第28話
全寮制の予備校に入ることになった私は、毎日少しずつ、石川樹里のことを思い出さなくなっていた。5年後には、彼女が良く口ずさんでいたJPOPの甘く切ないメロディを、平気で耳に入れることができるようになった。
石川樹里が高校を卒業後、トラックの運転手として働いているという噂を高校の同級生から聞いたとき、私は心の何処かで安心していた。
彼女が生きている。私と同じように息をして過ごしているということが、私をどれだけ勇気づけたことか、きっと貴女は知らないだろうし、これからも知ることはないのだろう。
*
「夕飯までに帰ってこい」というあの人の言いつけ通り、19時を過ぎた頃になって私はようやく錆びついて軋むブランコから重い腰を上げた。毎日のように学校帰りにこの公園に立ち寄っては、だらだらと時間を潰していたことを思い出す。石川樹里はコーン入りのコーンポタージュを、私はココアを自動販売機で買って、カイロ代わりに手をあたためていた。
私たちは恐らく、良い環境で生まれ育った子どもとは言えなかったけれど、ジャングルジムのてっぺんから見下ろしたこの街の景色があんなにも開けて見えたのは、きっと石川樹里が私の隣にいたからだ。
木の葉がさざめき合うような女の子二人組の声が聞こえて、つい、頬を緩めてしまう。あの頃と何も変わっていないのかもしれない。気に入りの女の子とできるだけ一緒にいたい。女の子が女の子を乞い願う、とても短くて甘い時間の密度は。
「・・・くさま?」
坂を下る私の背中を呼び止める声がして、足を止めた。聞き覚えのあるハスキーボイス。身体が小刻みに震えていて、振り向けなかった。石川樹里がこっちに向かってくる気配がした。私はその場から走り出したかった。今すぐここから逃げたかった。石川樹里の隣にいたピンク色のニットワンピースを着た女の子が、「どうしたの」と囁く声が聞こえた。
再会を望んだことなんて、一度もないのに。私はあなたに会いたくなんてなかった。このまま忘れ去られた方が、ずっとずっと良かった。記憶の中だけにあなたの横顔が存在するなら、私はいつまでもあなたのことを愛していられるのだから。
だけど石川樹里は私のことを放っておいてくれなかった。前に回り込んできて、そっと首を傾げて私を見た。「久しぶり」と片手を上げて、長年連れだった仲の良い友達にそうするみたいに、とても気軽な態度で。
その清々しいほどの表情を見て、石川樹里が既にもう私のことを、良い思い出という箱の中に放り込んでしまったことを知った。胸にナイフが刺さったかのように、強い痛みが全身を駆け巡るのを感じながら、必死に唇を持ち上げる。
「何年ぶりだっけ。元気?」
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