第27話


 新宿駅の三階にあるバスの停留所に止まったのは奇しくも、乗ってきたのとまるで一緒の姿形をしたピンク色の夜行バスだった。お互い無言のままバスに乗り込んで、4列シートの右側の席に腰掛ける。排気ガスと石川樹里の身体から放たれる干草のような匂いがして、気が変になりそうだった。石川樹里はバスが発車してしばらくしても、何か物思いにふけっているようなそぶりで、窓の外をじっと見つづけていた。

 窓の外が明るくなってきて、カーテンの隙間を覗くと、見慣れた景色が広がっていた。灰色の煙を空に撒き散らしている工場の煙突。広い敷地に建てられた平坦な高さのイオンモール。帰ってきてしまったと思うのと同時に何処か私は安心していて、その子どもじみた生ぬるい覚悟に嫌悪感が広がったのも事実だった。結局、私は負けることを選んだのかもしれない。社会の常識、体裁だけ整えた「ふつう」をあれほど憎んでいたくせに、私は何者にもなれない、どこにでもいる、ただの高校生でしかなかったのだ。

 早朝6時に最寄り駅で降りた後、石川樹里は私を一度だけ抱きしめて、それから何も言わずに去っていった。石川樹里は振り向かなかったし、私も呼び止めることはしなかったので、二人の距離はどんどん開いていくばかりだった。

 私はいつまでも、小さくなっていく大好きな女の子の背中を見つめた。


 とうとう石川樹里の背中が見えなくなってしまってからようやく、私は家のある方向へ足を向けて、思い切り手を振って、川沿いの道を走った。途中、散歩中の犬が私に向かって吠えた拍子に、石川樹里の背中を頭から振り払うことができなかった私の目の端からぽろりと涙がこぼれ落ちた。

 そのとき私は、これが最後になるのかもしれないということに気づいた。気づいた瞬間、両目からだらだらと涙が落ちてきて、止まらなくなった。犬を連れていたおじいさんは慌てて私にティッシュを差し出してくれた。ティッシュの中には「女性限定高収入アルバイト」と書かれたピンク色のチラシが挟まれていた。鼻をかみながら、私は愛子のことを考えていた。自分の首を縄にかけるとき、愛子が最後に思い浮かべたのは、一体誰だったのだろうかと。


 右手の薬指にはめたハート型のイルカの指輪を外して、手の平に置いた。初めて石川樹里と電車に乗って、隣町の水族館に行ったとき、ねだって買ってもらった600円の指輪は、朝日に透かすと目がくらむほど眩しく光る。私はその小さなハートを川に向かって投げた。泣きながら投げた。指輪は水面の中へ沈んで、すぐに見えなくなった。

 あっけなく、一瞬にして、まるで最初からそこになかったみたいに、私と石川樹里は終わったのだ。

 そしてそれきり、私と石川樹里が会うことはなかった。

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