まほう

2017年9月5日火曜日


今朝は寝坊してしまった。

休職中といえど、普段は彼氏の出社に合わせて八時に起床する。それから、辞めるかもしれない会社への復職に備え、体が鈍らないように家事をしている。昨日は一週間ぶりに実家に帰ったが、薬を飲んでも朝方まで眠れず、八時の目覚ましにも気付かず昼近くまで眠ってしまった。昨夜の食事は遅かったが、すっかり腹ぺこだ。リビングに向かうと、母がバタバタと仕事に向かう準備をしていた。祖母とペットの犬は、のんびりテレビを見ている。

起きた私に気付いて、祖母が朝食は何を食べるかと尋ねたが、自分でやるよ、と返す。卵二つとウインナーを用意して、深めの小さいフライパンに水を張る。ウインナーをボイルする為だ。そうした方が、炒めるより美味しい。


私はせっかちだ。ウインナーをボイルするのに鍋でなくフライパンを使ったのも、その方がお湯が早く沸騰するからだ。仕事をしていた頃も、のんびり手を動かす同僚に苛立ちを感じていた。何かを「やる」と決めたら、数分も我慢できないし、さっさと終わらせてしまいたい。ウインナーをボイルすると決めたら、お湯が沸騰する数分も耐えられない。早く調理してしまいたいのだ。


気泡の立たない水面を見て、魔法でも使えたら、と思う。魔法が使えたら、お湯が沸騰するのを待たなくて良いのに。魔法が使えたら、どんなことをするだろう。そんなことを考えている内に、お湯がぶくぶくと音を立てはじめた。ウインナーを投入し、三分待つ。時計を見ながら、祖母と話す。祖母と話す三分はあっという間だった。


ウインナーを調理し終えたフライパンの水気を取って、油を敷く。今度は目玉焼きを作る。卵を落とし水を注して、蓋をする。黄身の上に白い膜が張るまで数分待つが、この時間もまた耐えがたい。少し待って蓋を開けてしまうが、まだまだ黄身は黄色いままだ。また魔法が使えれば、と考える。

ふと食卓を見ると、昨晩置いた私のタバコが、一箱増えていることに気付いた。恐らく、父が置いたのであろう。普段は乱暴な口調で憎まれ口ばかりの癖に、にくい事をする。


父のこうした優しさは、最近まで知らなかった。というのも、父と目を見て会話をできるようになったのは、つい数年前のことだからだ。それまでは、両親のことはなんだか苦手で、あまり会話することもなかった。正直、父には嫌われてると思っていた。然し、会社の上司に通院の理由を作られた時、一番憤り、一番優しかったのは父だった。その時の憤りも、食卓の上の増えたタバコも、紛れもなく父から私への思いの証拠だ。


フライパンの蓋を開けると、私好みの半熟の目玉焼きが綺麗に出来上がっていた。黄身の上にうっすら白い膜が張って、良いピンク色になっている。食卓に朝食を並べる。祖母はのんびりとテレビを眺め、犬は私の足元で寝始めた。なんだか今日は、気分がいい。

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