6-章終わり-

 円形広場では群衆が囲み、事がすでに始まっていた。警察などの収める者はいないらしい。その中心となっている者を確かめようとベルナが群衆の中に入り込もうとすると、ぽんとエクセルが彼女の肩に手を置いて足を止めさせた。


「何?」


 このときでとやや苛立ちを表しながら言う。すると彼は人を避けようと深く深く被ったフード、そしてその中にある汚く伸びた前髪の奥からわずかながらにくすんだ瞳を見せた。


「竜刺姫(りゅうせきひめ)はやめておいた方がいい。俺が行く」


 わざわざ竜刺姫と呼ぶことがさらにベルナの気持ちを苛立たせる。


「気持ち悪い言い方。はっきりと言いなさいよ」

「……ベルナは優しいから」

「意味わかんないんだけど?」

「それがハリエスタとプロテレイの関係に影響を与えるかもしれない」

「話が飛躍しすぎでしょ」


 なんとバカな話だと一蹴しようとするが、彼は首を横に振って脅すような視線を飛ばした。


「だから俺がいる。蛮者とはどういうものか、見ておいてくれ」


 そして彼は高く跳ねた。群衆たちの頭を軽く越え、事の中心へと向かう。置いていかれたベルナも同じように跳ねて追いかけようとしたが、彼の言葉が気になり、まずは群衆の一人として見守ることに決めた。

 人をかきわけているとエクセルが着いたのだろう、わあっと声があがった。上から降ってくるという目立つ登場は、ひどく注目を浴びるはずだ。そもそも人目をあそこまで気にしているというのに、彼は迷うこともなくあの場へと。


「なぁっ、なんだてめえは!?」


 ようやく中心が見えるところにたどり着いたベルナはエクセルと、そしてやせ細った女の姿をはっきりと捉えた。

 コランだ。何度か瞬きを繰り返してみても、あの短い髪は彼女であった。この良くない雰囲気に彼女がいる。当てられ怯え座り込んで小さくなっている。そして向かい合うのは男。赤ら顔で酒に酔っているのがわかる大柄な中年の男。


 エクセルはコランを背にし、男の前に立ちはだかっていた。彼女をかばっている、そういう意図なのだと誰にでもわかる態度だが、それが群衆の気を悪くさせているようだった。

 コランが巻き込まれているならばと思わず飛び出しそうになるベルナだったが、それに気づいていたエクセルが気迫を飛ばし、その彼から味わったことのない感覚に気圧され抑えこまれてしまう。


「俺は旅の者、この方の宿の宿泊客です」

「ほおん、じゃあお前も『相手』してもらったのか?」

「……あなたが勝手に疑っているだけでしょう?」


 わからない話だった。男とエクセルの会話が繋がっているように感じられない。エクセルはちらりちらりと何度か背中のコランを気にしている。

 彼からの度々やってくる視線にコランはどうにも反応できないでいた。助けを求めるわけでもなく、拒絶するわけでもなく、とにかく彼女は今ここにいないようだった。


「いいや、そいつは間違いなく『協力者』」

「協力者」

 口角泡飛ばして男は続けた。

「『異人に股開いた売女(ばいた)』 国を――」

「売女」

 汚い響きがベルナの頭の中でまわった。


 ぱっと男の腕を取り、エクセルは言葉を遮った。フードのせいでおそらく顔は男に見られていないが、それでも十分男は怯んでいた。彼の速さ、そして力に。男は本能で感じとる、目の前の少年に敵わないことを。だからこそより敵意を強める。


「例えそうだとしても人によって戦い方は違う。あなたも、この方も」

「何言ってんだ。俺たちが戦っている間、こいつは手っ取り早く逃げて告げ口もしてぬくぬくしてやがったんだよ。だから追い出されたあとも下手にフラエールの訛りを隠してんだ!」


 ここまで話を聞けばベルナもようやくわかってきた。そして彼女の話とも繋がる。彼女が言っていた弟のために使った「あらゆる手」というのはつまり、当時支配者であった異人に体を売っていたということ。

 先ほどエクセルが川でコランと別れるときに言った「仕事」というのも、そういうことだったのだ。彼は今背中の彼女を守ろうとしているが、しかしはっきりと気づいていたのだ。


 あの意味のわからなかったプロテレイとそのほかの国の話も、遠まわしに彼女に伝えようとしていたのだ。

 ベルナは愕然とする。自分はこのレメリスのことをまったく知らないのだと。竜刺姫と呼ばれ、色々と知ったつもりでいたがやはりただの引きこもりだったと実感させられる。


「こいつは異人で汚れた体を売りつけてきたんだぞ? ああ、お前顔隠してそういうのを見るに異人くせえなあ。やっぱり異人には最高の抱き心地なのかよ? がりがりだが湿りと締まりだけはいいもんなあ?」


 ひどい言葉にベルナは眉間に力を込めてしまうが、群衆たちはそうではなさそうだった。前から短髪のげっそりとした女主人に誰もが怪しさを抱いていて、この村から出ていって欲しいと思っていたのだろう。

 そして男の発言の内容は本当であろうと嘘であろうとまさに好機へとなる。怪しさは確かな嫌悪感へと広がった。


 群衆は男に期待していて、それを邪魔するエクセルにも悪意がはいずり寄っている。

 おそらくエクセルは行く場所行く場所で同じことをしてきたのだ。だからあちこち旅をし続けている。あの暗い山の中からあっさりと出たのも、近くで何かがあったからなのだろう。


「何が望みなんです?」

 考える間もなく男は言った。

「金だ。詫びの金を出せよ」

「詫びというのは、さっきのことですか?」

「そうに決まってんだろ。異人が使ったのと思うと、ぞっとするぜ。どうしてくれんだ」


 下手くそな演技だった。言葉通りのことを思っているが、それだけではないあるものをベルナは感じとっていた。おそらく群衆にも気づいている人がいるだろうが、彼らにとってそれはどうでも良いことだ。


「出せなきゃ『フラエールでやられたこと』をもう一回やってやるぜ」

 エクセルの後ろで小さくなっているコランに視線を飛ばしにちゃあと頬を持ち上げ、

「異人の売女」


 その「フラエールでやられたこと」と耳にした瞬間、コランは短い髪を強く握って胎児のように丸くなった。

 男の腕から手を離したエクセルの、そのあとの動き。握り拳を作り、小さくだが後ろへと引いていく。目の前の男は気づいていない。目で追えているのはこの中でベルナだけだ。

 だから。

 ベルナがエクセルの男の腹へ突きだそうとしていた拳を受け止めていた。


「そんなんじゃダメ」


 止められたエクセルは彼女をにらみつけていた。いうことを破り、注目が集まる場へと現れたことが気に入らないのだ。

 ようやく男にも彼の拳が一体何のために現れたのか理解できたようだ。そして顔を引きつらせる。まったく反応できないほどの速さの突きを腹に食らっていれば、どうなっていたことか。


「ベル……っ」


 彼の相手よりもすることがある。それは当然。

 ベルナの膝が男のみぞおちを的確に捉えていた。気絶しない程度に力を抑えてあるが、込められるだけの怒りは込めていた。しっかりと発達した筋肉があったが意味はない。男はよろめき膝が折れ、ようやく腹を押さえて嗚咽を上げる。


「さっきから聞いてればこの野郎!」


 気持ちにすべてを任せれば、ここ何年も使っていなかった言葉遣いがよみがえる。

 激痛にもだえ続ける男の胸ぐらを細い腕で掴み、そのまま上へと持ち上げ、頭を立っている背の低いベルナと同じ位置にさせてからぐいっと引き寄せる。男は口からよだれを垂らし視点が定まっていないので、頬をぱしんと一叩きする。

 すると目だけは合った。今、男の目にはこの少女のことがどう見えているだろうか。


「よくもそんなひどいことを、金までせびってよ!」


 竜刺姫と呼ばれるベルナだが、その生まれと血筋は姫とはほど遠いものだった。首都プロテレイの生まれだが、街を包むガス灯ではなく、古い光の家で生まれ育ってきた。それが選ばれし者だとわかり周りの環境も変わり、今の彼女となった。

 はあ、とため息を漏らし、エクセルは手で顔を覆っている。


「おい、コラァッ! なんとか言ってみろ!」

 息が整い始めた男はかすれた声を出す。

「異人の売女に味方すんのかよ……? 北の剣がよ……ぉ」


 群衆が色めき立つ。誰もが少女の顔を見、各々つぶやき始めて全員の認識にしていく。


「そうだ、あれは北剣(ほっけん)だ……ベルナ・ルーラー」

「ベルナ・ルーラーってプロテレイの竜刺姫だよな?」

「だから北の剣だって言ってるじゃないか」


 ぶつけられる注目によって頭が少し冷える。きょろきょろと周りの様子をうかがったあと、ぱっと手を離して男を解放する。


「あんたが絞めるべきはこの女だろがよ。話聞いてなかったのか? 異人の協力者だったやつだぞ?」

「そんなにしゃべりたいならその唇引きはがして閉じられないようにしてやろうか?」

「俺が嘘ついてるって言いたいのかよ。証拠があんだよ、証拠がなあ」


 びっとコランの頭を指差す。


「頭に入れ墨があんだよ。前の生え際の少し上のところになあ! フラエールが解放されたとき、異人の売女の髪を刈って彫ってやったやつがなあ! 俺ぁそいつを見たんだよ! どうりで後ろからヤらせようとしてたわけだなあ!」


 あの解放されたフラエールで恐ろしいことが起こっていた。国民全員が幸せになったと信じていたベルナには大きな衝撃となって襲いかかる。


 目を閉じなくても光景が浮かび上がる。痩せていないコランが銃と剣を持った群衆に囲まれ、抵抗できずに罵詈雑言を浴びせられながら長い髪を刈られていく。涙を流して救いを求めるも、味方は誰もいない。むしろ彼女が感情を高ぶらせるのをにこやかに見ている。さらなる祝杯は、丸刈りとなった彼女の頭に入れ墨を。


 彼女の弟は。そして思い人は。


 ぐにゃりと地面が揺れる。それは実際にそうなっているわけではない。ベルナの視界がおかしくなっているだけだった。変な汗が流れ、気持ち悪いまま視界をゆっくりとコランへと動かしていく。彼女は今も小さく丸くなり続けていた。がたがたと震え、ベルナだから聞こえるくらいの声で「嫌、嫌」と終わりなく続けている。


 間違いないのだ。彼女には男の言うとおりのものがあるのだ。消えはしないのだ。ベルナが近づいて前髪をかき分けてみると、そこにはあるのだ。もうそれは間違いないのだ。


 確かめたくはなかった。気持ちに素直に従えるのならば、そうしたい。

 しかし確かめなければ群衆は納得しない。ここで拒否してもそれは認めることになるだけ。

 ベルナはこの場を終わりではなくさらに、男に有利になるように進めただけだった。それがさらに視界をゆがめ息を壊す。見識もなければ知恵もない、力を振るうことしか知らない。竜刺姫は空(から)にある。


「ベルナ、もうここでいい。俺が顔を出す。そうすればみんな俺に注目して、こんなことすぐに終わる」

「あたしがやるべきことだよ」


 エクセルの提案を拒むと、ゆっくりとコランのそばに寄り、しゃがむ。耳元に口を近づけ、周りに聞こえない声を渡す。


「ごめんなさい。あたしにはこんな言い方しかできなくて……本当なんですか?」


 答えられる状態ではない。もう一度、ベルナは返答の方法も示して言う。


「ひどい目にあったのなら、あたしにもたれかかってください」


 優しく、けれども強く。


「そばにいます。だからまた楽しく話しましょう?」


 ほんの少しだった。彼女がベルナに体重をかけたのは。


 そのわずかな重さに、ベルナは胸を一杯にした。彼女は確かに国を裏切ったのだろう。そして人に辛い思いをさせたこともあるのだろう。異人に支配されたフラエールで弟と生き残るために、弟においしいご飯を食べさせるために。すべては。


 自分のためだけにエクセルを裏切ったベルナとは違う、彼女の強さがある。


 そして多くの人は彼女のその強さをひどく罵(ののし)り嬲(なぶ)るが、しかし彼らの抱くその気持ちを簡単に間違いであると一蹴することはできない。それもまた当然の気持ち。戦禍は正しいとも間違いとも言い切れない、それぞれの戦いを生んだのだ。


 より強く押しつけられるのは、ただ普通の暮らしをしたかった人々。


「……もの知らずのあなたには……見るべきものだと思います」


 その言葉は壊れてしまった結果なのか、それともベルナに対する恨みによるものなのか。


 どちらにせよベルナは唇を噛みしめ、彼女の言うとおりにしなければならない。髪を握っていた手は離されていた。

 ゆっくりと短い髪に両手を近づけていく。近くで見れば見るほど力のない髪だった。彼らに刈られてから長く伸ばすには十分な時間があったはずだ。そうすればより入れ墨も隠すことができた。

 それでも短いままであるというのは、当時のことに今でも磔にされているのだ。死ぬことのできない磔を。


 あった。


「よくも膝で殴ってくれたな!? ああ? プロテレイの竜刺姫さんよぉっ!」


 立ち上がったベルナは、わめく男に向かい合う。


「あなたが不当な理由でゆすりを働こうとしていたことには変わりありません」

「はあ!?」

「彼女はあなたのいう人でしょうが、それでもこれには関係ないこと。裁かれるべき内容は無許可で仕事をしていたことと、そしてそれに気づきながら客となったあなた。しかし気に食わないのであれば……」


 すうっとフィンバル二世を抜き、男に見せつける。


「決闘という形がよろしいか?」

 ぎらりと刀身に威嚇されると、男はみるみるうちに瞳の色を変えた。先ほどとはまとう雰囲気が変わる。


「ここはハリエスタだぞ?」

「ハリエスタでもゆすりは犯罪でしょう。あなたがそれを認めるのならば戦わずに済みますよ? そうだ、勝てばお金もあげます」

「いくらお前でも勝手はできないんじゃねえのか?」


 心の中で故郷の友人、協力者、そしてエクセルに未熟さを謝りながら彼女は返答する。


「選ばれし者は世界に選ばれた剣。封じられていたフィンバルを手に入れる前から、そして手に入れ異人の王を倒したあとも、自分の信じる道を歩いてきても力は失われなかった。そして今、ここでも」


 短く息を吐いた男の懐から何かが取り出されると、ベルナはそれが何か目で見、把握し、これまでの鍛錬で培ってきた無意識な反射に頼らずエストックの剣先を突き出していた。

 拳銃。男が引き金を引く前に剣によって突き刺され、男の手から離れてしまう。剣に刺されたままに拳銃は男の顔のすぐ横で止まった。回転式拳銃とは違う、丸い弾倉がなくそして後方に大きく張り出した形が特徴的な拳銃。


「これは、プロテレイの拳銃」


 よく知っている拳銃だった。型名は正直なところ興味がなかったので覚えていないが、撃てば勝手に空薬莢が飛び出し勝手に次弾が装填される仕組み。何がどうなってそうなっているのか、説明を受けたことがあるが正直わからない。

 自動式拳銃、そういう呼称であることはかろうじて覚えていた。プロテレイの星を隠した煙から生まれた、科学技術の進歩の証明。技術者の一人が言っていたことを思い出す。彼はベルナの耳の良さを軽く考えていたのだろう。


「もっとすごいものを作れば、誰もが選ばれし者を超えられるようになるでしょう」


 自動式拳銃をフィンバル二世で刺したまま眺める。選ばれし者は飾りだ。このまま変わらなければ、その剣は過度な装飾をどんどんと施されていき、人を守れるものではなくなる。


 拳銃を奪われた男は圧倒的実力差を感じているだろうが前に出てきた。力が宿る目には怯えがない。切り替わった。獲物がなくなろうが戦わねばならず、そして相手を殺し生き残ってきた。プロテレイの新型拳銃を持てる男は、そういう状況に長く身を置いていたのだろうとわかる。

 鼻、いや腕くらいは刺すか折らねばならない。落ち着かせるにはそれしかないと判断したベルナはそのように動き始めるが、


「そこまでだ!」


 群衆の外から響いた声。びりびりと肌を痺れさせるくらいの力に、群衆は息を止めた。

 ベルナに飛びかかっていた男には関係ない。目の前の敵を倒すための動きはそのままだ。それは対するベルナも同じ。その程度に気圧されることはない。

 一発の銃声と、間に入ったエクセルがようやく二人を止めた。エクセルの左脇腹には男の拳が抵抗なく入っていて、右腕には剣の柄頭がめり込んでいた。エクセルはたまらず息をつまらせ、膝をやや落とした。


 ベルナと男が引くと膝をついてしまう。ベルナは慌てて剣をしまって彼に寄りそい、男は声と銃声の主を探した。


「この場は私が預かる」


 示し合わせたかのように群衆が割れた。群衆の外と中心を隔たるものがなくなる。声の主が馬に乗ったまま四人へと近づいていく。装飾が施された立派な回転式拳銃を握りしめ、エクセルのものとはまったく違うしっかりと機能を果たしそうな長いマントを羽織り、丸い筒の形をしたクラウンに平らな天井、前に突き出た水平なつばの帽子をかぶっている。

 それがとある組織の制帽であることをわかるから、群衆は言うことを聞いているのだ。


 警察。しかしハリエスタのではない。もっと大きな。

 帽子の下にある顔が、ベルナとエクセルに微笑みかける。


「やあ、まさかこんなところでお会いするなんて」


 二人が反応できないでいると、彼はやや困惑したような表情になり自分を指差した。


「セブリです。わからないわけない、ですよね?」


 大人にしか見えない、馬に乗った警察の男はまだ少年の年齢。十五歳。彼は馬の背から二人を見下ろしたまま、もう一度にこやかで穏やかな笑みを浮かべた。


「前と変わりませんね。危ないところで僕が推参」


 今ここに三人目の選ばれし者がエクセルの前に現れた。西の剣。かつてジャマダハルの「リーターク」を使って戦場を殴り抜けてきた少年、セブリ・スニル。


 燃え始める熱を帯び始めていた広場に、月を背負った少年が風を流すとき。

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