第6話:レモンティーで一服を

 うっすらと目を開けた時、まず見えたのは視界を埋め尽くす星の瞬きだった。

 闇に抱かれて眠る自分は、宇宙を漂っているのかと思ってしまう。


「気がつきましたか?」


 しかし、すぐそれは違うと気がつく。

 かけられた声と共に、サイドから柔らかいライトの光が漏れてくる。

 まだ少しぼうとしながら、美蘭は上半身を起こした。

 どうやらレジャーシートに寝かされていたらしい。

 耳には、波が砂をさらう音。

 そして横には、1人の少年が座っている。


「ホークさん、あたし……どうして……ここは……――あっ!」


 そこでやっと彼女は、自分に起きたことを思いだす。

 ここは砂浜で、自分は死ぬために来て、そして――


「あの魚人たちは!?」


 身を乗りだして、ホークに迫った。

 しかし彼は薄暗い光の中で、いつもどおり悠然と微笑する。


「おや。まだ知っていましたか・・・・・・・・。わかってはいましたが、別の世界の人だと効果がでるのに時間がかかりますね」


「な、なにを?」


「あの魚人たちは、この国と争っている隣国の先兵だったのですが、ここには攻めてこなかった・・・・・・・・んですよ」


「はい? なにを言って……」


「まあ、今は帰ったとでも思ってください。それより……これからどうしますか?」


 ホークが意味ありげな視線を向けた。

 しかし、美蘭はなにが言いたいのかわからず、首をかしげる。


「どうする……とは?」


「宿に戻りますか? それともこのまま入水じゅすいします?」


「――!?」


 さも当たり前のように尋ねてくるホーク。

 美蘭は思わず睨んでしまう。


「なぜ……」


「言いましたよね。私が知らないことはない・・・・・・・・・・・のです」


 彼の声は、いつも通り自慢げだ。

 その様子を昼間までなら笑って流したが、今は妙に腹立たしい。なんとも感情を逆なでする。


「どうして知っているのか知らないけど……とめるつもり?」


「いいえ。とめませんよ」


「……なら、さっき魚人から助けないで欲しかったんだけど?」


「それはできませんよ。それではツアー中の事故になって私の責任です。でも、自殺は仕方ない。ああ。自殺とわかるように、簡単でいいので遺書は残しておいてくださいね。私の落ち度にならないようお願いします」


「…………」


 美蘭は、ホークの言い草に腹が立つ。

 わかっている。腹を立てる筋合いがないことは。むしろ彼の言うことは真っ当だ。こちらは彼に迷惑をかける立場なのだ。

 しかし、普通の人間としてはどうなんだと思う。


「常識的に言ってさ、こういうのって、とめるんじゃないの?」


「あなたの味わってきた不幸を知りもしない人がとめてきたら、貴方はどう思います?」


 それはもちろん、「あたしのこと、よく知らないくせに」と反発するだろう。

 こんな台詞のやりとり、よくあるドラマのひとつでも見ていれば、すぐわかることだ。


「そんな無駄な会話しても仕方ないでしょう?」


 その通りだ。

 自分は死ぬと決めたんだから、こんな奴にかまわずさっさと死ねばいい。

 死のう。

 美蘭はゆっくりとレジャーシートから立ちあがった。


「やはり自殺なさるんですね。もったいないような、うらやましいような……」


「なによそれ、意味不明!」


 ほんの数日、一緒に旅をして食事をしただけではあるが、少しは仲良くなれたかと思っていたのだ。しかし、彼は冷たい態度。

 でも、本当はわかっている。ツアコンがビジネスライクにつきあうのは当たり前だ。その上、こちらは勝手に死のうと思っているのに、仲良くしてくれなかったと怒るのはお門違いだ。

 しかし、そう思いながらも、ついホークに突っかかってしまう。


「もったいないような……って、『生きてれば、きっといいことがあるから』ってこと? そんな言葉は、もう聞き飽きたんだけど」


「そんなことを言われたのですか。ずいぶんと無責任なこと言われましたね」


「――なっ!?」


 その言葉を言ってくれたのは、やっとできた友達の1人だった。異世界の新興宗教にはまっていたとは言え、その時はきっと本気で自分のことを心配して言ってくれたはずだ。心には響かなかったが、だからと言ってその言葉をバカにされるのは腹が立つ。


「あ、あんたね――」


「――知っていますか、美蘭さん」


 ホークが少しボリュームを上げた声で割ってはいった。

 その声量に思わず続く言葉を呑みこんでしまい、美蘭は彼の言葉を待ってしまう。


「生きているとね、死ぬことができるんですよ。しかし、死んでいると死ぬことさえできない」


 闇夜に言葉を綴りながら、彼は横に置いてあった水筒をとりだした。

 そこからコップに、湯気とともに飲み物が注がれる。


「飲みませんか? 蜂蜜たっぷりのレモンティーです」


 そうコップが差しだされたが、言っていることが噛み砕けなかった美蘭は受けとらない。


「……あんた、なに言ってんの?」


 そして、今までで一番ぶっきらぼうに言葉を投げつけた。


「なにを当たり前のこと……」


「当たり前だけに、気がつけないこともあるんです。生きるというのは、単なる可能性なんですよ。生きているだけで、最低でも『死ぬ』という可能性を手にいれられる。これって実は、すごいことなんです……と。まずはどうぞ」


 ホークから、コップが改めて差しだされる。

 美蘭はどこか毒気が抜かれてしまい、大きなため息をひとつ投げ捨てる。

 そしてレジャーシートに腰をおろし、そのコップを受けとった。


 まだ、どうせ朝まで時間はあるはずだ。やはり、最後にこの生意気なツアーコンダクターを言い負かしてやろう。

 そんな八つ当たりのような、よくわからない意地がでる。


 ところが、続くホークの言葉に喉を詰まらせてしまう。


「生きるとは、ある意味で博打です。一生、幸福と不幸が表裏にあるコインを投げ続けること。『表か裏がでる可能性を得られる』というだけなんですよ。それなのに、『生きていれば、いつかきっといいことがある』というのは、博打打ちに『いつかきっと勝てる』というのと同じだと思いませんか? それは『最後まで勝てない』という可能性を隠す、ていのいい言葉に過ぎません」


 なんとも悔しいことに、彼の言葉が腑に落ちてしまう。

 言い返す言葉が出てこない。


 その口惜しさをごまかすために、美蘭はコップを口に運んだ。

 湯気をフウフウと吹きながら、紅茶を口につける。

 爽やかなレモンの香りと、甘い蜂蜜の風味が口の中に広がり、なんとも言えない安堵感が体中に染み渡っていく。


 ホークがすぐさま「茶葉はスリランカのディンブラを使ってみました」などと解説してくれるが、それがどんな茶葉なのかは知らない。

 しかし、まちがいなく今まで飲んだレモンティーの中で、一番美味しく感じていた。


「……あんたさ、いつも楽しそうね」


 何故かその美味しさが悔しく、美蘭は少し皮肉っぽい口をきいてしまう。

 しかし、ホークは気にした様子もなく、「そうですかね」と答える。

 余裕のある様子も、やはり腹が立つ。


「あんたにはわからないでしょうけど、あたしは生きることが辛いのよ……」


「それは器用ですね。生きることは、生物として当たり前のこと。だから、生きることが辛いはずはない。辛いのは、生きている上で行っている行為や環境でしょう」


「そんなの同じ事でしょ! それにね、あたしは生まれてくるべきじゃなかったのよ。きっと生きてちゃいけない……」


「生物は、生きるために生まれてくるのです。それは性質であり本能で、本来はそこに善悪などありません。善悪など、すべて後付けの理屈です」


「屁理屈よ! だって、あたしのせいで、オレンジの髪のせいでお父さんとお母さんは――」


「あなたの両親が不仲になったのは、あなたがオレンジの髪だからですか? それも後付けの理屈ではないですか? あなたの髪がなにいろでも、不仲にならない道はあったはずです」


「…………」


「人は難しく考えすぎます。そして、なんて傲慢なんでしょう。たかが夫婦喧嘩の理由付けのために、『生物あなたが生きる』という大自然の摂理を『悪い』と非難する。あなた、何様です?」


「だっ、だって仕方ないじゃない! そうとしか思えないんだから!」


 砂浜に響きわたる怒声。いや、喚声だ。

 彼女は半泣きでホークを睨む。


「では、言い方を少し変えましょう」


 そう言ってから、ホークは首を曲げて夜空を仰ぐ。


「あなたが生きているということは、あの星々が光るように、海の波が浜辺に押し寄せるように……『当たり前』のことなんですよ」


「あ……当たり……前……のこと……」


「はい。善悪ではなく事実として『当たり前』なんです」


 先ほどから何度も発せられた「当たり前」という身も蓋もない言葉。

 それは不思議と心地よく響き渡る。


 善いと肯定されれば、反発したかも知れない。

 悪いと否定されれば、絶望したかも知れない。

 しかし、ホークがもたらしたのは、善悪という判断の否定と、生きている現状の肯定。


 生きているのは当たり前なのだから、悩むことさえない。

 美蘭は、戦っていた相手を唐突に見失ってしまった喪失感を抱く。

 だけど、「死にたい」という気持ちがなくなったわけではない。


「でもね、当たり前に、ただ生きていてもさ……いいこと何もないしね。生きるためには生活しなきゃならないでしょ。死んだ方が楽そうよ」


「なるほど。『楽』ですか……」


 意味ありげにそう言うと、ホークは紅茶をまたひと口、飲んだ。

 それから美蘭の方を向いて尋ねる。


「美蘭さんは、不幸と幸福の性質の違いってわかりますか?」

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