ミューズの贈りもの

発条璃々

新米の僕が敵う相手じゃない。

 僕は約束の時間になったので、部屋の扉の前に立っている。

 僕の部屋の中で、男と女のむつみあう声が聞こえる。

 僕はわざと聞こえるように、自分の部屋の扉を拳で叩いた。

 慌てた様子で準備をしているであろう物音が聞こえる。やがて僕の部屋から彼らは顔を出した。

「もう、時間だっけ?」

 間の抜けた拍子で、いつもの軽い笑顔を振りまいて、彼は僕に尋ねた。

 続いてうつむきながら、癖のついた髪を気にしつつ。

 気恥ずかしそうにした彼女が会釈する。

 残念ながら三日前くらいにみたとは別人だ。

 僕は視線だけで、人を殺せそうなほど、鋭い睨みを彼に向けるが、誤魔化すように彼は、僕の手に一万円を握らせ、彼女と共にそそくさと出て行った。

 

 一人残された僕は、自分の部屋へと入り窓を全開にして換気する。

 部屋に篭った匂いをさっさと追い出したい為だ。

 彼らが使ったであろう、ベッドのシーツを洗濯機の中に放り込む。

 その時、ピンクのショーツが横から滑り落ちた。いかにも、男が好みそうなシンプルなデザイン。それを片手で摘み上げるように持ち上げる。

 小さな悲鳴にも似た声が聞こえ、振り向けばさっき飛び出して行った彼と彼女が、息を切らせて立っている。

 僕が手にしたショーツと、僕を交互に見る彼女。火が出るほど真っ赤になる彼女の掌に、僕はショーツを手渡して、これ以上ないくらい飛びっきりの笑顔を作る。

「キミの落し物? 僕はてっきり昨日の、もしくはそれまた違う日に連れ込んだ、彼女のものかと思いましたよ」

 顔に貼り付けただけの笑みを称えて僕は彼女を見る。

 彼女の顔はさっきまでと打って変わり、怒気を孕んだ視線を彼に投げ付けたかと思えば、その頬を強烈に打ち据えた。

 手形が紅葉のように、綺麗に色付いた彼は、頬を撫でる。彼女は彼を一瞥すると、一言も口を利かないまま玄関を出て、二度と戻ることはなかった。

「ひどいぜ……透。あそこでばらすことはないだろうが……イテテ」

「キミがいつか刺されて、僕の部屋で修羅場なんてされたらと思うと、良い迷惑だから」

「大丈夫、俺の愛した女たちは、そんな小さいことは気にしないからな」

「胸を張って自慢げに言うのは止めてくれないかな。あと、大学から近いからって僕の部屋を、ホテル代わりにも使わないでくれ」

「えー、ちゃんと代金は納めてるだろ? なんだ。透も交ざりたかったのか?」

 ニヤニヤして下卑た彼をよそに僕は大きく嘆息した。

「キミのその態度が未だに理解できないよ。セックスが出来れば何でもいいのかと思えてくる」

「馬鹿いうな、俺は孕ませられないものに、興味はない」

 と、胸を張って彼は宣言した。

「つくづく、鬼畜という言葉が、キミに一番相応しいって思えるよ」

 彼は皮肉を言われても、全然堪えていない。

 そこにチャイムと同時に亜紀さんが現れた。

「オッハヨー! 多分ネボスケさんだと思うから迎えに来たよ!」

 弾けるような笑顔と、くりくりの瞳。背がチョット小柄なため、小動物のように愛くるしい。亜紀さんは彼の本命というか本当の彼女である。彼が今、何股をかけていようが気にせず、もう四年は付き合っているらしい。肝が据わっているというか、器が大きいというか、懐が深いのか。

「ほらー、透くんも、モタモタしてたら高校に遅れるよ? 何ならお姉さんのバイクに乗ってく?」

「いえ、大丈夫です。自転車で間に合いますから。あ、和哉のこと、よろしくお願いします」

 僕は亜紀さんの眼を見る。彼女は少し悟ったように微笑むが、またいつものように眩しい笑顔を作った。

「亜紀はやさしいねー 透には甘すぎるんじゃない?」

 珍しく和哉は、僕と亜紀さんが仲良さげに話しているのが気に入らなかったのか、そっぽを向いている。亜紀さんは何てことない素振りで子どもにするみたいに和哉をあやす。

「和哉のような、でっかい子どもの手綱を握れるのは、私くらいだと思ってるから大丈夫! ホラ、いくよー和哉」

 彼の首根っこを引っ張りながら、二人は出て行った。騒がしい部屋はまた静かになる。出て行った和哉と亜紀さんのことを思い出す。

 亜紀さんの太陽のような輝きと温かさ。亜紀さんを信頼しきった目で見詰める和哉。二人の絆は誰よりも深い。新米の僕が敵う相手じゃない。

 鈍い和哉は、これっぽっちも気付いてはいないが、勘のいい亜紀さんは何かを感じとっている。

 でも僕が心のうちを、話さない限り本当の想いは誰にもわからないだろう……

 時計を見ると、八時を切っている。急いで支度を済ませた僕は、部屋を出た。

 今日も、憎らしいほど空は快晴だった。


 

                  ☆

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