黄昏の少年

香月 杏

第1話

「諏訪エレンです。よろしくお願いします」

フランス人形を思わせる、繊細で美しい外見に似合わない流暢な日本語。

肩のあたりで切り揃えられた金色の髪は艶やかで、肌は雪のように白い。

真っ直ぐと前を見据える青の瞳は感情を映さず冷ややかだった。

淡々と繰り返される日常に麻痺しきっていた生徒たちは、何もかもが異質な彼を見てしばしフリーズした。

そして一瞬の後、蜂の巣をつついたような騒ぎが巻き起こったのである。

「誰、何!?」

「転校生?ほ、本当にうちのクラスなの?」

「女、男、どっち!?」

口々に叫び、囁き合う中で一人硬直が溶けていない生徒がいた。

教室の一番後ろ、隅っこの席からぼうっと彼を見つめてただ呆然とする少女。

これが、美奈と謎の転校生・エレンとの出会いだった。


こういう時は、転校生が彼女の隣の空席に案内されて、緊張しながらも仲が深まっていくのが小説やら漫画ではお決まりの展開だ。

しかし残念ながら彼女の隣は空いていない。

「ユウ、ちょっと席外れてあっちに行ってよ」

美奈は長い付き合いだが今は完全に邪魔者な幼なじみ______ユウに囁く。

「はぁ?何で俺が。俺が退かなくたって空いてる席はあるだろ」

ユウは面倒そうに顎で反対側の最前列の席を指す。

「そんなの知ってるよ。でもあんなに遠いんじゃ、簡単にお近づきになれないし」

「アイツとお近づきになりたい?やめとけよ、胡散臭い。何考えてるかわかんねえし」

ユウはわざとらしくハァ、とため息をついた。

「女のコに厳しい男は嫌われるよ」

美奈はユウを睨みつける。

するとユウは怪訝そうな顔をして美奈とアレンを交互に見た。

「女?いや、アイツはどう見たって…」

そう呟きかけたところで、エレンの隣に立っていた担任教師がパン、パンと大きく二つ手を叩く。

「はい、そこまで。諏訪君が困ってるでしょう。席はあそこだから座ってちょうだいね」

"君"。

先生は確かにそう言った。

「お、男!?」

誰があげた驚きの声か分からなかった。

しかし教室の半分が落胆していたのは確かだった。

「ど、どうして男の子だってわかったの!?」

美奈は興奮してユウに問いかける。

「いやいや、わかるだろ。普通」

それが分からないから聞いているのだが、ユウはもはや興味を失ったように欠伸をすると頬杖をついた。

(私が鈍いだけなのかなぁ……)

美奈はゆったりとした動作で自分の席に向かうエレンを、異国の王子を見つめるような視線で追っていた。


休み時間になると、予想通りたくさんの人がエレンの席の周りに集中した。

郊外に位置し、生徒数が少ないこの中学校ではただでさえ転校生は珍しいのにさらに外国人とのハーフだという。

母がヨーロッパ出身らしいが何故か国名は教えてくれなかったらしく、女子たちが次々と名前を挙げては彼が首を振るの繰り返しだった。

美奈はというと、その中に飛び込む気にはなれず席に座りながらじっとその様子を見守るに留めていた。

「おい、行かなくていいのか?」

隣から茶化す声が聞こえてくる。

「うるさい、ほっといて」

「ははん、照れてんのか。ったく、見た目が良いヤツは得だよな」

ユウはやれやれとため息をついた。

そう言うユウもなかなかのイケメンで、密かに女子たちが定期的に作っているイケメンランキングの上位常連であることを美奈は知っていた。

茶髪とピアスのせいでヤンキーのように誤解されがちだが、茶髪は地毛でピアスは昔兄弟によってイタズラで開けられたものだった。

赤みがかった茶色の瞳も、エレンのような透き通った青には負けるがなかなか美しい。

「そうだ、ユウが諏訪君と友達になってきてよ。そしたらその経由で私も話せるし」

「何他人をダシに使おうとしてんだよ、絶対イヤだね。関わりたくもねえよ」

そう返したきり、ユウは机に突っ伏してしまった。

「行ってきてくれたらイチゴ牛乳買ってきてあげるのになぁ」

美奈は思わせぶりに呟く。

「乗らねえぞ……この前もそう言ってまだもらってない」

「あ、あれはあの時はお金がなくて!今度はちゃんとあげるから!ね!?」

しかしそうやって何度好物で釣ろうとしても、結局その日ユウがエレンの元に行ってきてくれることはなかった。

その時_________たくさんの人、主に女子に囲われるエレンの視線がちらちらとこちらに向けられていたことに、美奈が結局気がつくことはなかった。


それから数日、数週間と美奈は殆どエレンと関わりを持たないまま日々を過ごしていた。

その頃には転校生ブームもすっかり落ち着いたようで、時々話しかけに来る人はいるものの彼は一人で過ごすことが多くなっているようだった。

今ほど美奈がエレンに話しかけるのに絶好なタイミングはないのだが、今さら行って自己紹介というのも気が引けた。

どこか冷めた雰囲気を持つ彼に何を話したらいいのか美奈には見当もつかなかった。

共通の趣味、いや趣味などあるのだろうか。

その時だった。

さっきまで彼がいたはずの席が空っぽになっている。

代わりにその透き通った声がほど近くから聞こえてきた。

「ユーリス、放課後、話がしたい」

「…何言ってるんだ?俺の名前はユウトだよ」

はっとして振り返ると、そこには席に座るユウを見下ろすエレンの姿があった。

「君こそ何を言う。君はユーリスだろう」

「だーかーら人違いだっつうの。頑固だな、お前」

ユウが苛立った様子で返す。

どうやらエレンはユウを誰かと勘違いして話しかけているらしい。

助け舟を出した方がいいだろうか。

今こそそのタイミングかもしれない。

「あ、あの…」

美奈が恐る恐る声をかけると、エレンはちらりと彼女に視線をやる。

涼しげな、美しい青の瞳。

「そ、その人、私の幼なじみで。白銀悠人って本名があって、そんな、ユーリスとかそんな綺麗な名前じゃない…ですよ」

しどろもどろになってしまった。

美奈は不甲斐ない自分を恥じつつ、しかしエレンから目を離すことはしなかった。

エレンはしばらく思案顔で美奈を見つめた後、ふっと視線を外してユウに戻した。

「そうか。悪かった、ユウト。君は私の兄弟によく似ていた」

「…ああ、そうかよ。分かったんならいい」

ユウもどこかほっとしたようにため息をつく。

エレンが去った後、ユウは寝足りないというように大きく伸びをすると美奈に向き直った。

「悪い、ありがとな。助かった」

異国の美青年を前に彼も少し緊張していたらしい。

力が抜けたようにユウは笑った。

「ううん、いいよ。おかげで私も諏訪君と話せたし。でも気になるね、そのユウと似てるっていうご兄弟」

「…そうだな。いい迷惑だよ」

ユウは頭を掻くともう一度寝る体勢を取った。


その一件以降、エレンは頻繁にユウに話しかけてくるようになった。

そして隣の席の美奈にも。

ユウが煩わしがるので美奈が懸命に応対していたらいつの間にか話せるようになっていたのだ。

エレンは見た目こそ中性的で繊細な顔立ちだが、口調は少し古風に思えるほど堅苦しく、中身も同じようだった。

「ミナはユウトと恋仲なのか?」

ある日、昼休みにそう尋ねられたとき美奈は飲んでいたお茶を吹き出してしまった。

「おいおい、汚ねえな」

ユウはさして動じていないようで、渋々ポケットからティッシュを取り出して机の上を吹き始める。

こういうことは言われ慣れているらしい。

「ば、そんな、私は、その、おさななな」

美奈は顔を真っ赤にして両手をぶんぶんと振る。

「違うのか。しかし人の生とは短いものだ。行動を起こすならあまり迷わないことだ」

妙に達観したその台詞に、ユウと美奈は目を点にする。

そして顔を合わせると吹き出した。

「何かおかしなことを言ったか?」

エレンは首を傾げる。

さらさらとした金髪が顔にかかった。

人形然とした表情からこのような言葉が出てくるのはやはり何とも不思議なものだ。

「日本人はそういう堅い言葉遣いはしねえんだよ。人に説教する前に自分のジジ臭さを直してこい」

ユウは一喝したが、エレンはやはりよく意味がわからないようだった。

そんな調子で緩やかに時は過ぎていった。

いつの間にか3人は行動を共にすることが多くなり、今ではそれが当たり前となっていた。

「ミナ、ユウは今日は委員会があるから先に帰っていてほしいそうだ」

放課後、エレンはミナにそう声をかけてきた。

口調が堅苦しいのは相変わらずだが、最初の頃に比べればそれでも少しは良くなった方だと美奈は考えていた。

「わかった。じゃあエレンに美味しいクレープ屋さん紹介してあげるね。最近できたばっかなの」

美奈が微笑むとエレンも微笑みを返した。

まさに天使の微笑みだった。


下駄箱でエレンを待っていた時、美奈はそういえばエレンと二人で帰るのはこれが初めてだと気づき段々と緊張してくるのが分かった。

何を話せばいいんだろう。

いや、今日はユウがいないだけで他は今までと変わりないじゃないか。

何を緊張する必要がある、と頰を叩き、エレンを一人待つ。

「待たせたね、ミナ」

エレンは靴を履き替えて美奈の元に来た。

「う、ううん。じゃあ行こうか。ユウもあそこのクレープ食べたがってたのに、残念だなぁ〜」

意識していないはずなのに声が上ずってしまう。

「…ミナ、緊張しているのか」

エレンは鋭かった。

「え!?そ、そんなことないよ」

「そうか?ならいいが」

エレンはそれ以上突っ込むこともなく、美奈より少し先を歩く。

僅かの間、沈黙があった。

美奈がどうしようと思いあぐねていると、エレンはふと思いついたように彼女を振り返る。

「ねえミナ、君はオカルトの類を信じるかい」

澄んだ瞳で見つめられて美奈はどきりとする。

「オカルト?幽霊とか…?」

何を話したいのか掴めずに曖昧に問い返す。

「そうだ。幽霊とか、怪物とか、この世に存在しないとされているもの。…かつて僕の住んでいた国では盛んだった。この国はそうでもないようだが」

エレンは西の空に視線を移すと、今にも落ちてしまいそうな夕日を目を細めて見つめる。

「オカルト…は、よくわからないけど。そういえば私、エレンの住んでいた国って聞いてないよね」

美奈は彼が転校してきたその日を思い出す。

母親がヨーロッパ出身とは言っていたが、肝心の国についてはやはり話していなかった。

それなりに仲を深めてきたと言ってもエレン自身についてはまだ謎だらけだった。

「聞きたいか?」

エレンは立ち止まって振り返る。

夕日に照らされる彼の姿はあまりにも美しく、儚げだった。

「う、うん。いや、言いたくないならいいけど」

するとエレンは口元を緩めた。

「そうだな。君になら教えてもいいだろう。僕はここに兄弟を探しにきたが……一緒に君を連れて帰るのも悪くないかもしれない」

「え…?」

美奈は思わず訊き返す。

その時、遠くから足音と大きな声が聞こえてきた。

「おい待てよ、お前ら!すぐ終わるから待ってろっつったろー!」

ユウだった。

「…やれやれ、やっと来たか」

エレンはため息をつく。

いつものエレンだった。

黄昏時は幻を見せるのかもしれない。

何故だか美奈にはその一瞬、エレンが人間離れした何かに見えたのだった。


結局その日はユウが機嫌を悪くしたのもあって、美奈がイチゴ牛乳を奢る羽目になった。

所持金不足により、クレープは次回以降に持ち越し。

そして今日、もう一度リベンジしようと美奈は意気込んでいたのだが、不運なことに今日に限って掃除当番だった。

さらに文化祭が近いこともあってか同じ班のメンバーが部活やら委員会やらで忙しいからとどんどん抜けていってしまい、最終的に美奈一人でゴミをまとめて捨てに行く羽目になった。

(やばい、もうこんな時間…二人とも待っててくれるかな)

時計の針は5時を指そうとしていた。

教室にはもう誰もいないかもしれない。

一人ゴミ箱に袋を掛けに戻ってきたのが何とも阿呆らしく惨めに思えた。

階段を息切れしながら上がって、教室の戸に手をかける。

しかしそこで、何やら揉めるような声が聞こえてきた。

美奈は反射的に身を屈めて耳を済ます。

何を言っているかさっぱり分からない。

他の言語で話しているようだ。

だがその声にはどうも聞き覚えがある。

(…まさか、そんなはず)

エレンはともかく、英語はいつも赤点の彼が外国語を話せるはずなんてない。

きっと聞き違いだろう。

そう思いながら恐る恐る扉の窓から顔を覗かせる。

するとそこには、窓に腰掛けるエレンとそれに向かい合うように立って何やら話しているユウの姿があった。

「…ユーリス、…………」

エレンはユウの言葉を遮るとそう呼んで、また何か話し始める。

ユーリス。

それは最初の頃、エレンがユウを兄弟と間違えて読んだ名前。

あの時ユウは否定した。

今のユウは、苛立っている様子ながらも特に口を挟まない。

(どういうこと?)

美奈は鼓動が早まるのを感じた。

ユウはユーリス?

頭が混乱する。

なおも目を離せずに見守っていると、エレンは胸元から何やら小瓶を取り出した。

よく見えないが、中には液体が入っているようだ。

射し込む夕日のせいかもしれないが、それは赤っぽく見えた。

エレンは小瓶をユウの前で揺らすとにやりと笑って言葉を続ける。

澄んだ青色だったはずの瞳は、今はその液体と同じ赤に煌めいていた。

ユウは後退りして、負けじと笑い返した。

その額からは汗が流れ落ちていた。

美奈には何が何だかさっぱり分からなかったが、何か見てはいけないものを目撃したらしかったのは確かだった。

そっと、二人に気づかれないようにロッカールームに入ると、自分のスクールバッグを手に取って、走り出した。

振り返らない。

振り返ってはいけない。

本能がそう急かしているようだった。


走って、走って、息が苦しくて、口の中は鉄の味がする。

それでも何も考えないようにするにはこうして走り続けるしかなかった。

ユウとエレンが話している、それはいつものことだ。

しかし二人が話していたのは日本語ではない、英語でもない、全く聞き取れない何か別の言語。

ユーリスと呼ばれて抵抗しなかったユウ。

エレンが取り出した赤い液体の入った小瓶。

エレンがユウを見つめる奇妙に赤い、いつもの涼やかな瞳とは全く異なる何かねっとりとしたような恐怖さえ覚える視線________そう、それは前に美奈がエレンと二人で帰りかけたとき、夕日を背に見せた人ならざる者のようなあの雰囲気と似ていた。

『君こそ何を言う。君はユーリスだろう』

『僕はここに兄弟を探しにきたが……一緒に君を連れて帰るのも悪くないかもしれない』

エレンの発言がフラッシュバックする。

しかし美奈の記憶では、ユウは、白銀悠人は間違いなく日本人だった。

見た目もそうだ。

イケメンなのはどちらも同じだが。

第一、ユウにはちゃんとこちらに家族も兄弟もいた。

彼らは皆日本人で、エレンのような人が兄弟なはずはない。

養子ならまた話は別だが、エレンは「兄弟を連れて帰る」と言った。

一体どこに?

そもそもエレンは本当にただの"人間"なのだろうか。

あの小瓶に入っていたのは…?

(もうわかんないよ…)

美奈は立ち止まる。

そこの角を曲がれば美奈の家もすぐだが、帰りたい気分でもなかった。

オカルト嫌いの母は話すら聞いてくれないだろう。

父は物心ついた頃からいないし、残念ながら兄弟もいない、

そこで初めて美奈は、自分が思っている以上にユウに精神的に依存していたのだと気がついた。

「美奈?」

だから、後ろからよく知る声が聞こえてきたとき、美奈は恐怖の混じった驚きを覚えたと同時にひどく安心した。

「ユウっ……!」

目に涙を溜めて振り返ると、ユウは一瞬驚いたように目を見開いた後瞬時に状況を判断したように目を細めた。

その瞳は先ほどのエレンと同じように黒目の部分が赤っぽかった。

美奈は思わず後ずさる。

「……やっぱ見られてたか。悪かった、本当…お前には迷惑ばっかりかけたな。もういなくなるからさ、安心してくれ。…大丈夫だ、俺は何もしたりしねえから」

ユウはそう言って困ったように笑うと、後ろを向いて走り出す。

「えっ、ちょっと待っ、ユウ………!」

美奈は声をあげた。

違う、そんなつもりだったんじゃない。

ただ何が起こっているのか聞きたかっただけ。

そんな思いを込めて何度も名前を呼んだ。

届かなかった。

まるで夕日の中に消えたように、白銀悠人の姿はあっという間に見えなくなった。


(何かの冗談だよね、きっと。ユウは冗談言うの好きだから)

声も枯れ果て、道行く人に不審がられる頃、美奈はやっと諦めて家路に着いた。

明日になれば会えるに違いない。


翌日から、ユウは学校に姿を見せなくなった。

エレンは転校したらしいと聞かされた。

仲の良かった二人の生徒が忽然と姿を消したことは、一時は学校中の噂のタネになった。

二人の共通の友人である美奈に事情を聞き出そうとする者も多かった。

しかし彼らがそれ以上何かを得ることはできなかった。

「ごめん、私も二人のことはよく知らなくて…うん、そうなの。ごめんね」

白銀悠人_____"ユーリス"とエレンは、美奈の記憶からもまた姿を消していたのであった。

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