第18話
新宿駅に着いたのは明け方の5時だった。目を遣るところすべてに広告と思われる看板が張り巡らされている。聴覚的にも、視覚的にも、新宿という街の持つうるささを感じながら、横長に広がる横断歩道を前にして、私の膝は震えた。何も知らない。誰も知らない。馴染みのない街にやってきた高揚感とはまた別の不安で、みるみる内に胸がいっぱいになっていくのが分かった。
そんな私の気持ちを知ってか、信号が青に変わった瞬間、石川樹里は私の手を引いて、ぎこちなく笑った。下手くそな笑顔だと思った。
「ネカフェ、すげえ。シャワーまであるやん。しかも無料」
変装のつもりか、陽に当たると虹色に光るサングラスを外して、石川樹里は興奮気味に囁いた。歌舞伎町のネットカフェはどこもかしこも香水やタバコ、汗の匂いが染み付いていて、息苦しさが肺を圧迫しそうだった。
「ねえ、どうするの。これから」
「うーん、住み込みのバイトでも探すとか。キャバとか?」
「そんなことできるわけないじゃん。まともなところなら保証人がいるの。面接すらしてもらえないよ」
つい声を荒げると、石川樹里はふてくされた顔で「じゃーどーしよーもねーじゃん」と言って大きく伸びをした。そう。本当にどうしようもなかった。東京に来たはいいものの、ただの女子高生ふたりじゃ何にもできない。日々の日銭を稼ぐ力すら、私たちにはない。ため息をついて、硬くなった体をソファに沈めると、仕切りで囲まれた部屋の向こうから、とんとん、と小さく壁を叩く音がした。
「ねえ。あんたたち、家出してきたの」
低い声が聞こえて、石川樹里と思わず顔を見合わせる。石川樹里が私を指差し、それから壁を指差すので、仕方なく、ばくばくと振動する心臓を宥めながらひそひそと「そうです」と答える。壁の向こうにいる少女は少し黙った後、ふっと鼻で笑い、「もしかして、駆け落ち?」と私たちに尋ねた。答えに迷っていると、背筋を伸ばした石川樹里が先に口を開いた。
「はい、そうです」
「ふうん。行く場所ないならついてきなよ。良い仕事、紹介してあげる」
「えっと・・・」
「ああ。変な仕事じゃないよ。あたしは、そういう系もやってるけどね」
石川樹里は表情を曇らせて私を見た。この人を信用していいのか、迷っているのだろう。私も同じだった。だけど、私にも石川樹里にも他に頼れる人はいなかったし、これから先に生活をする手段を簡単に手に入れられるとは到底思えなかった。
「とりあえず話だけでも聞きにきなよ。決めるのはそれからでもいーからさ」
だめ押しの一言に心が揺れて、思わず石川樹里に向かって頷いていた。
ネットカフェの個室のドアを開けると、そこにいたのは絶滅危惧種のギャルだった。半分くらい黒に染まった金髪が蛍光灯の下で眩しく光る。つけまつげを二重に重ねたアイメイクや手足が異常に細い身体、夏だというのに寒そうに羽織っている蛍光ピンクのダウンジャケットなどが、彼女の異質さを際立たせていた。
「あたし、愛子。よろしくね」
何故か私には、その愛子という名前が、本名ではないと分かっていた気がした。石川樹里は愛子という名前の少女と握手をするとこちらを振り向いて、私を安心させるように少し笑った。
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