第8話 スパイ疑惑

「これは、月のお給金なの?」

 セロンがくれたお金は、サイラスが渡してくれるお金と同じ。だから、サイラスの週給の半分になる。

「いや、週給だ」

「こんなに貰えないよ。もっと少なくていい。その分を復興に使ってよ」

「駄目だ。必要なお金は使いつつ、復興しなければ意味がない。セシィが低給で仕事をしたら、他の者も正当な報酬を受け取りにくい。だから、ちゃんと受け取れ」

「でも、セロンはお金を受け取っていないじゃない」

 帳簿付けを手伝って分かった。たから、セロンは我が家で只飯を食べて行くんだ。

「私は、領主代理だからな」

「わかった。夕飯代込みと言うことにしておく」

「それは、有難い」

 セロンの笑顔を初めて見たかもしれない。


 いつもの様に、仕事が終わってセロンと一緒にお買い物に行く。

「今日は私のお金があるので、ちょっと贅沢する」

「いいね、私の方が大きい肉だな」

「小さい方に決まっているじゃない」

 ちょっと贅沢な買い物を済ませ、セロンと馬に乗って家に帰る。

 そして、セロンに手伝ってもらって夕飯の用意をする。

「まだ、サイラスを庇うのか?」

「当然」

「私は、あいつをこの手で殺すまで、諦めないからな」

 私は、ため息を付く。

 そうしているうちに、サイラスが帰って来た。

「今日、お給金を貰ったの」

 サイラスに報告する。

「ちゃんと、貰えたのか?」

「うん、サイラスの半分ぐらい」

「それは、事務官と同じぐらいだ。良かったな」

 サイラスが頭を撫でてくれる。褒められてうれしい。


 夕食の後片付けが終わった後、セロンが家へ帰って行った。

「セシィ、ちょっと話がある」

 サイラスが呼ぶ。私たちは食事室の椅子に座って向かい合う。

「サイラス、何?」

「セシィがちゃんと給金を貰えることを確認したし、俺は、セロンの気が済むようにしたい。セシィは、領主館に住め。セロンも悪い様にはしないだろう」

「嫌よ! 私はここにいる」

「俺は、セシィが一人で生きて行けるようになるまでの命だと決めていた。だから」

「駄目よ、セロンは信用できないわ。サイラスがいなくなると、私は用無しになって、放り出されるかも。サイラス、お願い。私の側にいて」

「ブレイスフォード子爵は、清廉な人柄だと聞いている。息子のセロンもおまえを放り出すような男だとは思えない」

「私を誘拐するような男よ? 本当に信用できると思う?」

 考え込むサイラス。


 翌日も夕食を三人でとる。

「相変わらず、セシィの飯は美味いな」

 セロンが褒めてくれる。

「お世辞を言っても、お代りはありませんからね」

「こいつには、追加するのにか?」

 サイラスの皿を指差して言うセロンは、相変わらずせこい。

「セロンにもやったらどうだ?」

 サイラスは優しすぎます。

「只飯食らいに、贅沢は必要ありません」

「相変わらず、セシィは私に厳しくないか?」

「当然です。サイラスの命を狙っている奴に、追加するご飯はありません!」


 いつものような夕食を終え、セロンが玄関から出て行った。

 追いかけるサイラス。

 一階の部屋の窓を少し開けて、外を見る。

 薄暗い庭に二人が見えた。話し声が聞こえてくる。

「セロン、私を殺した後、セシィを変わらず雇ってもらえるか?」

「それはどうかな? セシィは隣国の女なんだろう。スパイではないとは言い切れない」

「セシィがスパイなどと、そんなはずない!」

「あの時も、そう言ったよな。あの女に騙されているのではないかと問うた私に、『あの人は、騙すようなことはしない。おまえの妹が悪い』と。しかし、貴様は見事に騙されていた。信用ならん」

「セシィをどうするつもりだ?」

「貴様を殺すことに納得してもらわなくてはな。私は罪人と呼ばれてもかまわないが、妹まで罪人呼ばわりさせるわけにはいかない」

「セシィに求婚をしていた。冗談か? 騙すためか?」

「セシィが結婚を了承してくれたら、大切にはするつもりはある。スパイでは無かったらな」

「スパイかもしれない女を嫁にするつもりか?」

「貴様に嫁がせるよりは、安全だろう」

「今の俺を騙す価値はない。昔ならともかく」

「貴様は、戦争を終わらせた英雄だ。価値はあるだろう。敵国の女に騙されて、貴様がこの国に敵対するようなことになれば、この国は終わるな」

 話しが終わり、セロンが斜向かいの家に帰って行った。

 家の中に入って来たサイラスに問う。

「サイラス、セロンは私を疑っているの?」

「セシィ、聞いていたのか? 俺がおまえの国の女に騙されたから、おまえも疑われている。俺のせいだ」

「セロンの妹さんと何があったの?」

「あれは、五年前、貴族が通う学園の卒業パーティの時だった。王太子が突然、婚約者の公爵令嬢に婚約破棄を言い渡した。侯爵令嬢は、ふらふらと王太子に近寄ってきた。俺は、卒業生であったけれど、王太子の護衛騎士でもあったので、公爵令嬢の肩を持って、膝を床に付けさせて拘束した。それを助けようとしたセロンの妹が走って来た。俺は、蹴りを入れて止めた」

「セロンの妹さんは、酷い怪我をしたの?」

「腹に痣ができていたと、セロンが言っていた」

「なぜ、死んでしまったの?」

「俺たちは、男爵の娘となっていた女スパイに騙されていて、侯爵令嬢とセロンの妹がぐるになって、男爵令嬢を苛めていたと思い込まされていた。そして、セロンの妹が、男爵令嬢を階段から突き落として殺そうとしたと思っていた。だから、セロンの妹に『おまえなど、生きる価値はない』と言ってしまった」

 それだけで、セロンの妹さんは死んでしまったの? 

「女スパイはどうなったの?」

「隣国へ逃げた」

 辛そうなサイラス。


 翌日、セロンの執務室で帳簿付けを手伝う。

「隣国のスパイだと疑っているのでしょう?」

「サイラスに聞いたのか? 口の軽い男だ」

「違うわよ。部屋にいたら聞こえたのよ。疑っているのに、帳簿なんて見せていいの?」

「我が領地が貧乏なのは、帳簿なんて見なくてもわかる。見せても大差ない。スパイだろうと、使えるやつは使う。我が家の家訓だ」

「もし、私がスパイならどうするつもり」

「逃げたあの女の代わりに、見せしめに殺すかな。楽には殺さんが」

 微笑みながら、物騒なことを言うのは止めて欲しい。

「なぜ、妹さんは、自ら死んでしまったの?」

 辛い思い出だとは思うけど、こんな奴に配慮は必要ない。

「妹は、サイラスに憧れていた。本を読んで歩いていて、崖から落ちそうになったところをサイラスに助けられたそうだ。助けられたことも気付かずに、抱きしめられたことに驚き、サイラスの頬をぶってしまったらしい。それを見ていた級友に指摘されて、謝りに行ったら、サイラスは微笑んで許してくれたと」

 サイラスらしい。昔から優しかったんだ。

「妹は、子爵の娘である自分が、侯爵子息のサイラスに相手にされるとは思っていなかった。ただ、卒業パーティの日、一曲だけでいいからサイラスとダンスを踊りたい、そんなささやかな願いを書いた手紙を私によこした。しかし、あの日サイラスからは貰ったのは、『おまえなど、生きる価値など無い』という残酷な言葉だけだった」

 なんてこと。憧れていた人に、そんな残酷なことを言われたなんて。私がサイラスにそんなことを言われるところを想像しただけで、涙が出そう。

「サイラスは、妹さんが自分に憧れていたことを知っているの?」

「いや、私が伝える訳がないだろう」

「妹さん、辛かったでしょうね」

「当然だ。死ぬぐらいだから。あいつだけは許さない」

 セロンが握り締めた手から、血が滴る。強く握りすぎて、爪が掌の皮膚を破ったらしい。

「血が出ているよ」

 セロンの掌をゆっくりと開く。

「私が結婚してほしいと言えば、本当に結婚するつもりだった?」

「本当だ」

「なぜ? ドレスや宝石を欲しがる女性だけではないでしょうに」

「妹は、生きる価値がないと言われて、死んでしまった。私も同じようなことを言ってしまって、妻に死なれたらと思うと怖かった。セシィならば、そんなことでは死なんだろうし、死んだとしても、スパイだったと諦められる」

「か弱い女性になんてことを」

「セシィがか弱いならば、この世にか弱くない女などいない」

 失礼にも程がある。

「セロンは、今夜の夕食はいらないのね。さっさと、自分の家に帰ってね」

「いや、セシィほどか弱い女はいない。夕飯は食う」

 何て変わり身の早いやつ。

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