第21話
夜に起きて、アルバイトに行き、日が昇った頃にネットカフェに戻って眠りにつく。暫くは目の回るような日々が続いた。何せ私たちはお酒の味も知らなかったのだ。
客が注文する酒を作るのが石川樹里で、客の注文を受けるのが私だった。一番苦手なのは団体で来た観光客で、酒の飲み方が汚く、店員に対する絡み方も乱暴だった。私と石川樹里は訝しげに年齢を聞かれることも多くひやひやとしていたが、その度に事情を知っている他の店員が追い払ってくれるので助かっていた。
バーを訪れる客は様々だった。男が好きな男の人、女が好きな女の人、人を好きになれない人、複数人を好きになってしまう人、セックスが怖い人。想像を超えるほどのディープな話を聞く度に、私の生きてきたのはどれだけ狭く小さい世界だったのかと、目を開かれるような思いがした。楽しそうに私たちに話しかけてくる人もいれば、常にカウンターに座ってひとりグラスを傾けている人もいた。
愛子は時折ふらりとやってきた。「よーす、頑張ってるか」とぶっきらぼうに言いながら、いつも私たちにミックスジュースをおごってくれた。本当は、客が頼んでいるようなカラフルな色をしたお酒を飲んでみたかったのだけれど、愛子は決して私たちにお酒を飲まそうとしなかった。
金曜日の夜19時だというのに、その日、客は一人もいなかった。ひっきりなしに雷の音が空に響く悪天候のせいだろう。カウンターの一番奥の席には愛子が座っており、いつも頼むスクリュードライバーの5杯目を傾けていた。「大丈夫なの、そんなに飲んで」と尋ねると、愛子は「久しぶりに休みだからね」と言って苦しそうに笑った。
「ところであんたたち、もうセックスしたの?」
石川樹里は瓶に入ったオレンジジュースを吹き出した。げほげほ咳き込む様子を横目に見ながら、首を振る。愛子のこういうところには、時折困らされてしまう。誰もが気を遣うような話題を避けず、直球に尋ねてくるところ。
「どんだけ純情なんだよ。毎日あんな狭いところで、くっついてる癖に」
石川樹里の耳が赤くなっているのを見てしまい、気恥ずかしさを打ち消すように、わざと乱暴に「そういう汚いの、ないから」と言うと、愛子はくっくっと忍び笑いをした。ばれている。私のどろどろとした欲望を知られている。本当は「そういうの」に対する興味も好奇心も、人並み以上にあるということを。
この話題を続けられるのがたまらなかったのか、「それより」と石川樹里が珍しく口を挟んだ。
「愛子は、いないの。付き合ってるやつ」
「全くふたりとも誤魔化すのが下手だね」
「・・・好きなやつとか!」
「いるよ」
私と石川樹里は目配せをし合い、愛子の言葉の続きを待った。愛子は私たちの興味津々な視線をうるさそうにしながらも、「これまでもそうだったし、これからもずうっと好きだよ」と答えてくれた。愛しさがその場の空気を染めてしまうような色っぽい口ぶりから、愛子の恋はもしかしたら、実ることのない片思いなのかもしれないと思う。バケツに溜めておいたグラスの水滴をきゅっきゅと拭きながら、お酒のお代わりを頼む愛子の横顔を見遣った。
「もう他の人、好きになったりしないん?」
石川樹里が聞くと、微笑んで首を振る。愛子の吐いたタバコの煙が、ゆっくりと天井の換気扇に吸い込まれていく。
「いいの。だって、もう、一生分の恋をしたからね。いつ死んだって、あたしは構わない」
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