第11話 診療所のお仕事

 今日の昼からは、看護助手と薬師として診療所で勤務している。ここではアンドルーは先生だ。

「先生、往診の用意ができました」

 週一回、町の貧民街を回って、病気や怪我の治療を行うことになった。今日は初めての往診日。

「先生は恥ずかしいよ。まだ、正規の医師になったばかりだから」

「いえ、診療所では先生と呼びます。先生と呼ばれもしない医師なんて、頼りないと思われてしまいますから」

「そうだな。患者さんが僕を信じてくれた方が、診察がうまくいきそうだ」

 用意した薬と診察器具をアンドルーは馬に乗せ、自分も馬に跨った。

 護衛としてセロンがついて来る。私はセロンの馬に乗せてもらう。

「護衛って、セロンは強いの?」

「私は、元々騎士をしていたから、そこそこ戦えるぞ」

「そこそこなんて嘘ですよ。セロン様は、ブレイスフォード領最強と言われていたんですから」

 アンドルーによると、かなり強いらしい。

「昔の話だ。サイラスには勝てんしな」

 そうだった。サイラスの剣を捨てさせて殺そうとしていた。

「わかった。ないよりましな護衛ぐらい?」

 セロンは苦笑いしている。アンドルーは不満そうに首を横に振った。


 町の様子が変わって、段々と家が小さくなっていった。隣と隙間なく建てられた小さな家が続く。道行く人々の纏う服が色褪せて、道で遊ぶ子供の多くは裸足だった。

「僕が住んでいた村もこんな感じでした。本当に貧しかった」

「私の育った村もそう。もっと貧しかったと思う」

 貧しい村から出てきて医師になったアンドルー。相当努力しただろうな。


 貧民街の小さな教会に着く。出てきたのは初老の神父様だった。苦労が多いのか、深い皺が刻まれている。

 さっそく神父様に町の病人の様子を訊いてみた。

「レイアの息子のジャンは、下痢が止まらない。もう、長くないかもしれない」

 まだ五歳だと言う男の子が、一昨日より下痢をしているらしい。とにかくレイアさんの家へ急ぐことにした。

 セロンは神父様と話があるから、後から行くと言う。レイアさんの家の近くには馬を止めるところもないらしいので、馬を教会に預けて、アンドルーさんと徒歩で向かうことになった。

「セシィ、荷物は僕が持ちます」

「大丈夫よ。村では重たいものを運んでいたから」

 アンドルーと荷物を奪い合っていたら、

「私が後で荷物を持って行ってやるから、最初の診察に必要なものだけ持って行け」

 セロンが言ってくれる。

「わかった。先に行って待っている」


 教会で教えられた方向へ急ぐ。貧民の多くは読み書きできないので表札などはない。

「フレアさんと息子のジャン君の家を知らない?」

「あの家だよ。でも、ジャンが病気だから近付いては駄目だって、母ちゃんが言ってた」

 道で遊んでいる子どもにレイアさんの家を訊くと、すぐに教えてくれた。

 指差されたのは、何軒も連なった長屋の中の一軒だった。ドアを軽く叩くと、まだ若い女性が顔を出した。

「私は診療所から来た医師です。お子さんが病気だと聞きました。私に診察させてください」

「私には、診察代などとても払えません。借金を背負って生きていくぐらいなら、このままあの子を死なせてやりたい」

 泣き崩れるレイアさん。

 私の村には医師がいなかったけれど、父は薬を食べ物や生活用品と交換していた。だから、薬を飲めないで死んでいく人はいなかった。

 貧しいから治療も投薬もしてもらえず、病気になったら死を待つしかないと言うの。

 そんなの絶対に駄目だ。

「大丈夫ですよ。領主代理様が診療所の費用を出してくれます。収入が多い家庭には費用を負担してもらっていますが、そうでない方は無料で診療しますから、安心して息子さんを任せてもらえませんか?」

 アンドリーがそう言っても、不安そうにしているレイアさんだったが、私たちを家の中に入れてくれた。


 外から見た時の隣のドアとの間隔から、家の中は狭いだろうと予想していたけれど、想像以上だった。一部屋にベッドが二台、それ以外何もない。

 ベッドの一つに骨が浮き出るぐらい痩せた子どもが寝ていた。ぐったりとして意識が朦朧としているようだ。

 真剣な眼差しでジャン君の体を確かめるアンドルー。不思議な器具をジャン君の口に咥えさせている。

「体温を計る器具なんだ。この目盛りを読むと温度がわかる」

 口の中の管と繋がった水の入ったガラス管には目盛りが付いていた。

「栄養不足で、病に侵されたようだ。湯冷ましでこの薬を一日三回飲ませるように。固形物は明日まで食べさせず、沸騰したお湯で入れた紅茶にベリーのジャムと塩を少し入れたものを冷まして、少しずつ飲ませてあげてください。レイアさんも、良く手を洗って、熱をよく通したものを食べようにしてください」

 アンドルーがレイアさんに指示を出す。いつもは頼りなさそうなアンドルーだけど、今は立派な医師の顔をしていて、とても格好が良い。これからは普段も先生と呼ぼう。

 アンドルー先生がジャン君に処方した薬は私が作ったもの。どうか、ちゃんと効いて欲しい。


「私は戦争で夫を亡くしました。夫は騎士ではなく、村の自警団に入っていて、敵兵が攻めて来たたとき、村を守るために勇敢に戦った。騎士が助けに来た時は、村の男たちは誰一人生きていませんでした」

 レイアさんはサイラスを覚えていた。普通なら持ち上げるのも困難そうな大剣を背負っている赤毛の大男が、敵兵に連れて行かれそうなレイアさんを守ろうとして、殺されそうになっていたジャン君を助けたらしい。そのジャン君が下痢で弱っている。

 私の国の兵士のせいで、父を亡くしてこんな暮らしをしなければならなくなったジャン君。絶対に助けなければと思った。


 荷持を持ったセロンがレイアさんの家にやって来た。

「教会と協力して、明日よりパンを配給することになった。忘れずに貰いに行け」

 セロンが、神父様と何かを話し合っていたと思ったら、パンの配給をするらしい。

「パンが手を手に入れたら、ジャン君の下痢の様子を見て止まっているのならば、明日からは、紅茶で柔らかくして食べさせてあげてください」

 薬を飲んだジャンは、少し落ち着いてきたように見えた。私はセロンが持ってきた荷物の中に入っていた茶葉とジャムを渡す。

「本当にありがとうございました。まさか、お医者様に診てもらえるとは思っていませんでした」

 レイアさんが深々とお辞儀をした。目には涙が溜まっている。

「お大事に」

 こうして、初めての往診が終わった。


「私は、戦争で親を亡くした子のために孤児院を作った。だが、それたけでは不足だった。戦争寡婦となってしまった女性が、一人で子どもを育てるのは本当に大変だとわかった。これからはこの地域の支援もしなければ」

 セロンが言う。今晩の肉は、少し大きめにしてあげてもいいかと思った。

「セシィは凄いな。茶葉とベリージャムを持ってきていたんだ」

 アンドルー先生が褒めてくれる。

「前に診療所を手伝っとき、アンドルー先生が下痢の子の親に、ベリージャム入りの紅茶を飲ませるようにと言っていたから。紅茶やジャムを買えない家庭もあるかなと思って」

 セロンが頭を撫でてくれる。サイラスよりは小さいけれど、大きな温かい手だった。

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