第13話 荒れる我が家
アンドルー先生がサイラスの事を知って以来、我が家はぎくしゃくした感じになっていた。このままでいいとは思えない。サイラスと今後のことを相談したいけれど、二人きりになる時間が無い。私は、夜になってサイラスの部屋のドアをノックした。
サイラスがドアを開ける。
「話があるの。二人きりで話す機会がないから、来ちゃった」
「女が男の部屋を訪れる時間ではない。部屋に戻れ」
サイラスが断るが、無理やり部屋に入る。
「私の給金で家を借りることが出来る。セロンとアンドルー先生を養わなければいけないのなら、ここの費用はサイラスが出したらいいわ。そして、サイラスと私は新しい家で二人だけで暮らしましょう」
過去を忘れて、何に気遣うこともなく、二人だけで生活をしたい。
「俺も男だ。夜にやって来て、二人で暮らそうと言われたら、誘われていると思って当然だ。何をされても文句は言えない」
サイラスに壁に追い詰められて、壁に掌を付けたサイラスの両腕に囲われてしまった。
「サイラスなら、何をされてもいい。サイラスがいなければ、どうせ私は……。サイラスが望むならば、好きにして欲しい」
「俺がセシィを助けたには、仕事だからだ。同じような女がいたら誰でも助けた。セシィが特別ではない。報酬は給金としてもらっている。それ以上必要ない。セシィは自分の幸せだけを考えろ。とにかく出て行け」
サイラスに腕を引かれてドアの外に出された。目の前でドアが閉まる。
わかっていた。私はサイラスの特別ではない。わかっていたけれど、涙が出てしまう。
セロンがやって来て、サイラスの部屋の前で泣いていた私の涙に気付く。
「何があった? サイラスに何をされた!」
「何もされていない。サイラスに、仕事だから私を助けた、私は特別ではないと言われただけ」
「それで泣いていたのか? もうサイラスのことは忘れろ」
「そんなに簡単に忘れられるはずがない! サイラスが私を救ってくれたのよ。あの戦場から」
サイラスがいなかったら、きっと私は生きてはいなかった。
「私が忘れさせてやってもいい」
セロンが私を抱きしめて、そして、私の唇にセロンの唇が重ねられた。
何が起こったのかわからずに混乱していると、温かいものが口の中に押し入ってきた。セロンの舌が私の口内を弄るようにうごめく。
私の体を拘束するセロンの腕を振り払おうとしても、体が動かない。息の仕方がわからず、息苦しくなってきた。
突然、大きな音がした。セロンの唇が離れて、私を拘束していた腕が緩んだ。見上げると、セロンの顔があるすぐ横の壁に、サイラスの大きな拳が打ち付けられていて、壁には穴が開いている。
ここの家、借りているんでしたよね。穴を開けてしまって弁償金いくらいるんだろう。って、違う。問題はそこではない。サイラスにキスをされているところを見られてしまった。
「おまえの妹の仇は俺だけだ。セシィに手を出すな」
サイラスが怒っている。それはうれしい。でも、ここにいたくない。私はセロンを突き飛ばして、自分の部屋に急いだ。
「待て!」
セロンが呼び止める。待てと言われて待つ人はいない。待つぐらいなら走って逃げない。
驚いたアンドルー先生も部屋から出てくる。
「凄い音がしましたが、セシィさん? どうしたのですか?」
今は誰の顔も見たくない。アンドルー先生も無視して走る。
部屋の中に逃げ込み、ドアに鍵をかける。
知っていたのに、セロンは、サイラスを殺すと私も死ぬというこの気持ちを変えさせたいと思っていることを。そして、私をスパイだと疑っていることも。それなのに、どうして裏切られたと感じるの? セロンを信じていたの? サイラスの命を狙っている男なのに。
ドアがノックされる。返事はしない。
「セシィ。悪かった。初めてだったのか?」
セロンの声。
「私は戦場に売られたような女だから、セロンは信じないでしょう? サイラスが助けてくれたから、何もされていないなんて」
「そんなことは……」
「母が教えてくれた読み書きや計算を、村の人に生意気だって言われた。父の薬をありがたがっていた人が、流行病に効かなくて、父を責めた。父が死んだときには、父の薬のせいで皆が死んだんだと、私も責められた。薬師など何の役にも立たないと。伯父はおまえのために肩身が狭いと嘆いた。そして、私は伯父に売られた。だから、セロンが私の知識を認めてくれた時、母や父を認めてもらえたようで、とてもうれしかった。私が馬鹿だった。サイラスを殺そうとしていたセロンを信用してしまうなんて」
「私は……」
「どうせ、憎い隣国の体を売っている女だと思っていたのでしょう。いいよ、娼婦の様に扱えば。それで、サイラスへの憎しみをなくしてくれるなら、私の体など好きにしたらいい。でも、心は変えない。サイラスを殺したら一緒に死ぬという気持ちは変えないから」
「悪かった。私が悪かったから」
セロンは貴族なんでしょう。領主の息子で領主代理なんでしょう。謝ることなんかないじゃない。
「サイラス、私がここで死んだら、私のために仇を討ってくれる。それとも、セロンの妹さんへの贖罪を優先する?」
答えなんかわかっている。戦場で拾った女なんて、仇を討つほどの価値はない。
「セロン、どけ。セシィ、ドアから離れろ。ドアをぶち破る」
サイラスが怒鳴る。
「駄目よ、さっきも穴を開けてしまって、ドアまで壊したら補修費が高くなる」
「補修費など関係ない。ドアを壊されたくなければ、カギを開けて出てこい」
「いやよ、セロンがいるのよ。絶対に出て行かない。ドアからも離れないから」
「セロン、部屋へ行ってろ。アンドルー先生もだ」
「わかった。後は頼む」
セロンの小さい声がした。
しばらくして、ノックの音がする。
「サイラスだ。俺だけしかいない。出て来てくれ」
優しそうなサイラスの声。出て行きたくないけれど、ここにずっといるわけにもいかない。
鍵を外して、そろっとドアを開ける。ドアが勢いよく開いて、ノブを持ったままの私は、前に引っ張られそうになる。サイラスが優しく抱きとめてくれた。
「俺が悪かった」
「サイラスのせいではない」
「いや、俺がセシィを受け入れなかったから。とにかく、食事室で話そう」
セロンにキスをされて、舌を入れられたこと。突然の事で、抵抗できなくて悔しかったこと。サイラスに特別でないと言われて、とても辛かったこと。セロンが私に仕事を与えてくれたことはとてもうれしかった。とりとめなく、そんな話をした。サイラスはただ、黙って聞いていてくれた。
夜も更けてきた。
「サイラスは、明日仕事でしょう。もう寝なければ」
「セシィを一人にはできない。明日は休みをとろう。明日は側にいる」
「私に興味がないくせに、優しくしないでよ」
「俺は、セシィを望んではいけない。幸せになる訳にはいかないから。ただ、セシィが望むなら、セロンを討ってやる」
「セロンはこの領地に必要な人。殺すわけにはいかない」
まさか、セロンの死などは望んではいない。
「わかった。セシィ、辛くても死ぬなんて言わないでくれ。死んだりしないでくれ」
私が死ねば、セロンの妹さんの様にサイラスの心に私を刻むことができると思う。でも、それはサイラスの苦しみを増やすこと。
「ごめんなさい。もう死ぬなんて言わない。セロンの事は、貸しにしておく。あとできっちりと取り立てるから」
もう大丈夫だと何度言っても、サイラスは部屋に戻らなかったので、朝まで食事室で二人で過ごした。
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