第3話日程3 フール草原(昼食)危険度★★

 全然味がしない。ピクニック気分で食べるお弁当は、上方補正がかかるはずなのに……。

「どうした、旦那様? そうか妾の手料理が美味すぎて、頭の処理がおいつかないのじゃな」

 姫がフォークで、卵焼きを口に運ぶ。

「美味なのじゃ」

 姫が、年端もいかぬ少女のように、目を輝かせる。そんな姫を喜ばせるためだけに、萎えた食欲を奮い立たせる。ねらい目は、プチトマト。しかし、卵焼きを失った今。彩りの要すら失っては……もはや烏合の衆だ。

「母君の卵焼きは、ふわトロで最高に美味なのじゃ」

 よくよく見れば煮物に、佃煮――見慣れた家庭の味。要らぬ心配だったようだ。

「モグ、モグ……。ううっ!?」

「何故、泣きそうな顔をしているのじゃ?」

 醤油がほしい。さもなければ、味噌を。いつもなら、耐えられる。姫の目を盗んでこっそり、加味することだって容易だ。けれど、今の精神状態では、とても耐えられない。


「もしかして、口にあわなかったか? 母君にも手伝ってもらったのじゃが――」

 姫が、所狭しと並べられた重箱を覗き込む。5~6人前はある弁当は、ほとんどが手付かずの状態だ。

 見渡す限りの青空に、青々と茂る低草。ここが、のどかな牧場だったら余裕で平らげていたさ。でも、ここはそんな穏やかな場所ではない。


「あのさ、姫。ここって――」

 安全なのかと言いかけた所で、助け船もとい女子高生を視界の端に捉えた。カーキ色のカーディガンを羽織った相武がおぼつかない足取りで、彷徨っている。今は、自由時間、昼食タイムのはずだが……。

「おーい、相武」

 返事はないものの、確かな足取りでこちらに近づいてくる。

「一人で、どうした?」

 きっと、喧嘩別れしたんだ。となると、暴舞はどこにいるのだろう。一人でバスに戻ったのだろうか。ガイドと運転手が、バスを護衛しているはずだから心配はないだろう。すくなくてもここよりは安全なはずだ。


「先生、あのさ。どこかに売店とかってないかな?」

 ばつが悪そうに、相武が俺に問う。

「そんなもんないぞ」

「え? だって、ここって観光地なわけでしょう」

 相武は、心底驚いているみたいだ。異世界に観光地って概念は存在しない。間違ったステレオタイプ。異世界旅行はただの海外旅行と同じだって勘違いしている奴は多い。限られた情報。たまに、テレビの特番とかで紹介されるツアーは、かなりの脚色されている。煌びやかな城下町、幻想的な森林、幻想的な水獣が生息する大瀑布。極めつけは、絶品異世界グルメ。これはだけは、断固否定できるところではある。


 突然、ギュルルと音が響いた。何事かとあたりを見渡す。相武が顔を赤くしている。

「……昨日から、何も食べてないんだもん。異世界グルメは激ウマだって聞いたから……」

「なんじゃ、腹がへっているのか。だったら、妾の特性弁当を食べてればよい。なに、遠慮することはないのじゃ」

「本当に良いの?」

 姫から割りばしを受け取った相武は、間髪入れず咀嚼を開始する。


「どうだ、うまいじゃろう?」

 コクコクと相武が頷く。みるみる内に、重箱が空になっていく。相武はものの数分で全てを平らげた。

「プハーッ、美味しかった」

 よほど空腹だったに違いない。空腹に優るスパイスは存在しない。

「で、何があったんだよ。暴舞と喧嘩したのか?」

 きっと、非日常というか極限の危険にさらされて、暴舞は繕うことをやめたのだ。『世界はこんなにも広い。私はどこまでも自由』そう嘯いて、相武と決別した暴舞の姿が目に浮かぶ。


「別に喧嘩なんかしていないわよ。通常運転よ、通常運転」

「辛かったな」

「はぁ?」

「すまんのう。旦那様は、少しナーバスになっておるのじゃ。安全下の演出されたスリルだと説明しておるのに、中々納得してくれん」

「……赤エルフの森で、死にかけたじゃないか」

「赤エルフは、好戦的じゃからのう。度を越した演出だったかもしれん。しかしな、旦那様。奴らが本気であればこうして妾達が、無傷でおるはずがないのじゃ」

 嘘だ。俺は確かに垣間見た。得体の知れない過剰な厚着にサングラス姿の運転主。その腕に矢が突き刺さっているところを。


「さっきの竜の巣穴だって、絶対的に侵入禁止エリアだっただろう」

 草原の向こうに位置する段丘斜面。深い渓谷に続く、岩場。そこは竜の住処。

 安全対策の柵なんてもちろん存在しない。バスを修理する名目で、同行しないとガイドは言った。その後、目的地の大まかな場所と集合時間だけを告げられ解散。豆粒ほどの大きさに竜を捉えて踵を返した。無論、竜に触りたいと夢見がちなことをほざく女子高生どもを強引に連れてだ。

 反感を買って、途中でわかれたわけだが、まさか二人が喧嘩別れするなんて……俺には、教師の才能がないようだ。

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