探し求めてたミューズ

 和哉との出会いは、姉さんの個展で知り合った。

 彼もまた、美大に通う傍ら、街の至るところにある画廊に、よく顔を出しているらしい。

 僕は姉さんが描いた絵を、眺めている。

 華奢きゃしゃな体格に、物憂げな横顔。色素の薄い肌と背中。肩に掛かるほど伸ばした髪。どうみても男らしくないものばかりの塊だ。

 自身がモデルなのに現実味がない。いつの間にか和哉も傍にいた。

「これ……キミがモデル?」

「ええ、姉にどうしてもと、頼まれて」

「そっか、綺麗だな——」

「姉の描くタッチは評価が高いですから、美しいと思——」

「違うよ。キミが綺麗だからさ」

 和哉は僕の言葉を遮って、続けた。

「あの背中をみてると、俺も背中に爪を立てたくなる……」

 僕は彼の唇の動きと言葉に、得も言わぬ痺れを身体に感じた。

 眼光鋭く彼を見詰める。和哉は動じることなく構えている。

 そこへ来賓の挨拶を済ませた姉さんが、僕の下へとやってきた。

「本日は、私の個展にお出で下さり、ありがとうございます。この絵、気になりますか?」

 和哉はさっきまで僕に向けていた態度とは、明らかに違う様相で慇懃いんぎんに姉さんの質問に答えていた。

「はい。そうですね。妹さんの繊細さがとても、情緒豊かに表現されていると思います」

 和哉の言葉に、僕の心臓はドクンと跳ねた。姉さんは少し微笑むと、僕の肩に手を添えた。

「この子は、妹ではなく弟なんです。透は、中性的でその透明さが私も気に入っておりまして」

 僕はこの日の、和哉の顔を忘れはしない。一瞬、和哉の顔に過ぎった落胆の表情を。

 僕はなぜか切り裂かれたように胸がズキズキと痛んだ。

 僕はこの数秒の間訪れた、自分の変化に戸惑っていた。

 和哉の一挙一動に、僕の心は振り回されていた。

「このあと、懇親会があります。もしお時間が許すのであれば、出席なさってくださいね」

 姉さんは和哉に会釈して、また来賓の挨拶へと向かう。その場に、僕と和哉だけが残された。

 和哉は沈黙を貫きながら絵を見ている。僕もまた話し出すこともないため、絵を見詰める事しかできなかった。

「お前、透っていうんだな……」

 僕は前を見ながら、コクンと小さく頷いた。

「確かにこの背中と、少し後ろを窺うように振り返る表情には、透明さと羞恥が見え隠れしている」

 彼の言葉が耳に張り付いて、僕の体温は二度ほど上がった。そっと和哉の横顔を盗み見てみる。

「神さまのイタズラというか、なんというか残念だ。俺のミューズかと思ったのに……」

 和哉はそれだけを零すと、僕の頭に軽く手を置いて画廊を出て行った。

 その日を境に和哉とはもう出会うことはないと思っていた。

 

 だが、和哉と繋がる糸は切れてはおらず、バイト先のコンビニで再び巡り合った。

「偶然なのかな。まあ、そこの美大に通ってるから……ここのコンビニは良く使ってたんだが」

「シフト、代わってくれって頼まれて」

 彼は合点がいったという顔をして買ったカップ麺にお湯を注いでいる。

「なあ、何時に上がるんだ?」

「明日、休みなんで学校……だから二十一時には上がります」

 そんなことを聞くからもしやと思ったが、本当に待っているとは微塵も思っていなかったのに……だが彼は一人ではなく女連れだった。

 なんとなく僕は彼と彼女と三人で居酒屋チェーン店に入る。無理にお酒を飲まそうとするのを断固として断り、生ビールのジョッキをどんどん空にしていく彼を見た。彼は上機嫌に話し始める。大抵は女の話。しかも、目の前の彼女とは違う人の話だ。案の定、彼女は機嫌が悪くなり、彼を残して先に帰ってしまった。

 僕は目の前の酔い潰れて眠る彼に、呆れながらも心底憎めない人柄に、半ば感心していた。

 和哉のポケットにある携帯が震えた。しかし、和哉を揺すっても起きる気配はない。悪いと思いながらも画面をみれば、彼女の文字がディスプレイに浮かんでいる。僕は、慌てて電話に出た。

「もしもーし、和哉? 今何処にいるの? 家に寄って欲しいって言ったの和哉の方じゃん。何でいないのよ全くっ」

「あ、あの……すいません」

「へ? あれ!? 和哉の携帯……だよね?」

「ハイ、和哉さんの携帯です。えっと、酔い潰れてしまって、それで途方に暮れていたところ、お電話頂いたので」

「何処のお店? うん、駅前の……うん。わかった。ちょっと待っててくれるかな?」

 僕は了承して電話を切った。和哉を見れば、何か楽しい夢でも見ているのか、寝言を漏らしている。いい気なものだ。

 暫くして、和哉の彼女である、亜紀さんが到着した。

「えっと、はじめまして。亜紀といいます。なんだか和哉がご迷惑をお掛けしたみたいで……」

「いや、それほど迷惑ってことは……ないと思います。今のところは」

 亜紀さんは僕の返答がおかしかったのか、クスッと笑う。僕は亜紀さんと二人で和哉を担ぎ、店を後にした。


 タクシー乗り場で、一台のタクシーに和哉を押し込み、亜紀さんも続いて乗り込んだ。窓を開け、僕に紙切れを渡す。

「それ、私のアドレスと番号だから。今日のことも兼ねてお礼がしたいから。連絡して」

「そんな、別にお礼されることなんて、していないですから」

「ちょっと、個人的に話がしたいの。私ね、アナタをみて思ったんだ。ああ……和哉が探し求めてたミューズだって」

 驚く僕をよそに、亜紀さんは「考えといて」と、言い残してタクシーのテールランプは、深い闇に紛れていく。

 僕は亜紀さんが残した言葉——探し求めていたミューズが、引っ掛かって仕方なかった。だからそれを確かめたくて、近い内に連絡をすることだろう。僕はタクシーが見えなくなっても、その場から暫く動けなかった。



                    ☆

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