3

 それはどういうものかとエクセルが尋ねずとも、彼は説明を始める。

 ベルナがぴくりと指を動かしていたのを、たまたまエクセルは見つけてしまう。


「その名を付けたのは、この集団が現状の世界に不満、そう、特に『ロンロさんへの扱い』に憤りを感じているからです。異人との戦いを終わらせたロンロさんが、各国の言う『異人の王になろうとした裏切り者』ではなく陰謀で、各国の現体制の生贄にされたと」


 セブリが話してくれている内容を頭には入れているが、しかしベルナの様子が気になる。唇を噛み、手をぎゅっと握ってこれはおかしい。内容の外に原因がある。そう感じられずにはいられなかった。


「ざっくりと言いますが、どうやらレメリスの頂点にロンロさんを立てようとしているようです。異人の王を討ち、世界を救った勇者こそふさわしいと。つまり『勇者の帰還』そして『レメリスの王の誕生』 こちらはさすがにつけられませんでしたが。ロンロさん、この言葉に聞き覚えそして、このような集団とこれまで接触されたことはありますか?」


「ない」


 即答する。セブリが言うようにエクセルを持ち上げようとする者はおらず、石しか投げられてこなかったからだ。嘘を言う必要もない。なぜならば。


「俺はどこにも帰るつもりはないよ」

 まぶたを閉じ、一呼吸おいてセブリは進める。

「レメリスの剣(サーリアス)というのは、どこの国にもつかないと先ほど言われました。それはすでにこの集団の言う『レメリスの王』であるからということではないですか?」


 騎士警察という立場であるセブリならば、そう考えるのもおかしくはない。例えかつての仲間であろうとも疑うのが彼の仕事だ。わかる。わかるが気分が良いものではない。エクセルは静かに強く反論する。


「剣は使われるもの。王ならばそれを許せるわけがない」


 動きはしないが感覚のある左腕がうずく。この左腕に誓って嘘は言っていない。それをどうすれば彼に信じてもらえるのか。


「信じます」


 考える時間がもったいないほどにあっさりと言葉が飛び出してきた。帽子を浅く被るようにして己の表情をよく見せるようにする。眉間にしわはなく、唇も曲げず、穏やかに力強くそこに立っている。


「僕が信じなければ、誰が騎士警察で信じるというんですか。ね、ベルナさん」


 またもや不意打ちに彼女ははっとした様子で声の調子を整えられなかった。


「あ、あたりまえ。エクセルが嘘なんてつくわけないでしょ」


 やはり様子がおかしい。しかしエクセルが一体どうしたのだと尋ねてみても、きっと彼女は答えないだろう。うまく聞き出せる技があれば聞けるのだろうが、そんなもの元々持っていなければ、人とのつながりをないがしろにし続けてきたせいで素養すら落としきっていた。


「と、いうわけです。だから今度こそロンロさんも僕たちのこと、信じてください。あの日のようにいきなり消えるのではなく頼ってください。ロンロさんが僕たちを気遣ってくれた気持ちはよくわかります。でもだから僕たちも同じなんです。それをわかってくれれば、僕は……それだけで」


 本当に言いたいことはこれだったらしい。

 エクセルは思う。クーエにも、もし会うことがあるならば同じことを言われるのだろうと。

 ライド、ベルナ、セブリ、おそらくクーエも。それぞれがエクセルを追いかけなかったために、今の身なりからわかる裕福な生活を送れている。その罪悪感もあるだろうが、彼は身勝手ながらそんなものを早く捨て、自分のことを忘れるべきだと考えている。


「わかった。頼るよ」


 そのように言葉と意味が剥離したこと気にせず言えればどれだけ良かったのだろうか。一日前であれば簡単に答えられていただろうが、もう今のエクセルには難しくなっていた。


「ごめん。うまく頼れるか自信はない、でも……ただ本当にそのような集団の話は聞いたことがない。噂すら」


 素直な気持ちだからこそ伝わることもある。セブリは腕を組みながらうんうんと頷く。


「そうですか。騎士警察でもなかなか掴めていなくて、恥ずかしいことに組織の正式な名前もわからないんです。ロンロさんならもしやと思ったのですが、まあ僕らが頑張ることですよね。申しわけないです、せっかくの場だったのに変な空気にしてしまって」


 軽く一礼し、それでこの話は終わった。彼は一息つき、つられてエクセルも同じようにする。着ているマントはぼろぼろで風をよく通すが、なんだか暑く感じる。

 そんな中、やはりベルナだけが緊張を解いていなかった。彼女にそのつもりはないのだろうが、触れてくださいとばかりだ。


 だが触れられないのはセブリも同じだったのだろうか。彼はそんな彼女のことよりも、腰のベルトに付いている小型の鞄の中から金属製の小さな水筒を取り出した。だからあの中に何が入っているか誰にでもわかる。

 あっ、という感じで彼は部屋を見渡す。すると彼は部屋を出、下の階に降り、すぐに戻ってきた。グラスが二つ手にあった。部屋には先ほどエクセルがベルナに渡したものがあるので、二つ。


「この国だと僕の年齢で飲むのは違反ですけど、ほんの少し、お祝いということで」


 いたずらな笑みを浮かべ、それぞれのグラスに注ぐ。琥珀色の酒。ハリエスタでは十八歳未満でも十八歳以上が同席していれば問題ないのだが、セブリ十五歳、エクセルとベルナ十七歳と、誰もその条件を満たしていない。

 エクセルとベルナのグラスにはわずかばかり。それに比べセブリのものは二人よりも圧倒的に多かった。その量にエクセルは驚きを隠せない。


「あ、もしかして少なかったですか?」


 とんでもないことだった。この酒は水などを混ぜなければ相当に度数が高い。そんなものをセブリと同じ量飲んでしまえば、ひどい目に会うことはわかりきっていた。そもそもこのほんのわずかな量でも耐えられる気がしない。


「いや」


 いつから彼は飲むようになったのか。彼の故郷のケコでは飲酒が違反となる年齢はない。しかしあの旅をしていた頃は一滴も飲んだことがないはずだった。騎士警察になってやはり付き合いなどがあるのかもしれない。


「もう少し入れてくれ」


 妙な意地が口を動かしていた。対抗心があるわけではない、いわゆる先輩風というものだった。気合いだ。気合いを入れれば酔いなど押さえ込めると彼は考えていた。いつもは一人なのであのようにひどくぐでんぐでんになってしまうが、今は違う。

 己を信じ、敵に勝つ。


 敵は酒。この目の前のグラスに注がれた琥珀色の液体。少し離れているのにすでにつんとした度数の高さを示すようなにおいが鼻に刺さり、この時点で気を抜けば酔ってしまいそうになる。

 セブリから差し出されたグラスを受け取る。右手で。すると彼は眉を動かし気づく。


「あれ、利き手変えたんですか?」


 説明してライドやベルナのような反応を見るのは辛かったが、知っておいてもらって悪いことはない。現状の自分のことを。


「左腕はケガをして具合が悪いんだ」

「動かないんですか? しるしの左腕」

「右がある。そんなに問題じゃない。ん、ありがとう」


 彼は複雑な表情で黙り込む。しかしすぐにそんな顔をしていてはいけないと思ったか、安心を与えるような笑みを彼に向け、それからベルナにもグラスを渡した。


「ベルナさん、これくらいで良かったですか?」


 緊張し続けている彼女だったが、目の前のグラスを拒むことはしなかった。むしろ少しは和らぐかもしれないと思っているのかもしれない。ということは、彼女もエクセルと違い飲めるということだ。

 当然だ。プロテレイは十五歳から飲めるようになり、そして多くが酒を好み酒に強い国民。竜刺姫(りゅうせきひめ)として様々な場に出ていた彼女が付き合いで飲まないということは考えづらかった。


「うん、強いから、これ。ありがと」


 近づいたことでよりにおいがきつくなる。エクセルは気合いでどうにかなると目の前の敵に対し高をくくっていたが、これはどうにもならないのではないかと折れ始めていた。ベルナのように素直に度数が高いからと、自分は下戸だからと言えていればどれだけ楽だったか。

 異人の王を倒す旅。その間、敗北を味わってきたこともある。しかしそれをすべて再戦で破ってきた。ならばこの酒というのにも何度も敗北してきたのだから、今回何か奇跡的に勝利できる可能性もないこともないはず。

 エクセルはすでに酔っていた。


「では、再会を祝して、乾杯」


 各々グラスを小さく掲げる。セブリとベルナはためらうことなくグラスに口をつけ、ぐいっと喉の奥にきつい酒を通していく。そんな様子をエクセルは眺め、焦燥感に駆られる。

 同じように早く飲まなければならない。それもこの未知なる量。二人はもうすでに終わりに近づいている。間もなく飲み干す。それなのに一人だけまったく口をつけていないのはせっかくの乾杯の空気を悪くする。

 三年前、一人で勝手にいなくなったエクセルは今、酔っ払ってそんなことを考えていた。


「ぷはっ、やっぱり再会のお酒はおいしいなあ。ベルナさんもそう思いません?」


 飲み終えた。一番多い量だったセブリが一番に飲み終え、もうほとんど飲み終えたベルナに声をかけていた。


「けほっ、おいしいけどよくこんな度数高いの多く飲めるね……」

「へへ、このぴりぴり感もいいんですよ。ん、ロンロさん?」


 二人の視線がエクセルに集中する。正確に言えば彼の持っている、まったく酒が減っていないグラスに。


「どうしたの? ってまさかエクセル飲めないんじゃ」

「わ、そうだったんですか。それなら素直に言ってくれれば……」


 ぐいっとエクセルはグラスに口をつけ思いっきり傾けた。口の中に勢いよく入ってくる酒を含んだままにせず、飲まなければならない。どうにでもなれとすべて通していく。ひどい感覚が襲う。酒の中に目には見えない小さな戦士が大勢いて、それらが喉とその奥を攻めているようだった。

 普段ならむせているところだが、今の彼は気合いを入れている。そこはなんとか耐えきったが、しかし。


「ぉあ……?」


 発熱しているのがわかるくらいに体が熱い。部屋の中にあるはずのない星がいっぱいにまたたき、そのまぶしさでベルナとセブリの顔がわからなくなる。椅子に座っているはずなのに、その感覚がない。

 耳も聞こえてはいるが、何を言っているのか理解できない。二人の声が壁の向こう側からやってきているようだった。気合いを振り絞ろうにもどこに気合いがあるのかもうわからなくなっていた。


 エクセルはもうあっさりと酒に屈した。奇跡的な勝利など、布石すらなければ起きることがないのだ。己の浅はかさを悔いる余裕など、今の彼にはなかった。

 

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