姉妹
2017年9月14日木曜日
私はシスコンだ。
四歳年上の姉のことが、この世界の女性の中で一番と言っていいほどに好きだ。
そして姉も私のことが大好きだ。自他ともに認めるシスコン姉妹である。
姉と私の手には、左右対称になるようにほくろがある。
私は左手の中指の左側、姉は右手の中指の右側だ。
そのせいかどうかはわからないが、私と姉の間には不思議な繋がりがある。
どれだけ遠くにいても、お互いの体に起きている痛みがわかるのだ。
姉が陣痛の痛みに耐えている間、私のお腹も痛かったし、私が右腕の痛みに昼寝から目覚めた時、姉もまた右腕を痛めていた。
この不思議な痛みの繋がりは、幼少期のころからずっと続いている。
私たちは、痛みを分け合って生きているのだ。
今朝、姉から電話がきた。暇なときは大抵、「お昼を食べよう」と連絡がくる。
今日もその電話だった。
私のリクエストに応えて、姉が自宅で手料理をふるまってくれることになった。
私は姉の手料理が好きだ。喜々として家をでた。
姉の家に着くと、残り物のポトフ、お味噌汁、目玉焼きと厚切りのベーコン、つやつやのお米、伊勢丹の地下で買った美味しい塩辛が私を待ち受けていた。
私の食の好みを知り尽くした姉の料理は、私にとっての最高のご馳走だった。
目玉焼きは私好みの半熟だ。
姉が、「ごはんの上に乗せて食べたいんでしょう」と言って、半熟に仕上げてくれた。全く姉にはかなわない。もし結婚できなかったら、姉と二人で暮らしたい。
食べ終えて、「はー、幸せ。」と呟いた。
これだけ仲の良い私たちだが、小さいころは喧嘩ばかりだった。
私は姉の気の強さに負けていつも泣いてばかりで、言いたいことを言うこともできていなかった。父と一緒になって私をいじめる姉が嫌で、私はいつも母にくっついていた。小さい頃の私はとても大人しくて、騒がない、駄々をこねない、一人で人形遊びをして、一人でお片付けをする「良い子」だった。母にとっては、とても育てやすくて可愛い娘だったに違いない。きかんぼうで怒られてばかりの姉を見て、無意識に母に可愛がられる術を学んでいたのかもしれない。
そんな私を姉が疎ましく思うのは、自然なことだっただろう。
私たちが小学校中高学年になったころ、父が家で暴れることが多くなった。
仕事のストレスが溜まった父は、酒に酔って私達や母に暴力をふるった。
私が思春期の頃、父が不倫をし、母がうつ病を患った。
暫くして父が仕事をしなくなり、家は借金塗れになった。
私は中学を卒業してから、授業料が未納であったことを先生から伝えられた。
姉は大学中退を余儀なくされた。
私たち姉妹はお互いの傷を舐め合い、助け合った。
正直、私が姉にしたことは殆ど無い。バイトもできない私に姉は小遣いをくれたし、ごはんをご馳走になったことも何度もある。
私ができたことと言えば、姉の代わりに家に留まることと、泣く姉を抱きしめることくらいだった。
今でもたまに、辛かった時期のことを話してお酒を飲み、涙することがある。
その度に姉は、私を「自慢の妹だ」と言ってくれる。
「自慢の妹」には、姉の助け無しにはなれなかった。
私にとって姉は、「自慢の姉」なのだ。
私たちは結果として、全く違う道を歩んだ。
他人として生きていれば、交わることなど無かっただろう。
全く同じ道を、傷みを分け合って生きてきて、全く違う道を、傷みを分け合って生きている。
もし結婚しても、私は姉と一緒に生きていきたい。
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