第4話 響と能

 姉のひびきは、背までの黒髪をサッと揺らして立ち、黒い瞳に力強い興奮の色を纏わせて、ソファに座る弟のあたるに向けて細い腕を真っ直ぐ突き出し拳を握っている。


 「さあ、注目は集めている。新時代TVからも生動画データを早くと催促されたわ。あたるいくわよ」


 あたるの見慣れた姉は、街角でモデルにスカウトされただけあって、スタイルもスラッとしていて身長も175センチと女性にしては高い。あたるも180センチあり、日本人にしては背は高い方だ。

 だがヒールを履いた姉は、そのあたるより目の位置が少し上になる。その上、透明感ある白い肌を持ち、キリッとして整った顔立ちの姉がモデルにスカウトされるのは不思議とは感じなかった。


 その美しい姉の艶やかな紅の唇から出た出発の言葉に、あたるはしょうがないなぁとつぶやきながらソファからゆっくりと立ち上がる。活発な姉らしい態度に、これは止めるのは無理とあたる諦めていた。


 「前回は異世界の様子を映しただけだけど、今回はどうすんの? 」

 

 あたるは充電が済んだ動画撮影用のハンディカメラを机からその厚く大きな手のひらで掴み、デイパックに詰める。

 

 「ドル、どうするつもり? 」

 

 ラグビーで鍛えられた強靱でしなやかな筋肉を持つあたるが、充電済みの電池や三脚などをデイパックに詰める様子を見ながら、ひびきは自身の中に居るエネルギー体に訊く。


 ――前回転生した者が、最後の敵をそろそろ倒し、あちらの世界を平定しそうだ。その様子と……できればインタビューしてその動画を撮りたい。


 ひびきあたるしか居ない居間に、静かで抑揚の無い女性の声が聞こえる。


 銀河間で魂のやり取りが生じた状況を憂いたヘッドは、仲間内からドルとマズの二人のエネルギー体を地球へ送った。その目的は転生の先に待っているものを知らしめ、転生を望む者の根絶であった。

 ”箱庭”のアドが地球からの転生者を求めようとも、転生を望む者が居なければ、自分が管理している銀河に連れてくることはヘッドの介入を意味しているからできない。――地球へ到着したときトラブルが生じ、ドルとマズは使命を果たすために二人の人間の身体に入り込むこととなる。その二人がひびきあたるだ。


 ドルに続いて、別の女性の声がやはり抑揚のない調子で聞こえる


 ――ドル。あまり欲を言うものではないわ。異世界の存在をこの世界の人間が信じたとはまだ思えないわ。

 ――マズ。それはそうだが、事実を撮るタイミングは今がベストだろう?

 ――それはそうだけど、焦っても仕方ないわ。せめて異世界があると信じて貰えるような……地球にはない植物か鉱物を持ってくる必要があるわ。


 ふと気づいたように、ひびきは抱えていた疑問を口にした。


 「ねえ、あなた達の使命が果たされるまで、あなた達が私達の身体に居るのは了解してる。あの事故で重体だった私達の命も救われたわけだから協力もするわ。でも、そろそろあなた達が私達から離れたあとのことを教えてくれてもいいんじゃない? 」


 ショッピングの帰り、ひびきが運転していた車にあたるを乗せて海岸線を走っていたところへ、地球へ到着したドルとマズが衝突した。車は大破し、ひびき達も大怪我し、そのままでは命を落とすだろうという状態だった。事故を起こした責任を感じたドルとマズは、二人の身体と同化し、損傷した身体を修復し、それ以後同化したままでいる。

 ドルとマズはひびき達に自分達の使命を話し、そしてひびき達は事情を理解して異世界で動画を撮影してきた。それが今や世界中の関心が集まってる「異世界のリアル」だ。


 ――……そうだな。隠し事したまま協力して貰うのは心苦しいわね。


 ドルは淡々とした口調で続けて話す。


 ――正確に言えば、私達が君たちの身体から出ることはないんだ。ただ、私達の意識が消えると考えてくれれば良い。


 「え? ということは……今使えている異能はそのまま使えちゃうってこと? 」


 あたるは驚いたように口を開いた。響にはドル、能にはマズが入り込んでいる。そのせいで異世界へ転移し、その後こちらに戻ってくることもできる。他にも通常の人間には使えない力がいろいろ使える。

 例えば、隠密とか認識阻害というのか判らないが、他者の意識から外れたまま活動することができる。そのせいで異世界のクリーチャーを撮影するのも楽に可能なのだ。ドルとマズに拠れば、ドル達が同化してるのだから、ひびき達を傷つけることができる者など、”箱庭”のアドを含めても居ないのだそうだ。

 だが、生き物を傷つける機会は欲しくないから、異世界のクリーチャーには気づかれたくはないひびき達は力を使っている。


 ――ああ、そうだ。申し訳ない。我々が君たちから離れると、事故で損傷した状態に戻ってしまう。あの事故は我々の責任だ。君たちの命が我々のせいで失われるのはヘッドの一員として許されない。そして我々が君たちと同化しているのだから、我々の力はそのまま君たちに残る。

 もうひとつ、君たちの寿命についてだ。君たちの肉体の老化速度がどの程度のものになるのか、今は判らないのだ。同化した他人の肉体とずっと離れないなんてことは今まで経験したことがないの。もしかすると半永久的に生きることになるかもしれない。そうならないよう私とマズも……仲間達にも協力して貰いながら研究するが、今は確かなことは言えないのよ。


 ドルの説明を黙って聞いていたひびきは、目を大きく開いて大声を出す。


 「ちょっと待ってよ! じゃあ、私達は他の人と一緒に年を取っていけないの? 」


 口調は平坦だが、どこか落ち込んでいるような雰囲気でマズが響に答える。


――まだ判らないのです。申し訳ありません。


 「参ったな。下手すると結婚できないのか……」

 

 大学に入ってから大学四年まで付き合ってきた彼女……奈美恵と結婚するかもしれないと考えているあたるは表情こそ落ち着いているが、その口調は深刻そうだった。そのあたるの背を軽く叩いてひびきが言う。


 「どうにもできないことを考えるのは時間と労力の無駄よ。ドル達を信じるしかないわ。さあ、行くわよ」


 人間らしく年齢を重ねられないかもしれないと驚いていたくせに、ひびきはもう立ち直って笑顔になっている。姉の気持ちを前向きに切り替える速さには、あたるは昔から驚かされていた。


 「ふう、姉さんの言う通りだけど、俺は姉さんほど順応性高くないんだから、少しはいたわってくれよ」


 とりあえず気持ちを切り替えて、あたる諦めた表情でデイパックを背負う。


 「さあ、今回は撮影だけでなく採取もある。頑張りましょう」


 響の声を残し、二人の姿が部屋から消えた。

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