詰め寄った。

「セツナは?」

 俺の問いに、サナエさんは一瞬躊躇いを見せた。僅かに考え込んだあと、彼女はおもむろに口を開いた。

「アラタくん、落ち着いて答えてちょうだい。最後にセツナさんの姿を見たとき、彼女はどんな姿をしてた?」

「どんなって……」

 俺は記憶に残るセツナの姿を思い起こした。

 紅に染まった視界の中で、「男だろう」と俺を茶化したセツナ。あのときの彼女は、どんな姿をしていただろう。

 はっきりと見えなかったわけじゃない。あのとき俺は、見えていないふりをしたんだ。

 あのとき、セツナの目は血で染まったように充血していて、皮膚はぐちゃぐちゃに爛れていた。まるで感染者のように。

「セツナさんは‎——《天然》と呼ばれる人々は、あなたたちとは根本的に違うの。能力を使えばウイルスが活性化して、酷い発熱が体組織を破壊しにかかる。だから、セツナさんは能力を必要最低限にしか使わないようにしていたはずなの」

 俺は、一週間前のあの日を思い出した。

 不調を訴え、部屋に戻ったセツナ。馬鹿みたいに冷たかったシャワー。

 あのときセツナは汚れた身体を洗い流していたわけじゃない。セツナはあのシャワーの水で全身を冷却することで、活性化をはじめたウイルスを抑制していたのだ。

 

「ウイルスが活性化して発熱を止められなかったら、どうなるんですか」

 絞り出した俺の問いに、サナエさんは俯いて小さく首を振った。

 握り締めた拳が熱い。気が付けば、爪が手のひらに食い込んで、じわりと血を滲ませていた。

 長い沈黙のあと、サナエさんは小さく折りたたまれた紙を俺に向かって差し出した。

「これ……自分に何かあったらあなたに渡して欲しいって、セツナさんが」

 手紙とも言いがたい、洒落っ気の欠片もないその紙を、俺は震える手で受け取った。

 

『親愛なるシンジョウ・アラタ

 このようなかたちでしか気持ちを伝えられない私を、どうか許して欲しい。この手紙をきみが読んでいる頃には、きっと私はきみの側には居られなくなっているはずだ。

 私はドームを去らなければならなくなった。だからきみに、妹のことを頼みたい。

 きみには世話になってばかりだが、戦場では何度もきみを助けた私の頼みだ。断らないで欲しい。

 これでも私は、きみに感謝しているんだ。天然の私を恐れもせず受け入れてくれたきみに。

 何度傷付いても立ち上がるきみに、私は幾度となく勇気付けられてきた。

 シンジョウ・アラタはカムロギ・セツナを英雄ヒーローだと言ってくれたが、カムロギ・セツナの英雄ヒーローはシンジョウ・アラタ、きみだった』

 

 綴られたインクがこぼれ落ちた涙で滲み、その先を読むことはできなかった。濡れた頬を手のひらで拭い、俺は部屋を飛び出した。

 大丈夫だ。カムロギ・セツナはPHVなんかに負けたりしない。

「待ってろ、セツナ。必ず俺が、お前を捜し出してやるからな」

 

 闇に覆われた荒野に、赤黒い血痕が点々と続いていた。

 暗闇に蠢く気配を感じながら愛用のブレードを握り締め、俺はドームを後にした。

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