おれ、冷たいの飲めないんだよね 2
電車に乗り込み、久しぶりにイヤホンを耳に射し込む。
自分の脈拍が鼓膜を打ち、あーうるさいな、と思いつつも車内のノイズが幾らか遮断できることはありがたく思う。
昔から感覚が過敏な方で、大人になってからは特に聴覚に苦痛を感じることが多い。こどもの頃を思い起こすと、母親が発達障害を疑わなかったことを不思議に思う。着心地が嫌で服を着ない、プリントの折り目にかんしゃくを起こすなどはしょっちゅうだった。(今でもその名残はあるが、昔に比べればマシな方だ)
発語も遅く、一般的に喋り始める年齢になっても、私は泣かず・笑わず・喋らず・動かずだったらしい。母が「成長には個人差があるから」とする一方、父は私が障害を持っていると信じて疑わず、「脳を検査しろ!」と言っていた。その後無事に喋るようになるわけだが、父は「障碍者は社会のお荷物」など、とんでもないことをのたまう差別主義者だ。そのまま喋らなければ私は父に殺されていたかもしれないし、配偶者が我が子殺しとあれば、母もいなくなっていたかもしれない。当時、喋ることに興味をもってくれた自分に感謝をしながら、生まれ故郷に向かった。
念願の「本の読める店」に足を踏み入れる。
静かでいい匂いがして、ほんのり暖かい。この時期は暖房がキツくて汗ばんでしまうことが多いなか、優しい温度設定が嬉しい。入口で手の消毒をしてから中ほどに進むと、既にソファ席がふた席埋まっていた。座席をぐるりと目視したところで、「お好きな席へどうぞ」と、これまた優しく声がかかる。自分の身長に対しては少し背が高い、残りのソファ席へ腰かけた。
メニューを開くと、まずコーヒーではなくお酒が並ぶ。ここは喫茶店ではなく、「本の読める店」。スターバックス宜しく、ブレンドをあ行とする必要はない。(はたまた、単に店主が酒好きなのかもしれない)
酒は好きだが、詳しくはない。ずらりと並んだカタカナが頭の中を泳いでいくのを感じる。見慣れた文字列を求めて何枚かページを送り、コーヒーのメニューを見つけた。
しかし、このメニューの目玉はこの先にある。コーヒーから紅茶、サイダー類、食事を通り過ぎると、「『本の読める店』の案内書き」と書かれたページが現れる。
この店の一番の価値は、その場の空気と環境だろう。何にも邪魔されずにじっくりと読書を楽しめる環境。そのためのルールが、このページの先に並べられている。決まり事の多くが騒音についてで、「こんな音はOK、こんな音は少し気になります。周りの人に敬意を持って、心地良い環境作りにご協力を」という、なんとも優しいルールブックだ。
これは個人差があるだろうが、私にとって街中で何かに集中しきるのはなかなか難しい試みだ。カフェで読書をするとなっても、店員や客の声、食器の音、視線、その他諸々が気になってしまって仕方ない。店が混雑してきたら、席を譲るか、ああでもここで読み止めたら中途半端だ…、などと気になって読書どころではなくなってしまう。
また、これは家庭環境の問題だが、私は挙動に伴う騒音が苦手だ。父が物音に異常に厳しい人であったため、足音、ドアの開閉音、食器や本を置く音など挙動に伴う全ての音をたてないように無意識に意識するように育った。それは良いことのようにも思えるが、自分が音をたてない分、人がたてる音に過剰に敏感になってしまう。
最近まで、私は自分の周りの人が常に何かに怒っているように見えていた。大体の人が足音を鳴らしたり、ペンを置くときに音がしたり、ドアをバタン、と閉めるからだ。しかし、恋人との同棲期間、
「何か怒ってる?」
「怒ってないよ、どうして?」
「強く扉を閉めたから」
「えぇ、そうかなあ。ごめんね」
というやり取りを何度も繰り返して、人がたてる生活音の殆どに大した意味がないことを学んだ。(今でも時折、怒ってるかと聞いてしまうことがあるが…)
店主やこの店の客も、私と同じく些細な物音を感知してしまう人なんだろうと、ルールブックから滲み出てくる。
既に読書に耽っている来客と、3人の店員からの敬意と優しさを感じながら、そっと手を挙げる。朝からひと言も発していない寝起きの喉で、温かいカフェオレとチーズケーキを頼んだ。
私も彼らに敬意を払いつつ、そっとメニューを閉じ、本を開く。
優しい空間に身を委ねる。しばしの現実逃避を味わう。
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