とある主任と謀議(2)

 二月の頭。

 人事異動にともなうドタバタも落ち着き、各部署が計画の達成に向けてアクセルを踏み込み始めたタイミングで、小さいが大きな問題が持ち上がった。

 きりグループのひとつに、桐尾ミュージアムという公益財団法人があるのだが、そこの事務局長が急死した。

 桐尾ミュージアムは桐尾本家が収集した美術品の管理・展示を業務とする法人で、その事務局長は桐尾グループの功労者が着任するのが定例であり、名誉職の面が強く、実務は法人生え抜きの次長が統括する習わしであった。

 急死した事務局長は桐尾本社の取締役を務めたのち、桐尾ミュージアムに移籍したばかりの人物で、そうちょうの評は「温厚で無能ではなかったがただそれだけの人物」となかなか厳しいもので、他人事ながら背筋が寒くなった。

 大企業の取締役を務めた人がこの調子では、いったい僕などは陰でどう言われているのだろうか。


 大した仕事もないわりに実入りがよかったので、桐尾ミュージアムの事務局長は皆が狙う人気のポジションであり、かくいう僕も空いているならぜひ坐りたい席であった。

 日のよくあたる窓際でよくわからない美術品をながめていればいいんでしょう。

 最高じゃないか。


 桐尾ミュージアムの事務局長。

 グループ総員二十万人を超える大企業の一名誉職。

 その後任人事が揉めることになった要因は、第一にタイミングが悪すぎたことにある。

 桐尾の定期人事は、その年の人事の確定直後どころか、確定する前から次年度の人事に向けて派閥の争いがはじまる。

 そんな中で怖い人たちが角を突き合わせ、脅し合い騙し合いの果てに歪な積み木ができあがる。

 派閥内の序列と派閥間の対立、それに労働組合の突き上げと上層部の思いつきが加わってできる人事組織は実に絶妙なバランスで成り立っており、一つ狂うと調整が難しい。

 僕なんかは決して関わりたくないハードかつシビアな世界なのである。

 であるから、五年は変わる予定のなかった閑職が数か月で空席になると、バランスを取るための派閥間の調整が必要になった。

 その席に坐れると思っていた者は色めき立ち、派閥の若返りを図りたい実力者は年上の使えない人間を送り込みたい、もしくは口約束で次をほのめかした者を送り込みたい、功労者に楽な仕事を回すことで派閥内の結束を固めたいなど、いろいろな思惑がうごめき、結果、激しい対立が生じたのだった。


 そして、話は新しい事務局長を決めるだけでは収まらなかった。

 だれかが事務局長の席に坐れば、当然、その者が坐っていた席が空く。

 そこにだれを置くかが新しい問題となるのだ。

「重要なポジションの人が急にやらかした時は、経営に空白を作るわけにはいかないから、トップ判断ですぐに片がつくことが多いのだけど、今回みたいな閑職のポストが急に空くほうが人事部としては面倒くさくなる場合が多い。複数のお偉いさんたちが首を突っ込みやすいからね」

 お偉いさんの板挟みになる予定の友人が青い顔で教えてくれた。

 下っ端に楽な仕事などはないが、大企業の人事課員も胃に悪い仕事のようだった。


 事務局長の後任がどのように決まったのかなど興味はまったくなかったが、結果的に社内でいちばん早く知ることになった。

 ご不幸があった週末に告別式が執り行われることになり、その案内がメールで社内に一斉送信された直後、そのメールを次長が転送してきて、次のようなコメントが付けられていた。

『参加すること。服装とマナーを再確認。私に恥をかかせるな。以上』

 出る必要がないと思っていた葬儀で休みが潰れるのは嫌だったが、理由を聞くのは面倒だし怖かったので、即座に『承知しました』とだけ返信した。

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