それでも好きなんですか?

「ごめんね、貴重な休日なのに。私が、高校生の頃はいっつもゴロゴロ、ダラダラ過ごしてたから」

 亜紀さんは頭を掻きながら話す。キャミソールにハーフパンツの出で立ち。突っ掛けたミュールが涼しげである。短く切り揃えられた髪が清潔感を漂わせ、小さなピアスが光を反射する。亜紀さんがいうように、学生の世界では夏休み真っ只中だ。

「いえ、殆どバイト入れるつもりだったので、あと、すみません。ご馳走になってしまって」

「高校生が遠慮しないの、っていうほど、高いものは奢ってあげられないんだけどね」

「そんなことないです。個室で、なんかお洒落な雰囲気で、ドキドキします」

「このお店は、友達が店長やってるのよ。だから良く食べに来るんだけど、さあ、先ずは乾杯だ!」

 亜紀さんがウーロン茶を掲げる。僕もウーロン茶を持ち、グラスをカチンとぶつけた。


 小皿に料理を取り分けながら、亜紀さんは話を続けた。

「それでね、和哉が画廊巡りが好きなのは、メールで話したと思うんだけど、ある個展で、ミューズに逢えたって言いながら帰ってきて。私はさ、てっきりどこぞの浮気相手の中に見つけたのかと思ってたら、違うじゃない? どんな子なの? って、和哉に聞いたら、『俺のものにしたくなった』って話すもんだから、すっごく気になってたのよ」

 僕は、なんと返せばいいやら迷っていると、亜紀さんは手を振りながら弁解した。

「あ、えっと和哉はストレート……だと思うんだけどね、良く口癖みたいに『孕ませないものには興味ない』とか、女の子を何だと思ってるんだ! って思うんだけど、それに偽りはないと思うんだ」

 亜紀さんは僕が、少しずつ和哉に惹かれているのは、気付く筈もなく。世間一般的に気遣ってくれたのだろう。僕は、愛想笑いを浮かべながら受け応えた。

「未だに、僕自身はミューズだって言われても、ピンと来ないんです。だから、亜紀さんからこうして聞かされても、良くわからなくて……」

 その時、亜紀さんの周りを包む、陽気なオーラがトーンダウンした。ちょっと寂しげな表情を浮かべて、グラスに残った氷を弄んでいる。

「私がね、和哉のミューズであれば、それが一番良いなあって思うんだけど……現実は違うんだよねえ」

 僕はそれ以上、亜紀さんから聞けなかった。あんなに笑顔の絶えない亜紀さんが、今にも泣き出しそうで……心がざわつく。

「だから、透くんの気持ちもあるんだろうけど、偶にでいいの。和哉に会ってあげて。勿論、私ともいっぱい遊ぼう!」

 亜紀さんは元の、明るく陽気な亜紀さんに戻り、無邪気に笑った。僕は、募る想いが苦しくならないためにも、会いたくないが……面と向かって亜紀さんに断れる筈もなく、ぎこちなく首肯したのだった。



                    *



 あの時を境に、僕は亜紀さんと仲良くなり遊んだりもした。和哉を交えて。和哉が僕の部屋を訪ねて来ることも多くなった。しかし、終電を逃してホテル代わりに泊まりに来て、大学に通うことを僕は認めた覚えはない。

 和哉の更なる悪行に驚きを隠せない。あろうことか、僕にお金を握らせて、部屋を貸して欲しいと頼み込んでくる。理由は、浮気相手といちゃつきたいからだ。僕は、この時ほど和哉を軽蔑したことはない。僕の脳裏に過ぎったのは言うまでもなく、亜紀さんだった。

 だが、結局は何も言えず、部屋を明け渡している。僕もまた和哉に嫌われたくなくて、大人しくしている……僕もまた和哉と同じ、最低だ……


 マンションの階段を下りていると、途中で亜紀さんと鉢合わせした。

「あれ? 透くんおでかけ? 家にいなかったから和哉の奴、透くんの家かなって思って来たんだけど、帰っちゃった?」

「えっと、和哉は……」

 僕はどこまでも嘘が下手な自分を呪った。僕のその曖昧な態度に、瞬時に亜紀さんは何かを悟る。亜紀さんが沈黙すると、いてもたってもいられず、亜紀さんの手を取り、階段を下りる。手を引かれながら戸惑う亜紀さんをよそに、僕は早くこの場所から、亜紀さんを連れ出したくて。無言で階段を降り続けた。


 深夜の公園にて、ふたりしてベンチに座っている。僕は隣に座る亜紀さんを見た。亜紀さんは足を伸ばして寛いでいる。

「透くん。ごめんね、気を使ってくれて。でも、嬉しかったよ。見た目は中性的で繊細でも、手を引く横顔は男の子だった。格好よかった」

「なんで、なんでそんな風にしていられるんですか! 和哉は亜紀さんと付き合っていて、亜紀さんは和哉の彼女で……それで、それで……」

 僕はいつもと変わらない亜紀さんに苛立ちを覚えた。どうしてそんな風にいられるんだ。いつものように、笑っていられるんだ。理解できず、勢いのまま亜紀さんに言葉をぶつけて、ハッとした。亜紀さんは少し遠くを見詰めるような眼差しで話す。

「……そうだね。和哉の彼女なんだけど、苦しんでる和哉を私は助けてあげられない」

 亜紀さんは、曇って月も見えない夜空を見上げて、言葉を続ける。

「私は、和哉とは小中高、大学とずっと一緒なんだけどね。付き合い始めたのは高校からなんだけど、小さい頃から絵が上手くて、色んな賞を総なめで、大人からも神童だって褒めまくられて。そりゃあ凄かったのよ。そうやって大人から注目されて、ちやほやされて育ったのもあって、いけ好かない子どもだったんだと思う」

 思い出を振り返る亜紀さんの横顔は淡く、懐かしむようにひとつひとつゆっくりと語ってくれた。

「でも、高校最後の夏休みかな。調子に乗って沖合いまで泳いだ結果、和哉ってば溺れてさ。生死の境を彷徨ったんだ。その時、和哉の前に現れたんだよ」

 僕の顔をみて亜紀さんはニヤリと笑い、指差した。

「透くんにそっくりな女の子。次に和哉が気付いたら、砂浜で倒れていたんだって。その所為なのかな……和哉の奴。出遭った女の子が鮮烈過ぎたのか、描けなくなっちゃって。あれほど湯水の如く、大人を唸らせる絵を何枚も描いていたのに、一枚も描けなくなって……そうなるとさ、大人はさっさと放れていくし、和哉を持て囃していた取り巻きとかも去っていって。私だけが残ったの」

 亜紀さんはベンチから立ち上がると、ひらりとスカートを翻して振り向いた。

「和哉は描けなくなっても、何度も描こうとしてたんだけど、何も、湧いてこなくて。心が躍るのは、夢に見た女の子で、でも顔がハッキリと思い出せなかったんだって。で、和哉のミューズ探しが始まったってこと。夢の女の子に、少しでも似ている部分がある女の子を見つけて来ては、交わってみる。因みに、私には全然似ている部分がないのよ。それは透くんを見て納得できたけど、昔は何度も別れようとしたなあ……」

「どうして、別れなかったんですか……?」

「まあ、惚れた弱みっていうのもある。でもそれ以上に、そうまでしてミューズが見つけられたら、和哉。描けるようになるかもしれないじゃない? それを一番に見たかったんだと思う。私は和哉の絵のファンだったから。その一念で、今も和哉の傍にいる」

「…………」

「バカな女だって思うよね。私も友達がそうだったら、別れるように言うと思う。でも、和哉はミューズを見つけた。透くんを。私から言わせれば性別なんて関係ない。ミューズはミューズだと思うんだけど、変なところ融通が利かないというか、頑固だから。また探してるんだと思うよ」

「亜紀さんは……和哉のこと、それでも好きなんですか?」

「勿論、和哉を愛してる」

 自信に満ちた力強い瞳に、僕はもうそれ以上、何もいえなかった……



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