第4話 異世界の王

「次の方どうぞー」


 俺は扉の前で会う最後の人間に、滞在時間を改めて聞かれて一時間と答えた。早く戻る分には一向に構わないらしく、時間を過ぎると延長料金がやや割高で掛かってしまうことなどを最終確認項目として告げられた。 


 こうして受付の人に業務用の笑顔と声でテーマパーク張りに元気よく送り出された俺は、重厚な木製扉を押し開けたのである。


 俺は異世界というのだから、それこそ地球とは別の空間であるような――少なくとも普段吸っている空気とは異なっている――気がしていたのだが、それは風が吹けばただ流されるだけの馴染みある大気だった。


 彼女の話の通り、その大気に構成された気高き薄青い空には鳥ではなく、より大きな翼とシルエットだけで判別できる嘴を備えている翼竜がほとんど翼を動かさずに居た。地に生えている草も普段よく見る雑草の類のさしたる違いは見受けられず、それを食しているラクダ擬きも噂通りに顔を中心にごつごつしている。俺にとってこの異世界というのは、どこか外国の公園といった方がやはりしっくりくるのかもしれなかった。


「ええっと、天利……宗太さんですか?」


 誰かが俺の名前を呼んでいる。


「こっちです、ここです」


 姿は見えないが声だけは聞こえる。名前を知っていることから察するにビギナーに付いて来るというこの世界の案内人だろうか。声を直接俺の脳へ届ける姿のない異世界生物との遭遇。こんなにも不思議な体験ができるとは来てみて正解だったかもしれない。


「誰が声だけですか。こっちですよ、こっち。ほら、この美しい羽根が見えないんですか?」


 ……蝶?


 降り注ぐ文句と共に俺の目の前を一匹の青い蝶が通りすぎ、それで漸く俺は声の主を見つけられた。


「そうですよ、私です。これだからほんと地球人は」


 いや、俺を人類代表みたいに言われても。


「でも他に判断材料ないですから」


 君は異世界案内人のベテランじゃないの?


「いえ、私は三日前に雇われた新人アルバイトですよ。こんな時だからですかね。最近はバタフライが多く駆り出されてるんです」


 本来は蝶じゃないのか。いやしかし、俺の友人も案内人は蝶だといっていたような。


「最初のころはフェアリー、妖精が担当していたんですけどね。異世界人、ええと地球の方々の人気が高まって今はこんな状況ですので、見た目が似たような生き物ってことで最近はバタフライが採用されることも多いんです。フェアリー三、バタフライ一ぐらいかな。ほら、羽が生えていてひらひらと飛び回る小さな生き物って点では変わらないじゃないですか」


 魔力飛行か自力飛行かの違いだな。


「魔力……ああ、エモのことですね。そちらでは魔法とか超能力とかいうらしいですが、こちらではエモって呼びますね」


 エモ……? そうか。そのそれで、君のことは何て呼べばいいんだろう。


「? 私ですか? すみません、申し遅れました。何せ初仕事なもので。ええと、私はサキといいます。地球風に言うとオオムラ・サキです」


 ……そうか。こっちにもそういう名前の蝶がいるよ。それでサキ。どこへ連れていってくれるんだい?


「どこに行きたいですか? こう見えても地理には詳しいのでどこへでも案内できますよ」


 そうだな……パンフレットには名所らしき場所がいくつか書かれていたが、やはり城だろうか。どこまでいけるかは知らないが、できる限り近くまで行きたい。


「はい、わかりましたっ♪」


 城のある湖まではかなり距離があるように見えたが、サキによると人間の足で歩いて十分もかからないそうだ。異世界というのはどうにも感覚を狂わされる場所である。


 丘を下って城下街へ入り、城へ通じているメインストリートをまるで祭りの出店を眺めるかの如く観覧だけをし、そしてそのまま俺は土産の一つも買わずに城下湖畔街を出た。ちなみに先ほどの街はセンチメントというらしい。イタリア語で感情とか気持ちとか。この調子だとドイツ語とかフランス語とか出てきそうだな。


「エモォォォショナァァァル!! ようこそ、我が国へ地球人。私はエモーショナル王国三代目国王のゲフュール・センティメント・サンティマンと申す。高いところから失礼しているが、どうぞ心行くまでわが王国を堪能してくれ給え」


 ……独英伊と全部出てきたな。とんでもない名前の王様だ。

 

 見どころあるすべての異世界観光地を素通りして城のふもとまで来た俺は、そこで幸運にも王様を謁見することができた。なんでもこのエモーショナル国王とかいう王様――俺が今つけた――というのは無駄に忙しいらしく、国民の前にさえ滅多に姿を見せはしないのだという。一国を治めているのだから当然のような気もするが、それでいいのかとも思ってしまうのは日本人的価値観だろうか。それにしてもなんだあの挨拶は。いったいどこまで感傷的な国なんだよ、ここは。


 そんな誰に言うでもない独白をしていたものだから、急に声を掛けられた時に俺は素っ頓狂な声を上げてしまうことになる。それも噂のエモーショナル国王ともなれば、まさか俺の心の声を聞かれていたのでは、などという杞憂に近い心配をしていると王様はこんなことを言いだしたのである。


「……ん? おい、そこにいる地球人。そうだ、青いバタフライがついている君だ。うん、特別に君を城の中へと招待しよう。おい、誰かおらぬか。あの者を迎え入れなさい」


 困惑していたのは俺だけではなく、サキもまた戸惑っていた。王が城内へ消えてから取り留めようのない言葉でその稀有さを捲し立てて俺に説明を始めた。その取り留めなさを要約すれば、こんなことは地球と繋がって以来初めてらしい。周囲でこの様子を見ていた異世界人――この場合は現地人――と同じ観光客――彼らから見れば異世界人――も口々に突如現れた有名人のうわさ話をするように喧騒を立て始めた。その喧騒が収まったのは城から王の家来と思しき集団が閉じられていた城門を堀に掛けてこちらへ渡ってきたとき。さすがに王が城外まで来ることはなかったが、それでもサキはその場での待機を命じられていた。サキはこれを粛々と受け、俺は大歓迎の超護送で案内された。


「おい、バタフライ。この者の名は?」


「天利様と申されます」


「……そうですか、そうですか。失礼しました天利様ですね。ではではこちらへどうぞ」


 ……いったい俺はどうなっちゃうの?

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