第4話 あなたは幸せでしたか?

 朝日が差し込み、あまりの眩しさのせいで意識が戻ってきた。起き上がり、辺りを探すが見当たらない。すると、毛布の中で何かが動いた。めくりあげると、探していた黒い生き物と目があった。

「おはよう、カゲ」

「……うん。おはよう、優」

 彼女から違和感をなくすのは思っていたより大変だった。まるでゲームのキャラ作成のように細かく決めないといけなかった。話し方や名前、決まりごとなど色々なルールを決めていく際に彼女が事細かに聞いてくるので精神的な拷問(きっと無自覚)で何度も恥ずかしさで死にたくなった。そうやってなんとか彼女を元に戻すことができた。けど、これが本当の彼女なのかは分からない。自分の理想図を無理矢理押し付けたのかもしれない。それでも、できるだけ彼女に素でいてほしかった。

「……優は、お腹すいた?」

「空いてるかな。カゲは?」

「……わからない。けど、優が食べたいなら私もそうしたい」

 彼女と恋人になったが、それで幸せにさせられるかわからない。僕は十日間で彼女に幸せを教えれるのだろうか。


 朝食は、いつも食べる食パンをトースターで焼いて棚の奥にあった苺ジャムを焼け目のついたパンに塗る。牛乳をそえて、十分もしないうちに完成した。

「簡単なものでごめん」

「……いいよ。これもおいしそうだから」

 さっそくパンを食べようと思ったが、彼女が手を合わせて待っていた。

「どうしたの?」

 彼女は不思議そうに首を傾げていた。

「いただきます、しないの?」

「……そうだね。すっかり忘れてた。それじゃ、手を合わせて」

「「いただきます」」

 彼女はパンにかぶりつく。表情は変わらないけど、美味しそうに食べていているように見えた。

「……食べないの?」

「ううん。食べるよ」

 パンを恐る恐る口の中に入れる。ぱりっという食感に苺の甘さがあって、いつも食べていたパンとは別物みたいに感じた。すごく美味しかった。


 幸せとはなんだろう。彼女に教えるにしても、教える立場の僕自身も正直わからない。例えば、家族と過ごす時間だったり、友達と遊ぶときだったり、欲しいものが手に入ったりと人それぞれの幸せがある。その中で僕は恋人同士で過ごすを選んだ。今まで彼女なんてできたことないから、それが直接幸せにつながるか知らない。けど、他にいい方法を思い浮かばなかったわけでもあり、言ってしまったからには恋人を演じないといけない。

 今、僕らは人生初デートをしていた。

「本当にここでよかったの?」

「……うん」

 それは段々と馴染みになってきた広場に来ていた。今日は週末のためか人がいつもより多かった。そんな中、僕は手を繋いた。

「……どうしたの?」

「人通りが多いから、はぐれないように。それに恋人同士だから普通かなって」

「……そう」

 彼女の反応は薄かった。恋人になれても気持ちまでそうなるようにはしていない。あくまで自然体で素直でいてほしいと願ったからだ。けど、この後は特に会話することもなくただ広場の中を歩いただけになった。


 今日はクレープの移動販売車が来ていて、大盛況だった。買うまでに少し時間がかかった。

「はい、どうぞ」

「……ありがと」

 彼女に『苺とバナナチョコ』クレープを渡し、僕も前と同じ『ホイップカスタード』を頼んだ。クレープを持ったまま手を合わせることはできないので、口先だけでいただきますを言う。

「どう、美味しい?」

「……わからない。食べてみる?」

「それじゃ、一口だけ」

 人から食べさせてもらうこと自体、初めてでなんだか気恥ずかしかった。食べたところは、苺が入ってて酸味の中にクリームやチョコの甘みが引き立っていた。

「うん、美味しいよ」

「……そっか。これ、美味しんだ」

 小さな声で何か言ったような気がするが、他の人の声が混じってよく聞き取れなかった。彼女は僕が食べたところをまじまじと見てから、クレープを黙々と食べ始めた。僕も自分のを食べ始めたが、ふと周りから視線を感じた。何人かがこちらを見ていた。それらはなんだか奇妙なものを見るような目で、決して気持ちのいいものではなかった。お互いが食べ終わり次第、僕は彼女を連れてその場を離れた。


 とにかくひと目のつかないところへ行きたかった。気づけば、あの屋上へと来ていた。あの日に置かれた枯れかけている花束と倒れた缶ジュースが残っていた。

 千条はあれ以降ここに来ていないのだろう。僕はあの子に嫌われているから出来れば会いたくない。

「……どうしたの、優?」

「いいや。なんでもない」

「……そう?」

 そもそも呑気に学校サボって女の子とデートしているところを見られたら、今度は一発ぐらい殴られそうだ。それを想像しただけでも胃が痛くなる。

 僕は考えるのを止めて、その場に寝転がった。今日は空が晴れていて綺麗な青を見せていた。彼女も同じように寝転がり、会話もないまま空を見ていた。こんなのが初デートで良かったのだろうか。次からはしっかりと予定を立ててからしようと思った。残った時間はそんなに長くない。僕は行きている間に彼女を幸せにできるのだろうか。いろいろと考えていると、温かい日射しに照らされたせいか、まどろみから深い眠りについていた。


 目を覚ますと目の前に彼女の顔があった。

「……おはよう、優」

「お、おはよう、カゲ。もしかして僕寝てた?」

 頭になんだか冷たくて柔らかいものを感じた。もしかして、これが噂の膝枕なのだろうか。

「……二時間ぐらい」

「ごめん。すぐに起きるよ」

「……いいよ。このままで」

 ここで起き上がって、遅れた分のデートをしないといけないが、今の状況を捨てるのはすごくもったいなく感じた。そうして、彼女の言葉に甘えた。

 それから直接彼女に聞いてみることにした。

「カゲは、幸せってなんだと思う?」

「……幸せ?」

「質問を変えるね。カゲにとっての幸せはなに?」

「……わからない。優は?」

「僕もわからない。周りに合わせたり逃げたりしているばかりで、幸せなんて考えたこともなかった。そんなものは一部の人間にしか無いものだと思ってた」

「……私は人間じゃないよ?」

「それでも、こうやって話すことができる。確かにカゲは感情が乏しいけど、無いわけじゃない。だから、カゲでも幸せになれると思うんだ」

「……それって、必要なこと?」

「幸せじゃなくても生きることはできるから正直必要かはわからないけど、きっと幸せだったらいい人生だったって思うことができるじゃないのかな」

「……優は私のことを幸せにしたいの?」

「そうだね。頼まれたことだし、自分でもそう思っている」

「……私が幸せになったら、優も幸せになる?」

「その時にならないとわからないけど、きっと幸せになるんじゃないかな」

「……そっか。なら私、幸せになる。そして、優を幸せにする」

「そうなれれば、いいね」

 僕たちは幸せを知らない者同士、それはまるで夢に憧れる子供のようだった。


 二人で狭いベットの中で、お互いのことを話した。僕が友達を見捨てたこと、父がもう帰ってこないこと、いじめにあったこと、自殺しようとしたこと。彼女は気づいたら死神になっていたこと、これまで多くの魂を回収したこと、他にも仲間がいること。それから、どうやら死神は死期の近い人しか見えないらしく話すことも触れることも基本できないらしい。これで公園で感じた視線の理由がわかった。

 理由が分かれば、それ以上に不安がることはない。他人の目より今はお互いが幸せになることのほうが大切だ。彼女は特に行きたいところがないらしいので、とりあえず浮かんだものを片っ端から行くことにした。これまで使うことのなかったお年玉がここで役立った。

 日が上がれば、おはようを言い、朝食を一緒に食べる。それから、デートの目的地まで行って遊んだり食べたりした。暗くなったら、家に帰って夕食を一緒に食べて、明日の行くところを話し合う。風呂から上がったら、二人でベットに入って今日思ったことを眠くなるまでお喋りし続けた。

 映画館や水族館、遊園地にも行った。どれも必ず二人分のチケットを買って、堂々と入った。やっぱり向けられる視線は痛かったけど、彼女といれば次第と平気になっていった。お互い素直に思ったことを言い合った。疑問に思ったことを納得するまで話し合った。気になるものがあったら報告しあった。彼女の表情の変化はよく見てないとわからないが、感情の表現は分かりやすかった。そんな彼女を過ごして、胸の中が何かで一杯になっていった。そんな日々が楽しかった、心からそう思った。

 そうして楽しかった日々も残すは最後の一日となった。


「おはよう、カゲ」

「……おはよう、優」

 この十日間で当たり前になった挨拶。これが最後だと思えなかった。

「朝食の準備するか」

「……うん。今日は、私も手伝う」

 ただトースターでパンを焼いたり、ジャムを塗ったり、牛乳をコップについだりするだけでもなんだか愛おしくなる。

「「いただきます」」

 前までは吐き気を催していたのに、今となっては少しもったいない気がする。しっかりと最後の朝食を噛み締めた。冷たい牛乳も飲み干し、食器を片づける。

 昨日の夜に書いた新しい手紙を食卓の上に置いておく。

「それじゃ、いってきます」

「……いってきます」

 そうして僕らは、初めて出会った場所に手を繋いで向かった。


「今日で最後か。ずいぶん早かった」

「……そうだね」

 屋上から下を見ると、制服をきた子どもたちが登下校していた。今、飛び降りたら下にいる人にトラウマを与えてしまうだろう。だから、死ぬのはもう少し先。

「カゲはこの十日間幸せだった?」

「……どうだろう? この十日間はいろんなことを見て知って感じた。その中に幸せはあったのかな?」

「僕はカゲ自身じゃないから、わからないよ」

「……優は、どうだった? 幸せだった?」

「まだわからない。けど、それを確かめる方法は思いついた」

「……それは――」

 僕は彼女を抱きしめる。足が震える。息がうまくできなくなる。心の底から恐怖が湧き上がっていく。

「駄目だな。こうすれば分かるかなと思ったのに逆効果だ」

「……優、震えてる」

「なあ、カゲ。やっぱり死ぬの怖いよ。僕はまだカゲと一緒にいたいよ」

「……私はここにいるよ」

「カゲは、僕がいなくなったらどう思う?」

「………………わからない」

「……そっか」

 僕は彼女を離した。彼女はその場から動かなかった。僕は柵を乗り越え、あの日と同じ場所に立った。

 僕は彼女を幸せにできたのだろうか? 正直、寂しいと言ってもらえなかったことがすごく悲しかった。僕は彼女に対して感情が芽生えた。彼女と過ごしてきっと幸せだった。けど、今となってはその気持ちは残酷にも恐怖を掻き立てる。まだ死にたくない。そう思ってしまった。けど、今日はどうやっても逃れなれないわけで、この気持ちが続くのなら終わりにしたい。僕は、飛び降りる覚悟を決める。けど、最後に彼女へ直接伝えたい。そう思い、振り返った時、強い風が吹いた。支えになるものもなく、体はそのまま落下し始めた。最後の最後で伝えることができないなんて。けど、それでよかったのかもしれない。これが逆に彼女を苦しめるかもしれないのだから。

「優!」

 僕の手に冷たい手が触れた。けど、掴むことはできずに体は落ち続ける。すると、彼女が胸に飛び込んできた。僕は彼女をかばうようにしっかり抱きしめ、地面に叩きつけられた。意識はそこで途切れた。


「……ゆ…………う………………優!」

 重たい瞼を開けると、そこには赤い世界に映る彼女の姿があった。

「……優! 私、優に死んでほしくない。私、優が死ぬと思うと胸が苦しくなる」

 彼女は涙を流していた。それはとてもきれいな涙だった。

「これが幸せなの? それなら、こんなのいらない。ほしくなかった!」

 違うと言いたかった。けど、声が出ない。彼女の涙を拭く力も残っていなかった。

「ねえ、優、教えてよ! 今までみたいに答えてよ……」

 それはもう、君自身が気づかないといけないことなんだ。僕はもう教えることはできない。

「優………ゆ…………う――」

 もう声が聞こえなくなってきた。音も景色も感覚も全て暗闇に溶けていった。


 僕は一つだけわかったことがある。僕は幸せだった。君が泣いてくれたから。気持ちは伝えられなかったけど、それでも気づいてくれたかな。どうか、君も幸せだったことを気づいてほしい。それだけが僕の心残りだ――。


 

 優の魂を回収して二週間が過ぎた。私はたまにこの屋上に来る。ここに来れば、答えが分かるような気がして、でも結局わからないまま。

「……あなたは幸せでしたか?」

 言っても誰も答えてくれなかった。けど、その時優しくて温かい風が私を包んでくれた気がした。

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死ぬ前に少しだけ待って下さい 相桐 朱夏 @Aigiri

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