運命の赤い縄

発条璃々

掌編

「そんな縄では、切れても仕方ないわね」

 澄んだ月夜に、佇む人影。目を凝らしてみればそれは、クラスで有名な変人。縄子さんだった。

 ボクは首に縄を巻いて、正に首を吊って死のうとしていた。だけど運悪く現世に立ち戻る。縄がほつれて切れたのだ。尻餅をついて見上げると支倉苗子はせくらなえこ

 通称、さんが見下ろしている。

「ダメね。やっぱり安物を使うと、簡単に切れてしまう。一回失敗すると、再度チャレンジするのって難しいわよ。苦しいのが経験としてあるから」

 切れた縄の断面を触りながら、つぶやく縄子さん。彼女の肌は赤い縄に彩られていて、薄い生地の上から透けて見えるので、とても目のやり場に困る。

「あ、あの……縄子さ——苗子さんは、ここで何を?」

 縄子さんは妖しい眼差しと小さく口角を上げて艶然に笑う。

「別に縄子さんでも構わないわ。事実だし、私には打ってつけのあだ名でしょうしね。何をしていたかと言われたら……そうね。散歩よ。こうして月の綺麗な夜は、散歩に出るものなの」

 ボクは腑に落ちなかったが曖昧に返事をした。目の前にいる縄子さんはその出で立ちと月夜に照らされてより一層、この世のものとは思えない妖しさに包まれている。暗闇に溶け込むような漆黒の髪。意志の強そうなキリッとした眉。それでいて細やかな睫毛。瞳も印象的だ。一瞬、猫のように光ったかに見えるほどキラキラとしている。縄子さんは変人だけれど、美しいことに変わりはなかった。

「今日はもう止めにしたら? 日を改めてちゃんと、準備を整えて旅立てばいいのよ。大丈夫、私が今度は絶対切れない縄を、用意してあげるから」

 自信に満ちた表情を投げかけられ、ボクは困惑しながらも頷いて見せた。縄子さんはボクに手を差し伸べた。ボクは縄子さんの手に掴まり、立ち上がる。服に付いた土埃を手で払う。

「じゃあ、また明日ね。ああ、夜道は気をつけるのよ。夜は魑魅魍魎が跋扈するんだから」

 そんな風にボクを驚かせて、縄子さんは夜の散歩を再開して歩いていった。


                   *


 次の日。昨日の晩にボクが死のうとしていたなんて、誰も知りはしないのだから、いつもと変わらぬ風景がここにはある。そして縄子さんが教室に入ると、今まで騒がしかった教室がピタと息を潜めて、静かになるのもいつもの事だった。

 ボクの席の真後ろが縄子さんの席。ボクは昨日のこともあり声をかけようか、どうしようか考えていたがクラスメイトの視線もあり、行動に移せないでいると、そっと首筋に縄子さんが触れた。

「ひゃっ!? な、なにっ?」

「いや、綺麗に跡、残ってるわねって思ったらつい——」

 思わず椅子から立ち上がり、しどろもどろになるボクをよそに、冷静に発言する縄子さん。勿論、ボクと縄子さんは注目の的だ。

「席に着いたら? もうすぐHR始まると思うし。それに教室で話すと、悪目立ちするわよ?」

 周囲を窺うと、一様にボクから視線を逸らすクラスメイト。だが、グループでそれぞれボクと縄子さんの関係を想像しては、噂しているのが見て取れた。ボクは平静を取り戻して、席に着いた。ふと机の上を見るとメモがある。開けると線の細い字で、『放課後、第二体育倉庫で待つ』とだけ、書かれていた。後ろを振り返ると、ボクにだけ解るように片目を瞑って合図をしてくれた。

 ボクは初めて、放課後を待ち遠しく感じる日が来たことに驚きつつも、早く時間が過ぎやしないかと、何度も時計を確認してしまう単純さだった。


「待ってたわ。透さん。教室で話すとどうしても目立っちゃうから、普段から人気のないここを指定させてもらったわ」

 第二体育倉庫。体育祭などで使う大掛かりなもののための倉庫で、その時期にしか利用されないので、縄子さんの言うように、ここならばゆっくり話せそうだった。でも、鍵が掛かって入れない筈なのに……

「鍵は、開けたの。ピッキングってやつでね」

 さも楽しげに談笑する縄子さん以上に、ボクの方が焦ってたりする。縄子さんは跳び箱に腰掛けていた。脚が長くてキメ細やかなしっとりした肌が眩しい。

「それにしても、透さん。その野暮ったい眼鏡、外してコンタクトにしたらどう? 折角、瞳は綺麗なんだから隠してしまうのは勿体ないと思うけれど」

「ボクは別にいいんだ。このままで……大して可愛いわけでもないし、縄子さんみたいに綺麗ってわけでもない。未だにクラスでも馴染めないボクはいてもいなくても、同じだから」

 ボクは苦笑いを浮かべながら、頭を掻いた。だけど、縄子さんの態度は違っていた。とても厳しい表情でボクを射抜いている。ボクは真剣な眼差しを向けてくる縄子さんに戸惑った。今まで、誰一人暗くて、無口で、空気のようなボクにどうして……

「透さんが私は羨ましいのよ。名前の通り、透き通るような白魚の肌を持ち合わせて。さぞ、縛ったら縄跡が映えるでしょうね。それに誰の感覚も刺激せずに、独りでいられるのは、どうしても目立ってしまう私からすれば、欲しい才能のひとつなのよ」

 一呼吸置いて、縄子さんは続ける。

「身体を拘束し、縄で縛る姿にはひとつの美がそこにあると思うのよ。でも、首を吊る姿には美は見出せない。私はつぶさに反応を見せる生に固執してる。私は昨日の晩、透さんと出逢って、運命というものを感じたわ。だから透さんを死神になんて連れて行かせやしない。私といると独りでいる時間は少なくなってしまうけれども、良かったら透さん。私と縛り合わない?」


 ボクこと、瀬川透せがわとおるは女子として生まれ、これほど相手から強く、求められたことはありません。野暮ったい出で立ちに、分厚い眼鏡で世界を見、陰気な空気を身に纏って今まで、死んだように生きてきました。そんなボクに命の息吹を吹き込んだのは、目の前にいる縄子さん。ボクは初めてこの世界で興味が持てました。知りたいと思いました。近付きたい、通わせたい、繋がりたい。そう、縄子さんに感じたのです。ボクと縄子さんを繋いだのは糸のように頼りなさげで切れそうなものではなく、赤い縄だった。太くてしっかりとした幾重にも折り重なった強い絆の赤い縄。

 縄子さんの肌に映える赤い縄を見たとき、気持ち悪いと自身に思いながらも、運命を感じたのは嘘ではありません。嗚呼……縄子さんも同じなのですね。縄子さんのしなやかな手で、ボクに縄をかけていく。真剣な表情はきっとボクの芯を熱く熱く、蕩けさせ焦がせては、消えない炎を灯すでしょう。想像するだけで、ボクの中で何かが開き芽吹いては、溢れてきてしまいます。きっとボクは、熱に魘されたようにだらしなくも、焦点の定まらない視線を、縄子さんに向けてしまっている。はしたないと感じながらも、ボクは止められない。どうか、縄子さんにボクの手綱を握って欲しい。命すらも契約した悪魔に捧げる心持ちです。ボクは、ボクは……今日、この日を持って縄子さんから生まれるのです!


「透さん、透さん! 大丈夫かしら……顔はとても嬉しそうに笑っているのだけど……完全にフリーズしているのか、微動だにしないわね。やっぱり誘い文句として『縛り合わない?』は、衝撃的過ぎたかしら……」


 ボクはその後、覚醒したのは日もすっかり落ちた夜でした。


 終

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運命の赤い縄 発条璃々 @naKo_Kanagi885

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