神輿姫と怪しい女。北の剣、ベルナ・ルーラー
1
来訪者が増えた。ここに客など来るはずがないのに、さらに一人増えて。エクセルはライドとベルナの顔を交互に見、そんな表情を隠せないでいた。
険しい山中の木々に覆われあまり日の光を通さないところにある古ぼけた小さな小屋。
確かにこんな所にわざわざやって来る人などいないだろうなと、ベルナは辺りを見回して思った。彼を取り巻く状況がそうさせているのだが、しかし彼に似合わない所だとも。
背は高くなり、髪は伸び放題になって、顔立ちも幼さが消え始めていたが、ベルナにはすぐにエクセルだとわかった。しかしまとう雰囲気のせいでそれがほんの少し揺らぐ。
夕日はもう地平へと沈み始めている。もう少しすればここは本当に真っ暗闇となる。元々山に住む獣たちが動き始める時間。
「ベルナまで、どうしたんだ?」
ようやく会話の始まりになる言葉をエクセルが発した。それは三年前の、一緒に異人の王を倒すための旅に出ていた頃とは違う響きになっていた。息が喉を削っているような、力のない声。
さらにその服装だ。ひどく汚いぼろぼろの膝丈くらいあるマント、それに付いているフード、その裾から見えるズボンも所々破れている。履いているブーツは泥などが固着してしまい、元々の輝きを失って死にかけの犬の足になっていた。
これだけでもうベルナは、突然いなくなったあの日から今日までのことを想像出来てしまうようだった。
いつでも楽天的で明るさを塗りたくったような顔も今はどこにもない。目は焦点が合っているのかどうか判断できず、これでは日の光を見ても眩しさを感じないのかもしれない。
「いや、ライドがエクセル今ここにいるらしいって教えてくれたから」
相手に気づかれないよう、ベルナはいつも以上に自分らしく振舞う。
「ライド……」
そう言ってエクセルはライドをやや咎めるように言った。エクセルの気持ちはわかるが、しかしこのような反応をされることにベルナは内心気を落とす。
「ベルナだってお前のことずっと気にしてたんだからよ。いつもいつもお前のこと」
誤解を招きそうなライドの発言に、ベルナはやや動揺するが、すぐにエクセルは。
「先に言っておくが、プロテレイの剣にはならないぞ」
彼が何を言っているのかわからず、少女の気持ちはすぐに止まってしまう。ベルナの祖国で、今も暮らす「プロテレイ」 その剣とは。
「お前、久しぶりに会ったのにいきなりそれかよ」
眉をひそめるライドが、彼の言葉の意味を説明する。
「驚かせて悪いな。つまりはだ、どこかの国に尽くす戦士、兵隊にはならないってことだ」
そういうことだと、最初の発言者がこくりと頷く。
対してベルナは驚きつつも首を横に振り、否定してみせた。
「別に、そういう勧誘とかじゃないから。ただ遊び、遊びに来ただけだって」
その言葉にエクセルは無言で歩き、小屋の扉を開いた。
「もう夜だ。立ち話という時間じゃなくなる」
するとライドはぽりぽりと頭をかき、変な大声を出した。
「いや、俺は近くの村に行く。ちょっと探し物もあるんでな、ついでにそこに泊まって、せっかくだしハリエスタの様子でも見させてもらうことにする」
ということは。
ベルナがまた動揺していると、エクセルがいぶかしげな視線を彼に向けた。
「『これからのため』とか、そういうことじゃないだろうな?」
動揺していたのがまたすっとなくなる。エクセルが仲間であるライドに、そういうことを言うとは思ってもいなかったからだ。
ライドは「マーリアの戦士」 それもある程度高い位にいる存在。それをエクセルはすでに知っていて、そう結びつけたのだ。
異人の王がいなくなり、世界を救った勇者を蛮者とし、共通の敵をなくした国々の向かう先は、争い。異人の王が現れる前の世界へ――しかし異人と戦い、利用するために生み出されたモノはそのままに――巻き戻る。
ライドには話していないので彼が気づいているかわからないが、ベルナは、彼女は自分なりになぜ「勇者エクセル・ロンロ」が「蛮者エクセル・ロンロ」とされてしまったのか考え、多くあるであろううちの一つの答えを見つけだしていた。
「俺は戦士だが、争いごとなんてごめんだ。俺はお前が言うマーリアの剣だが、お飾りなのが理想なんだよ」
「わかってるよ。ごめんな」
「まったく、今のお前は本気なのか冗談なのかわからん」
会話の内容とは裏腹にお互いややにこやかな雰囲気だった。少し顔を柔らかくしたエクセルはやはりエクセルなのだと、ベルナは三年前の彼と結び付けられるところを一つ見つけられた。
そうしてライドは一人暗くなり始めた山を下りていった。それは常人にはできそうもないほどに速く軽やかな下山だったが、同じく「選ばれし者北の剣ベルナ・ルーラー」は特に驚くほどでもないことだった。
「便利だよねー、東の剣の特性ってさ。そろそろ夜行性の動物が得物を捕まえに行く時間なのに、あんな堂々と進んでも気づかれないでさー」
「選ばれし者の中でも『特に気配を消せる力』 マッスルバカのイメージで忘れてたよ。小屋の前で姿を見るまで気づかなかった。前よりも腕を上げてるな」
マッスルバカ。
三年前の彼は何かあるたびにその奇妙なあだ名でライドのことを呼び、けんかしていたのを思い出す。長く続いてはいけない時代、旅だったが、ベルナにとっては人生でこれ以上ない充実した思い出の日々。
「いや」
小屋の扉を開けていたエクセルが何かを思ったようで、ベルナにはそこに待つようにと仕草をしてから一人で中に入る。
しばらくすると出てきて、彼は言った。
「待たせた。行こうか」
「どこに?」
思わず彼女が問いかける。
「色々あってここから出ていくことになったんだ。だからもう出る」
おそらく荷物をまとめていたのだ。先ほど手に持っていた剣をぼろぼろマントの下の、背中に背負っている。他の荷物もそんなにはないようだった。すべてマントの下に隠せてしまう程度。
「ちょい待って。ライドは?」
「別に一緒に行動するわけじゃない。もしまた俺に会いたいなら来るだろ」
「え、ええ……」
「ベルナも面倒ならついて来なくてもいいから」
と言うと、ぽかんとした少女を待たずにエクセルは下山を始めた。常人よりも速いが、しかしライドよりも周りに気をつけて。
「ちょっ、客だぞ!? あたし!」
追ってベルナも下山を始めた。
山を下山し、しばらくしてエクセルの足が止まった。ひどく腹を減らしたために、動けなくなったのだという。きくと、昨日の晩から何も食べていなかったらしい。
そんな風になってしまったエクセルをおんぶし、ベルナは走っていた。小柄な彼女だが、三年前よりも大きくなったエクセルを軽々とおぶっていた。
そのとき知った。彼の左腕が動かなくなっていたことに。
「右がある。大丈夫だ」
「そ、そっかー」
どう反応すれば良いのかわからずに、彼の知る自分らしく軽く流す。背中にいる彼がそのときどのような表情をしていたのか、彼女は確かめる勇気を持ってはいなかった。
片腕でも色々と起用にこなしてはいるようだ。剣を背中に背負うのも片手だけでやったことになる。
「ベルナ、髪伸ばしたんだな」
三年前の彼女は戦うときに邪魔になるからと、肩くらいのところで切り揃えていた。それを今では伸ばし、背中の真ん中くらいまでたどり着いていた。前髪も伸ばし、小さな髪留めを使って横に流していた。毛先はゆるやかに跳ねている。
背中にいるのだ、彼は。いくら鈍くてもそのくらいは気づいたのだ。思わず少女は足元の石に躓きかけてしまう。
「まあね、あれは戦うのに邪魔だっただけだし。あんただって髪伸びてるけどー」
それ以外の理由がある。しかし彼には言わない。
「切るのが面倒くさかったらこうなった」
「短いのが似合ってると思うけど」
「そうか」
あっさりとした返事だけで会話は終わってしまった。
すっかり日は沈み、代わりに月が空のボタンになっていた。
たどり着いたのはハリエスタの村ギレル。ケレルからは常人で半日は掛かる所にある、真ん中を川が通るそれなりに大きい村。それをベルナはエクセルを背負ったままに、二つの時くらいで到着していた。
もうすっかり晩ご飯のときが終わり、村のれんが民家は眠るまでの落ち着いた時間を過ごしているようだった。寒くもない季節だから、煙突から団らんの煙も出ていない。窓から火の灯が漏れている。
ベルナの住むプロテレイの首都プロテレイでは、季節関係なく建物の煙突から煙が吐き出されていて、ガス灯がかなり普及しているために夜でも街は明るくなっていた。住む人の眠る時間が短くなっていっているとベルナは感じている。
煙を出す建物では生活に必要な物が作られているが、異人との戦いで進化した銃やその弾も多く作られている。何のために使われるのか書くまでもない。そのための煙はプロテレイの空から晴れという日を消し去ろうとしていて、便利さと引き替えにベルナはどんよりとした気持ちを抱えていた。
ベルナは今のハリエスタの首都に行ったことがないので、プロテレイと同じであるかどうかわからないが、けれど同じでなければ良いと思う。
とにかくギレル。ここの宿で一泊することに決まった。着くなりエクセルは深くフードを被り、あちらこちらときょろきょろして挙動不審だ。あれが怪しさを増していることを、彼は気づかない。
選んだわけではない。目に入った宿に入る二人。二階建てのれんが造りだが、民家よりも広く窓の数も多い、古くからあるようだ。エクセルはもう歩けると、彼女の背中から下りていた。
「いらっしゃい」
火の灯りだけがある薄暗い玄関に入って呼び鈴を鳴らすと、奥から女が出てきた。あまり覇気のない女。痩せた体型にくたびれたエプロンをし、髪をひどく短くしている、頬のこけた女。それでも美しい顔立ちであるのがわかる女。
その風貌にベルナは表には出さないように努めながら驚いてしまう。
「今晩泊まりたいんですけど、空いてます?」
ベルナが尋ねると女はぎこちなく頷き、
「どこもかしこも」
客商売にしては変わった返事だと思ったベルナだったが別にそこはどうでも良い。泊まれる部屋さえあれば良いのだ。
「じゃー、二部屋お願いします」
とベルナが言うとすぐさま隣にいたエクセルが言葉を挟む。
「いや、一部屋で頼みます」
いきなりの提案にベルナは声を震わせ、彼に突っ込む。
「ちょっ、なんで一部屋なのっ?」
まったく意味をわかっていない彼は、フードのせいで表情をあまり見せないまま淡々に答える。
「出してもらうんだ。そこをさらに二部屋なんて悪い」
「いいからいいから、あんたはそんなこと気にしなくていいから」
「ダメだ。とにかく一部屋で頼みます」
あまりにひどいのでベルナはあまり言いたくなかったが、言うしかなくなる。
「一部屋って、あたしとあんただよ? 十七歳だよ? 男女だよ?」
それでも彼は特に引っかかることはなかったようで。
「旅のときもそんな感じだっただろ。それにわざわざ来たんだから話もあるんだろ? なら一部屋が一番いい」
ベルナが呆れているともうすでにそれでエクセルと女が話を進めていた。宿泊名簿にペンで彼は名前を書いていた。「クレル・ローレン」という名前だった。エクセル・ロンロと書くわけにはいかなかった。
念のために、ベルナも彼に合わせて別の名前を書くことにした。「べラリア・ルーレント」 今思いついたものだ。
これで女からすれば、フードを被った少年はクレルで、そんな彼と同じ部屋の少女はべラリアという認識になる。
「では、お部屋にご案内いたします。私、この宿の主人をしております、コランと申します。何かありましたらお申し付けください」
女、コランの誘導に従って二人は歩き始める。先導するコランの後ろを。後ろから見る彼女は前から見るより細く、風が吹けば折れてしまうのではないかと心配してしまうほどだった。それほどまでに経営がうまくいっていないのかもしれない。前も横もだが、後ろ髪もエプロンの下の服で覆われているが首筋をすべて見せるほどに短くされている。
二階の一部屋。案内された部屋の内装は悪くなかった。コランが火を点けて見せてくれた部屋はシンプルで過ごしやすいものになっている。ベッドが一つだけで、家具も必要最低限、部屋の飾り付けなどは何もない。本当に泊まるだけならば十分というところ。
「では」
女主人は手を差し出してきた。白い手袋をした手。それに対してベルナは乗馬用コートの懐からハリエスタの硬貨を出し、数枚渡す。チップだ。
「ごゆっくり」
目当てのものが手に入ると女主人は部屋の扉を閉め、離れていった。
こつこつと彼女の靴音が小さくなっていき、確かにこの部屋から離れていったことが二人の耳ではわかる。
するとエクセルはまだフードを被ったままで部屋のあちこちを探る。好奇心から来る行動ではない。ちらりと現れた瞳が揺れていた。彼のこういう行動を初めて見たベルナはただぼうっとすることしかできなかった。
しばらくすれば彼自身納得したのか、ようやくフードを脱いだ。それでもぼろ布のようなマントは脱がずに近くの椅子に腰掛ける。険しい顔は崩さず、部屋の灯りの火を瞳に映せず、マントの下で何かもぞもぞとしながら視線が落ち着かない。
何かを言うこともできずに、ベルナが剣を外してベッドに腰掛ける。乗馬用コートにズボン、ロングブーツは元をたどれば男性用の服装だが、動きやすいこともあって三年前の旅の頃からサイズを合わせて着ている。実は三年前からあまり大きくサイズを変えていないのが、彼女なりの悩みの一つでもある。
それはともかく。
異人との戦いが長引き、女性の兵士も多く現れたあの時代。人手不足で男性がやってきていた仕事も女性がやるようになったあの時代。その流れが元々男性用であった服装を女性が着るようにも変化させていった。それを「不埒な性別の混じり」などと言って嫌がる人もいるが、年々その数は減っているらしい。元々男性用の服装といっても、デザインはそのままではない。男性向きは男性向きに、女性向きは女性向きにデザインが分かれて進化していっている。
特に現在、首都プロテレイではドレスを着た女性はかなり減っている。それはベルナのこの服装によって、コートやジャケット、ズボンにブーツのスタイルが大流行したからだ。さすがに剣は携帯していないけれど。
選ばれし者北の剣ベルナ・ルーラーは祖国でそのように扱われている少女だ。誰がつけたのか「竜刺姫(りゅうせきひめ)」と呼ぶ人も多い。ベルナ本人は姫の血筋でもないのに姫と呼ばれるその二つ名で、未だに呼ばれる度恥ずかしい思いをする。
そんな竜刺姫がベッドに腰掛けたままに口を開けることもなくじいっとしていると、ぽつりとエクセルが漏らす。
「偽名だな」
いきなりのことにベルナは間抜けに自分のことを指差す。ベラリアというとっさに思いついた偽名を指摘されたと思ったのだ。
「ベラリアはいい名前だと思うよ。あの女の人だ、コランというのは偽名だな」
反応しなくても良いのにわざわざ反応して出したお世辞に慌て、さらに続いた発言でさらに慌ててしまう。
「ぎ、偽名?」
マントの下で彼はまた何かもぞもぞと動かしている。よく観察してみれば、右腕を左腕の方へ動かしているらしかった。おそらく動かなくなった左腕をさすっている。これもベルナは知らない彼の新しい仕草。
「ああ。コランという名前に口が慣れてない」
「何言ってんのあんた」
これがライドの言っていた、「本気なのか冗談なのかわからない」というところかとベルナは理解する。元々抜けたところはある性格だったが、それに加えて反応しづらい発言までするようになっている。
「俺も偽名を使う人間になったからわかる。コランじゃない」
大真面目らしかった。険しい表情に抑揚のない声は変わらないままだが、ベルナをからかうためにやっているわけではなさそうだ。
「わかった。それが本当だとすると、そうしなきゃいけない理由があるってことだね?」
「ベルナはあのあとずっとプロテレイで暮らしていたのか?」
彼女の質問に答えないどころか、質問を上塗りする。一方的な会話がやや気に入らないが、とりあえず答えてやる。声色にその思いを隠さず乗せて。
「そうだけど、それが何か?」
「プロテレイはその元々の強さもあって、異人との戦いでもあまり領土を奪われなかった、レメリスの大国の中でも一番国土を維持した国だ。ここハリエスタ、マーリア、ルーレンシア、ケコや、異人の王の城があった西の消滅した諸国と違って比較的安定していた」
「それはそうだけど、だから何ってきいてるんだけど」
もっと語気を強めて言うと彼ははっとした表情になり、首を何度か横に振った。
「ごめん。今日色々あって疲れたのかもしれない。思い込みだろうな、失礼だな、人のことを勝手に偽名って決めつけて」
右手で目元を覆ってうつむく。彼はまだ腹が減ったままで、そして疲れているのだろう。
ベルナが立ち上がる。
「いや、よくわかんないけどエクセルがそう言うなら覚えとく。お腹減ってるでしょ、エクセル。外で食べるのは嫌だろうし、あたしが何か食べるもの買ってくるよ」
そう言うと彼はこくりと小さく頷く。
「ごめんな」
ベルナは念のためにと腰にエストックを下げる。鞘には彼女の好みの装飾、金属の小さな古き竜が施されていた。しかし同じエストックではあるが、これは選ばれし者北の剣が持つ「フィンバル」ではない。それでも彼女はこの剣のことを「フィンバル二世」と呼んで愛着を持っていた。
「じゃ、大人しくお留守番よろしくー」
「ああ、気をつけて……」
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