第24話


「何やってんの、おっさん」


 石川樹里のかたい声が聞こえたけれど、男に阻まれて姿が見えない。つま先立ちをして肩越しに覗くとようやく、強張った顔をしている石川樹里と目が合った。

 私は急いで首を振って、早く逃げてと合図を送ったのだけれど、石川樹里は私が視界に入っていないかのように振る舞った。誰よりも怖がりで弱虫のくせに、こういうときばかり強がる、石川樹里は本当にバカだ。


 気づけば私の右手は、ミモザの活けられた花瓶を握り、男の後頭部に向かってそれを振り下ろしていた。ごつんという音に一瞬遅れて、男は呻き声を上げた。私は夢中でうずくまる男の頭に目掛けて花瓶を落とし続けた。男の声がどんどん小さくなっていることに気づいても、胸の底から溢れてくる暴力の衝動を止めることは難しかった。私はこの男を石川樹里に触れさせたくなかった。私の石川樹里を傷つけたくなかった。そのために、こんなゴミクズ同然の男、殺してしまえばいいと思った。


「草間。待って、お願い。これ以上したら死んじゃうよ」


 石川樹里の悲鳴のような泣き声が聞こえて、私はようやく動きを止めた。男は自分の頭から噴射された鮮血で体中血まみれになっている。右手に握りしめた血のついた花瓶を見、それから石川樹里の涙でぐしゃぐしゃになった顔を見た。その時の私は途方にくれた顔をしていたんじゃないかと思う。自分のしたことが信じられなかった。男はイモムシのように身体を丸めて、頭を手の平で覆っている。苦悶に歪む声がくぐもって聞こえて、私は私たちの未来を思って絶望した。


「どうしよう、石川樹里。どうしよう。私たち、一緒にいられなくなっちゃうよ」


 離れ離れになってしまえば、私たち、きっと生きてはいけないだろう。

 半泣きになっている私の手を掴んで、石川樹里は何も言わず、出口に向かって走り出した。石川樹里の横顔は今まで見た中で一番きれいだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る