バスタブにドリップ、霞ひとさじ
お風呂でも眼鏡をかける人がいることを、最近知った。
シャワーで濡れた茶色い眼鏡のフレームが、色っぽく光を受け止めていて、思わず「コーヒーみたい」、と呟いた。
身体を流していた彼が、「何が?」と聞き返してくる。「これ」、と眼鏡を指しても、彼にはいまいち伝わらないようだった。今年付き合い始めたばかりのわたしたちには、まだまだ意志の疎通にハードルがある。
濡れたフレームを眺めながら、昔彼と行ったカフェのことを思い出した。
メニューを見ながら、「カフェオレとカフェラテって何が違うの?」と尋ねると、「ラテは、エスプレッソを使ってるのかな」と教えてくれた。濃いから美味しいんだな、なんて思いながら、それ以降、注文に悩むとカフェラテを頼むようになった。
昔は選択肢にさえあがらなかった飲み物が、今では当たり前になっている。コロナ禍で在宅勤務に切り替わってからは、ドリップツールを買い揃えた。
きっかけは、友人に連れて行ってもらったコーヒー専門店で飲んだ一杯だった。彼に従うがままに注文したコーヒーをひと口すすり、わたしの口をついて出たのは「甘い!」という驚きの声だった。
友人は少しはにかみつつ、「ここのは美味しいよ」と呟く。お気に入りを教えてくれたことが嬉しくて、わたしはしばしばそのお店に足を運ぶようになった。その内コンビニのコーヒーが飲めなくなって、「眠いから」飲んでいた飲み物は、「美味しいから」飲むものに変わっていった。
コロナの脅威が収まりつつある中で、長らく会っていなかった友人に会う機会ができた。
久しぶりに言葉を交わした時、懐かしさよりも違和感を覚えてしまう時がある。旧友の乱れた性生活の話を聞かされるうちに不快感に飲み込まれそうになり、同席していた別の友人にその場を預け、スマートフォンに目を落としてしまった。
昔はそんな話しなかったのに、もっと楽しかったのに。
友人が変わったのか、わたしが変わったのか。別の人生を歩んでいるのだからそんなことは当たり前なのに、わたしはその変化を受け止めることができなかった。
(歳を取ると友だちが減っていくって、こういうことか)
スマートフォンを弄りながら、ぼんやりと時間が過ぎるのを待っていた。
わたしだって、コーヒーひとつに二度も人から影響を受けている。良いか悪いかは知らないけれど、絶えず何かと触れ合って、何かから影響を受けて、変わり続けるのが人なんだろう。
(変わり続けながらも同じひとと一緒にいるって、なんて難しいことなんだろう)
ぼーっと眺めているうちに、コーヒー色の眼鏡は浴室を出る彼の手に連れられ、思考に溺れるわたしだけが浴槽に浮かんでいた。
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