2―章終わり―

 剣の切先を下げたままエクセルは動かない。この三年で変わった彼の構え。

 それとは対照的にしっかりと片手で握ったロングソードの切先を相手に向けて構えるライドのものは、異人の王と戦っていた頃からまったく変わらない。

 エクセルのマントの下に隠れた左腕はだらんと下がっている。どこかに固定しているわけではないため、動く際にかなり邪魔となるだろう。


「ぴょんぴょん跳ねやがって。うざいんだよ。もっと落ち着いて基本に忠実に剣を使いやがれ。お前は選ばれし者だからそういうのが許されてるけど、いつかそうじゃなくなったらできねえぞそんな曲芸は」

「うるさい! 俺は飛んで切って掛かるのが好きなんだからこれを極めてやるんだ! マッスルバカのライドにはこんなことできないからってひがむなよ!」

「なんだとコラァッ!」

「バカ力にバカ言って何が悪いんだよ!」


 ライドが剣を振るい続けるも、エクセルは飛び跳ねることはなかった。地に足をしっかりと着けて、猪突猛進でもなく堅実な剣裁きを見せる。ライドの力と重さがみなぎるロングソードの打撃も、避けるか、もしくはすべてを受け止めるのではなく上手く衝撃を逃がしていた。


「丁寧にかわすようになったじゃねえか!」

「ライドだって、もっとバカ力になってるじゃないか」

「おうよ!」


 ライドの一撃が太い幹の木を真横に叩き切った。それは鋭い切れ味を発揮したというわけではなく、力により無理やり砕いたとでもいうようなものだった。断たれた木は倒れて鳥たちを驚かせて羽ばたかせる。

 エクセルはその様子にどこかわくわく感を隠せないようでいた。


「筋肉だ! 戦うには頭も必要だが、まずは筋肉だ。筋肉が鍛えられれば頭に回る余裕ってのが生まれるもんだ」

「久しぶりに聞いた。教え子にも言ってるのか?」

「当然。ようやくあいつらも筋肉に目覚めつつあるぜ」


 今でもライドは選ばれし者東の剣としての力が宿っている。それはレメリスに愛された力と呼ぶ人もいる。人や異人を超えた身体能力、運の良さ、など。しかし異人の王を討った剣たちはその力だけで進んできたわけではない。旅の中でそれぞれの厳しい試練や鍛錬で着実に己を磨いていったのだ。そして皆その若さから、おそらくまだ完成していない。

 そしてさらにその中で、それぞれの剣で特化した能力がある。


 東の剣ライドの場合、それは筋力、ではなく。


 ライドの木々をなぎ倒す斬撃、打撃をエクセルはかわし、あるいは剣で防ぎ続ける。ここまでで一度も自分から攻撃の動きを見せていない。

 力を込めた振り落としが岩をも砕く。そこで二人は仕切り直しの時間へと入る。


「その守り、ベースはベルナのだな」

「ああ。わかるだろうな、お前なら」

「ベルナのフィンバルは、かなり細身の刀身だが、加護のおかげでまともに相手の攻撃を受けても折れないようにはなっている。けど衝撃はベルナにすべて来るからな。あいつは一番体が小さかったし、力だって俺たちに比べればなかった。基本は避けて、それが難しければ剣で流す」


 距離を取り、柄を持ったままくるくると剣を回すエクセル。あのときの彼は次のことを考え、己の調子を整えている。呼吸も変わり始めている。ここまではウォーミングアップということだ。


「俺の加護でこの剣は固くなってるけど、それでもライドのバカ力をもろに受け続けたらせっかくのプレゼントが台無しになるだろうからな」


 戦ううちに声に抑揚がついてきた。病的と人には映るだろうが、にごった瞳のままでも表情は楽しそうなものに変わってきている。


「じゃあ、今度はこっちからだ。教官の力見せてくれよ」


 少しライドでも驚いてしまうほどの速さだった。五歩くらい離れていたのに、視界にはすでに剣の刃が入ってきていた。しかし鍛錬を積んだ体は指令がなくとも勝手に動き、得物で受け止めてくれていた。これが筋肉だ。

 まず一撃凌ぐと、エクセルはライドの背筋をややぞくりとさせる笑みを浮かべていた。あれは相手を褒めているのだろうが、しかし恐ろしくもある。

 そこから激しい攻撃が始まった。薙ぎ払いもあれば突きもあり、さらには蹴りまで飛んでくる。左腕が動かないことを忘れさせるほどの猛攻に、ライドは驚きながらもしっかりと対応していく。

 元々激しく打ち込んで相手の隙を作るタイプだったが、攻撃に使えるものは何でも使う、言い方は悪いが癖の悪い攻めになっている。折れた木を蹴ってぶつけようともした。


 三年前の彼はもうどこにもいないのではないかとライドは悲しみを覚えていたが、違う、ただ眠っていただけ。

 勇者エクセル・ロンロは確かに今目の前にいるのだ。剣を持てば強い彼はそこにいる。

 それがたまらなく嬉しい。

 三年前、あの旅をしていた頃。彼と剣を交わらせることは何でもない日常の一つで、ずっと続くものと思い込んでいてしまった。毎日彼はライドに勝負を挑んで来るので、面倒だとも思っていたくらいに。

 それが異人の王を討ったあと、いわれない疑いで蛮者となってしまい、仲間たちに何も言わず一人で消えてしまった。そのとき特別な相手だったのだと、剣を交えられなくなってから彼は気づいたのだ。


 戦うべきだったのだ。あの瞬間から。蛮者と呼ばれ、名を変えるしかなくなり、みんなから石を投げられるようになった彼のため、すべてを投げうって戦うべきだったのだ。エクセルはそれを望まなかったが、しかし世界と、国と、戦うべきだったのだ。


 そんなことを考えていると、剣が手から離れてしまっていた。それはエクセルの一振りによってだ。彼の風を裂くような振りが、彼の握るロングソードを弾き飛ばした。

 剣は宙を舞い、少し遠くに落ちた。重さがずうんと低い音をさせた。


「まったく、ちょっと気を抜いたな? ライド」


 剣を地面に突き刺し、ため息をつきながらぽりぽりとエクセルは頭をかく。


「……そんなことはねえよ」


 エクセルは背を向け歩き、少し離れて置かれていた鞘を取る。剣の近くに戻ると、鞘を足に挟んで固定し、刀身を収めていく。片手でも抜いて収められるように、鞘を固定するベルトも必要だとライドは気づいた。隻腕の戦士が使う物をライドは知っているし、見たことがある。


「なんだ、もう終わりか?」


 離してしまった剣を拾い、軽くエクセルを挑発する。しかし彼はにやりを笑みを浮かべ、やり返す。


「あの時点でとどめを刺せるところだ。だから俺の勝ち。通算ですっかり俺の勝ち越しだな」


 それにライドはすぐさま反論する。


「バカ野郎! 俺の方が勝ってるぞ!」

「筋肉鍛えすぎて物覚えが悪くなったのか?」

「うっるせえ! お前は昔からそうやって数字でっち上げやがって!」


 途中で二人示し合わせたように吹き出す。腹を揺らし、声を爆発させて辺り一面の生き物を驚かせ、木々の葉を騒がせる。また薄暗い小屋の周りに、日の光が差し込んできていた。夕日の光が。

 しばらく笑い合えば、ライドも剣をしまい、手を差し出す。握手のために。しかしそれは最初にしたものとは違う意味を持っている。


「なあ、エクセル・ロンロ。やっぱり俺はお前と戦いたいし、お前とも戦いたい。そのために国を捨ててもいい、だから一緒に来ないか?」


 けれど彼はやはり首を縦には振らなかった。その表情は最初に比べて柔らかくなってはいるけれど。


「やめとく。ライド・オーロ。お前は故郷のマーリアの戦士がよく似合う。それにお前みたいなカチコチ筋肉野郎は趣味じゃないんだ。柔らかい女の子がいい」


 予想外の下品な返事に、思わずライドはまた笑ってしまう。


「お前、ちょっと悪く大きくなりやがって。今のベルナとクーエに聞かれたらドン引きされるぞ」

「言わないさ。もちろんセブリにもな」

「どうだろうな、意外に大丈夫かもしれないぜ?」


 エクセルがぐっと彼の手を握る。それは別れの意味が込められた、強い握手。ライドもそれに応え、しっかりと握り返す。暑苦しくも爽やかな握力の混ざりだった。

 そして軽く抱き合い、すぐに離れる。


「じゃあな、ライド。お別れだ」

「いいや、きっとすぐ会う。そのときは一緒に来てもらうぜ」

「答えは変わらないよ。そうだ、ついでにみんなはどうだ? 元気にしてるのか?」


 本当に今思いついたついでにきいたのだろう。しかしライドはそこで演技がかった笑みを作ってやった。

 その意味のわからない行動に、エクセルはやや眉をひそめる。


「それはお前が確かめてみろよ」

「どういう意味だ?」

「すぐにわかる」


 がさりと草をかき分ける音がした。ライドから目を離し、エクセルがひどく警戒心剥きだして音の方向を確かめてみると、そこには。


「久しぶりだね、エクセル」


 目の前の者に、彼は驚いて声を出せないでいるようだった。

 小柄な体に、少しは成長が見られるものの幼い顔立ちはそのまま。気だるそうでも強さを持つ瞳の、腰に細長い得物を下げる少女。

 その少女がやはりこれもまた気だるそうに片手を挙げ、にへらと下手くそな笑みを浮かべ挨拶していた。

 ようやくエクセルは彼女の名をつぶやく。まるで確かめるように。


「ベルナ……?」


 にぎにぎと指を動かして答える。


「そゆこと」


 そんな彼の反応がおかしくて、ライドは一人にやにやし続けていた。

 来訪者などない家に、また新たに一人、来訪者が現れたのだ。

 わずかだがまっすぐな夕日が差し込んでいたこの辺りに、次は夜を告げる鳥の鳴き声が響くとき。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る