第2話:フルーツジュースで潤いを

 普通、異世界旅行添乗員アナザーワールド・ツアーコンダクターになる者は、異世界の元勇者や、一騎当千の高い能力をもった人たちが勧誘されることが多い。

 たとえば、平和になった世界でやることがなくなった勇者は、その強大な力の使い道がなくなってしまう。そこで異世界旅行添乗員アナザーワールド・ツアーコンダクターとして、他の危険な世界でも客を守るために力をふるうわけである。

 これは美蘭が住む、他の世界とつながりやすい【多界遭遇特異門所有国家日本クールジャパン】で、流行の異世界旅行業には欠かせない職業だった。


 だから、美蘭はこの【ホーク・N・クガミ】という青年も、当然ながらそういう力をもった者だと思っていたのである。


 しかし――


「美蘭さん、ほら今の内に逃げますよ!」


「ちょっ! また走るの!?」


 ――彼と異世界【ティファーニ】に来てから、巨大蟻の大群、ゾンビやスライムのような魔物、果てはコボルドや、現地人の盗賊と、そんな危険に遭遇するたびに、走って、走って、走りまくりで逃げている。

 かっこよく剣で倒したり、魔法でスカッと倒したりなどということはない。

 確かに逃げられたのは、彼が用意していた、目くらましの道具や、怪しい薬品爆弾など、アイテムのおかげではある。

 だが、それにしてもホークは、頼りがいのあるツアーコンダクターという感じではなかった。なにしろ、美蘭よりも先に息切れする始末である。だいたい、見た目も黒のシャツとジーパンという、勇者にはとても見えないコーディネートであった。


 はっきり言ってしまえば、美蘭がリスクある異世界にきたのは、そのリスクで命を絶ちたかったからだ。戦渦に巻きこまれ、一瞬で散るなら怖くないだろう。また、美しい自然の中で静かに死ぬのもいいかもしれない。

 いつ、どうやって死ぬか……それは、異世界に来てから考えればいい。そう思っていたのだ。


 ところがだ。


 異世界に到着した途端から、ホークが半強制的にドタバタ逃走劇に巻きこむおかげで、死ぬことも忘れて必死に逃げてしまっている。

 同じ死ぬにしても最後の旅行を少しは楽しみ、覚悟をしてから死を迎えたい。そう思っていたのに、このツアーコンダクターは、いきなり死のリスクを目の前にぶつけてきたのだ。

 それに、ゾンビやスライムに襲われる死に方などしたくない。


「ふぅ、ふぅ……やっと、逃げられ……ましたね。……ふぅ……リザードマンとか……はぁ……本当にしつこかったですが……あまり知能が高くなくて……ふぅ……よかったですよ」


 そうなのだ。今は、2メートルぐらいの身長がある2足歩行するトカゲ人間数体から、なんとか近くにあった町に逃げおおせてきたばかりなのである。

 町に立っていた門番が弓矢で追いはらってくれなければ、トカゲの食事になるところだったのだ。そんな死に方はしたくない。


「はぁ、はぁ……ホークさん……あなた、勇者とか……そういうのじゃないんですか?」


「えっ? はふぅ……ああ、私ですか……。いや、私……ふぅ……勇者? その予備ってか……勇者みたいなのと……一緒にいましたけど、ただの……はぁ……錬金術師でして」


「……えっ? はぁ……って、もしかして、戦えないんですか!? あたし、一流のツアコンを頼んだはず……」


「いやぁ~……まあ、ほら……ね、目的地にも無事に着きましたし」


「ぶ、無事って言えるんですか!?」


「幸い、怪我もしていないじゃないですか」


「本当に、ただの幸いですよ!」


 そこは確かに、最初の滞在予定地である町【ガルダンヌ】だった。

 初めてきた場所だが、村の名前はすぐにわかる。なにしろ、看板に日本語で書いてあるのだ。


「しかし……この辺の言語統一は、ずいぶんと進んでいるんですね」


「ええ。まあ、異世界管理の神々も妙なところでがんばってますねぇ」


 ホークに案内されながら、美蘭は町の中央通りを歩いていく。

 周りは木造のログハウスのような建物が並んでいる。ちょうど西部劇にでてくる街並みのようだ。違いといえば、地面は潤いのある土で多数の緑が見えるところであろう。

 建物の多くは何かしらの店で、食事処、おみやげ屋、観光案内所などの看板が並んでいる。もちろん、それも観光客向けに日本語だ。


「でも、いくら多界遭遇特異門所有国家日本クールジャパンのせいで、パラレル世界の日本からも異世界転移が多いからって、異世界の日本語言語統一政策は強引じゃありませんか?」


 便利ではあるが、せっかく異世界旅行に来たのに情緒がないと、美蘭はかるくため息をもらした。

 それにホークが、苦笑いを返す。


「まあ、そういう意見もちらほらと。でも、神々もいちいち日本からの転移者・転生者の言語問題の解決が面倒なんでしょう」


「はぁ……適当ですねぇ」


「神々なんて、そんなもんですよ。……あ、あった! 燕子花かきつばた様、喉が渇いたでしょう?」


 ホークは、美蘭が返事をする前にもう走りだしてしまう。

 まあ、喉が渇いているのは当たり前である。ここに着いてから走りっぱなしだ。一応、非常用の水をもっていたのでそれを口にしていたが、もうとっくに空っぽである。

 そこまで暑くないにしろ、さすがに体も汗ばんでしまっている。


「お待たせしました。ここに来たら、まずはこれを飲まないといけませんね」


 近くの食事処の店舗から出てきたホークの手には、2つの木の実らしきものが載っていた。

 大きさはハンドボールぐらいで、鈴のような形をしており鬱金うこんのような少し暗めの黄色をしていた。それの一部が切り取られ、そこにストローのように茶色い枝が刺さっている。


「はい。どうぞ」


「……これは?」


 ホークから渡された木の実は、ずっしりとした重さがあった。切り取られたところから覗くと、そこには青緑色の液体が入っている。まるで青汁を濃くしたような色をしていた。


「これはここの名物で、日本語名【ガルダンヌの風】。パインナッツにキュウイシュという果物の果汁が混ぜてあります」


「名前から味が想像しやすいわね」


「そのためにつけられた日本名ですからね。現地名で言うと【ガルダンヌけとぷあ】。【ふぇゆーずず】に【くふぉえど】という果実の――」


「――ああ、いいです。わからないので。……でも、やはりツアーコンダクターだけあって、現地のものもよく知っているんですね」


「はい。それに私は一応、【知の錬金術師】ですから、知らないことはない・・・・・・・・・のですよ」


 自慢げなホークに「はいはい」と苦笑いしながら、美蘭は手元の飲み物を見た。

 ストローでかき混ぜてみると、少しとろみがある。

 中からは冷気と共に、甘酸っぱい香りがしてくる。

 もちろん喉はカラカラで、すぐにでも飲みたい。

 だが、その緑と青の中間色が、どうにも「美味しそう」という気分を盛りあげてくれない。


「……これ、美味しいんですか?」


「もちろん! ならば、私がお先に」


 ホークはストロー代わりの枝でジュースを飲み始める。

 コクリ、コクリと喉が鳴る。

 その頬が、見る見るほころぶ。

 そして、口を離した途端に「あぁ~っ」と声をもらす。


「おやおや。一気に半分も飲んでしまいました」


――ゴクリッ


 その様子に、美蘭の喉が鳴った。

 渇きも限界に来ている。


「いただきます!」


 美蘭はストロー代わりの枝を思いきって咥える。

 枝はわずかにバニラっぽい香りがする。

 吸いこむと流れこむ、ミルキーな風味。

 そしてまさに、パイナップル風味の甘さが頬の内側を弛ます。

 しかし、そこにその弛緩をとめるように、鋭い酸味。

 舌の上を刺激して、頬の内側まで爽やかに甘味を変化させていく。

 それはなるほど、キュウイ的な刺激とレモンのような柑橘系の爽やかさ。


「美味しい! すごく甘いのに爽やか!」


「そうなんですよ。疲れた時に飲むと本当に美味しい。ガルダンヌの風を感じるように走ってから飲む、このジュースは最高なんです」


「なるほどね。だから、【ガルダンヌの風】か」


「はい。私も走るのは本当に嫌いなんですけどね。やはりこれを飲む前には、走らないと」


「確かに、走ってきたばかりのあたしたちには最高……」


 と、そこまで言ってから、彼女はまさかとあることに思い当たる。


「あの、クガミさん」


「ああ、ホークでよいですよ」


「では、ホークさん。この世界に来た時、なんか妙にこの町から離れた場所に出てきたんですけど、まさかこのジュースを飲むためにわざと走らせた……なんてことはありませんよね?」


「……美味しいですよね、このジュース」


「ちょっ! ちょっとホークさん!?」


「さて。このあとのスケジュールですが……」


「ごまかす気ですか!?」


「この街の見学のあと、宿にチェックイン。風光明媚な露天風呂を楽しんでいただきます」


「ホークさん! あのね――」


「そして夕飯はすごいですよ! 焼き肉です! 超高級ブランド肉のオークトン!」


「だから、焼き肉とかじゃな……オークトン!? なんですか、その危険な名前は!」


「ああ、ご安心ください。オークのような人型ではなく、見た目は単なる大きな豚です。その肩肉がですね、ほどよい脂身としっとり感が絶妙でして。これを少しスモーキーな香りがつく炭で無駄な脂を落とすように焼くのです。そう、ジュウジュウと!」


「ジュウジュウ……」


「ええ。脂が滴るたびに炎が舞い踊る。その様子を楽しみながら肉が飴色に焼けてくるのを待ちます。そして、この地域で採れたミネラルたっぷりの岩塩をパラパラ!」


「パラパラ……」


「ええ。この岩塩の塩分が尖っておらず、まろやかに肉の甘味を引きだします。もう味付けはこれだけでオーケー。それをサンチェに似た野菜でマキマキ!」


「マキマキ……」


「ええ。そしてパクッと熱々を口にする……その衝撃!」


「ゴクリッ……」


「というわけで、夕飯を楽しむため、まずは腹ごなしで町の見学と行きましょう」


「わ、わかりました!」


 美蘭はすっかりごまかされていた。

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