第12話


「どうしたん。お前、フランケンシュタインみたいになっちょるよ」


 なんでもない、と言って笑ってみせるつもりだったのに、つい、ぎこちない笑顔になる。コンビニで買った大きめのマスクでも、あざだらけの右ほほを隠し切ることはできない。心配するというよりも怯えたような表情をしてこわごわと私の眼帯を外す石川樹里の手はひどくあたたかくて、触れられるのが怖いくらいだった。

 いつだってひっきりなしに話しかけてくる石川樹里でさえ、私の素顔を目にした瞬間、言葉を失った。


「ブスでしょ。いつもよりずっと」

「お前、そんな顔で学校行ったら、マジで怖がられっぞ」

「行く。勉強遅れると、また怒られるもの」

「誰に?」


 石川樹里はなんでもないような顔でそう言ったけれど、他の何よりもそのことを聞きたがっていることを私は良く分かっていた。私は何も答えず、石川樹里が自転車を押すスピードに合わせてゆっくりと歩いた。十字路に差し掛かったとき、熱帯魚屋の店頭に飾っている水槽に目が止まる。手のひらよりも大きな金魚がひらひらと舞う尾びれを漂わせながら、小さな青い箱の中を泳いでいた。

 私たち子どもはこの金魚と同じだ。いくら水槽の中をさまよったって、親の手中からは逃れられない。何も知らないし、何処にもいけない。愚かで弱くてちっぽけな愛玩物と同じ。


「いっつも見ちょるよね、それ。草間、魚、好きなん」

「・・・別に、好きってわけじゃない。親近感、湧くだけ」


 石川樹里は不思議そうな表情を浮かべたが、何か面白いことを思いついたときの子どものような目をして私を見た。


「なあ」

「何」

「いこっか、水族館。学校サボって」


 学校をサボるということを、私は今まで考えたことがなかった。そんな危ない橋を渡ろうと、誰かに誘われたこともなかった。知らない街へ足を踏み出すという冒険も、道を外れるときに感じる不安に似た高揚も知らなかった。



 平日の夕方だからか、隣町の小さな水族館はほとんど私たちの貸切状態だった。青い照明に照らされて内側から発光する海月の水槽の前で立ち止まる。ひらひらと揺れる触覚が美しいと思った。頭が熱に浮かされたようにぼうっとする。周囲の喧騒が次第に遠のいていき、心の中は真夜中の森のようにしんとしていた。

 

「それやったん、ばばあか」


 かわいそうな私を本気で心配している声が、横から聞こえた。藍色の水の中で漂う海月を見つめたまま、私は「そうだよ」と答えた。石川樹里は黙ったまま、重いため息をつくと、頭を軽く水槽にぶつけた。私はひどく緊張していた。何故なら、このことについて誰かに話すのは初めての経験だったからだ。

 あのマンションの302号室の中でひとりきり、壊れかけているあの人について。もっと色々聞かれるかと思って身構えていたけれど、石川樹里はそれきり何も言わず、その代わりに私の手を握った。石川樹里の手は私よりもひと回り大きかった。その手のひらはじめっとしていたけれど、気持ち悪いなんて思わなかった。お母さんの羊水に包まれている赤ちゃんは、もしかしたらこういう気持ちなのかもしれないと思いながら、私はぼんやりと海月を見ていた。

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