第11話
「何、怒っちょん」
「別に。怒ってないし」
「怒っちょるやん、態度がもう」
尚のこと呼び止めてくる声がうっとうしくて、足を止める。振り向いて、のほほんとしてこっちを見つめる彼女をきっと睨みつけると、石川樹里は少し怯んだような顔をした。
「そんなに嫌なのかよ。クラスの奴らと話すの」
「嫌っていうか。向こうだって嫌がるでしょ。こんなに陰気な女がひとりいると」
「そんなことないっちゃ。良い奴やん、みんな。草間が話そうとしないからわかんないんよ」
石川樹里のこういうところが、私はたまに憎らしくなる。
自分が何の努力もせず、自然にできていることが、他のひとにもできることだと信じ込んでいるところ。石川樹里の手にかかれば、世界中に悪人なんてひとりもいなくなってしまうんだろう。
私が黙ったので、石川樹里も無言のまま、月の光を浴びて銀色に光る自転車を押して歩いた。まだ夏にはほど遠いのに、じいじいと鳴く蝉の声が聞こえる。数十分そうしていると、さすがに怒りもさめてきて、言葉を荒げたことを反省した私は、手動式ボタンで色が変わる赤信号に引っかかったときやっと、重くなった口を開いた。
「みんなと一緒に行かなくてよかったの。サイゼリヤ」
「ああ。別にいい。いつでも会えるけえ。悪かったかなって思っちょったから、追っかけてきたん。草間、今日ずっと、つまんなさそうな顔してたやろ」
「意外と、そうでもなかったよ」
横断歩道の向こうに見える信号が青色に変わる。
「楽しくなくも、なかった」
右足を一歩前に出して、石川樹里の顔を見ないようにしながら、精一杯の勇気を振り絞る。
「でも、他のひとと私を、仲良くさせる必要なんてない。私は石川樹里とふたりっきりの方が、ずっといい」
銀色の自転車に乗った石川樹里の髪の毛がたんぽぽの綿毛のようにふわふわ揺れる。すぐに私を追い越してくるりと回転し、目の前でブレーキをかけて停止する。とんでもなく嬉しそうで、それでいて、どこか恥ずかしそうで、にやにやとした微笑みを浮かべている石川樹里のことを、私はこの先永遠に忘れられないだろうという、絶望に似た幸福が、身体のてっぺんからつま先までを満たしていくのがわかった。
「なあ、後ろ、乗る?嫌やなかったら、やけど」
私は認めないわけにはいかなかった。このひとのことを、私はほんとうにたぶん、好きになってしまったということを。
夢に浮かされたような心地でやっと家にたどり着く。玄関の鍵を開けると、そこに立っていたあのひとの姿を認めて、心臓がきゅっと小さな音を立てて収縮するのを感じた。あのひとは何の表情も読み取れない顔で「今まで一体どこにいたの。何度も連絡したのに」と機械音を思わせる無機質な声で言った。
私の喉はからからに乾いていた。しゃがれた声で「ごめんなさい」と小さく答えると、頬のあたりに強い衝撃を感じ、そのまま玄関に倒れこむ。叩かれたことを理解するまで時間がかかった。あのひとは立ち尽くしたまま、足元に居る渡しをじっと見下ろしている。私は何も言えなかった。弁明や言い訳が、あのひとの行き場のない怒りを鎮めるのに、何の役にも立たないと良く分かっていたから。
私は抵抗するのをやめ、いつか終わりの来る時間が過ぎていくのを待っていた。目を閉じると、石川樹里の歌声が聴こえてくるような気がした。しゃがれていて、甘くて、男の子みたいな体格からは想像できない、かわいらしい女の子の声だった。あのひとの終わりのない罵倒を聞きながら、身体のありとあらゆるところを攻撃されながら、私は、大好きな女の子のことを、ずっと、ずっと考えていた。
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