第5話


 二限目の授業が終わると、教室のある三階から屋上に向かう階段に腰をおろすのが日課だった。小窓から夏の匂いを感じさせる陽光が漏れていて、膝に置いたコンビニのレジ袋を明るく照らす。焼きそばパンを胃に収めるだけの味気ない作業を終えて、立ち上がってプリーツスカートの上に溜まっていたパンくずを払った。

 教室から持ってきたスクールカバンを持って、二階にある女子トイレに向かう。ピンク地にウサギの文様の刻まれた風呂敷に包まれたお弁当を捨てることに、罪悪感の欠片も抱かなくなってしまった。唐揚げや卵焼き、さやいんげんの胡麻和えなどを水の中にぽちゃぽちゃと落としレバーを引くと、少し胸がすっとした。かつて食べ物だったものが穴の中に吸い込まれていく様子を、私はぼうっと見つめていた。


 トイレの個室の扉を開けて外に出ると、手を洗っていた石川樹里と目が合った。私は気づかなかったふりをして、同じように手洗い場の蛇口をひねり、両手を石鹸でこすり合わせた。妙なタイミングで居合わせてしまったことが気まずかった。だけど、石川樹里は私にそれを許してはくれなかった。


「なあ。何で弁当捨てちょん」


 私は返す言葉を見つけられずに、「ううん」と意味のない音を唇の隙間から発した。石川樹里は少しだけ笑った。ぱっぱと手を振って水を切りながら言う。


「草間さん、ばばあと仲悪いん」

「そうなのかな。…わかんない。ただ、気持ち悪いっていうか」

「気持ち悪い?」

「そう。あの人の手が触れたものを口にするっていう行為が、気持ち悪いの」


 石川樹里は考え込むような顔をしながら、窓の外を見やった。住宅の屋根の陰で、ツバメの親が、口を開けて待っている雛に餌をやっているところだった。


「ふうん。よう分からんな」

「別に、分かってもらいたいなんて思ってない」


 つい、つっけんどんな言い方をしてしまったことを、すぐに後悔する。石川樹里よりもずっと格下の私は、彼女にこんな口の聞き方をしてはならない。それがクラスメイトたちの、私たちの、大切なルールだった。

 気づかれないように顔色を伺うと、石川樹里はぴいぴいとか細い鳴き声を上げるツバメの雛を愛おしそうに目を細めて見つめていた。


「なあ、弁当。毎日捨てるなら、あーしにくれん」

「え?」

「お腹空いてんだ、いつも。ほら」


 石川樹里が自分のお腹のあたりを指差すのと同時に、地鳴りのような低い音がぐぐーっと鳴った。いつになく真面目な表情とのアンバランスさがおかしくて、つい吹き出してしまう。教室で見る石川樹里が常に誰かにちょっかいをかけられている理由が、その時少し分かったような気がした。


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