三年後 青年は捨てられた勇者

1

 勇者と四つの剣と呼ばれる選ばれし者が異人の王を討ち、異人たちとの長きにわたる戦いが終わって三年後のレメリス。

 多くの人々は異人に怯えることがなくなり、異人の住んでいた場所は再び人が住むようになっていた。それに伴って世界に存在する国はゆっくりだが確かに国力を高めている。

 世界は救われ、人々は大地を踏みしめ、レメリスはこのまますべてが元通りに戻っていくだろう。そしてさらに前へと進んでいくのだ。


 ならば勇者はどうなったか。異人の王を討った選ばれし者たちの中心的存在勇者エクセル。

 異人との戦いがなくなった今の時代で英雄の彼は。


 ここはレメリスの一国、ハリエスタ。その首都から遠く離れた田舎の村ケレル。異人との戦いが少なく、あまり被害を受けなかった村。


「その調子だ、もっと踏み込んで」


 カン、カンと何かがぶつかる響きが何度も広がっている。それは木で作られた剣。幼い少年が両手でその剣を握り、力強く色んな方向から振っている。

 その少年を相手しているのは、彼よりも年長の少年。背も高い、すぐそこに青年が迫っている少年。

 彼は右手だけで木の剣を握り、少年の猛攻をすべて軽やかに防いでいた。使っていない左腕はだらりと下がったままで動かない。色がくすんだボロボロのマントのフードを深くかぶり、鈍い瞳を持つこの少年こそ、あの勇者エクセルの三年経った現在の姿だった。十七歳。


 大した力を入れずに放ったエクセルの斬撃が、打ち込み続けていた少年の剣を手から離させた。得物を失った幼い少年は悔しさをにじませながらも降参を認める。


「『エル先生』はやっぱ強いや。もっと手加減してよー」

「君は筋が良い。手加減したらひどい目にあうよ」

「へへーそーう? そっかー」


 木の剣を地面に刺し、褒められてにかにかと笑う少年アラの頭を撫でる。指出す手袋。そのときも左手は使わずに右手だった。左腕はやはり動かない。

 二人の稽古を見ていた数人の少年少女たちにエクセル、みんなにとっては「エル先生」が優しい語り口で言う。


「でもこういう風に攻め続けるのも、アラの性格とそれに合った特性があるからだ。みんなはそれぞれ性格も特性も違うから、それをゆっくりでもいい、見つけていこう。俺も稽古という形で手伝う。それが自分を知ることになって、きっと色んなことのためになる」

「じゃあエクセルは稽古ちゃんとしなかったの?」


 アラが言ったその意味をフードのエル先生が尋ねる。


「だってさ、しっかりやってれば『あんな事』しなかったってことでしょ? 『ためにならない』ことをさ」


 少年少女たちに稽古をつけたあと、エクセルは一人村の近くの山の中へと帰っていく。

 まだまだ日が高く、気温が高いというのにフードを深くかぶって村の中を歩く彼に、村人の何人かはひそひそとあまり良い内容ではない話をしていた。人より耳の良いエクセルはその内容がはっきりと聞こえるが、もう今はいちいち心を揺さぶられたりはしない。気分は良くないが。


「……ためにならないこと、か」


 誰も自分のことをエクセルだと気づいていないというのが一番の理由だった。よそからやって来た得体の知れない存在。そう思われているのが今のエクセルには気楽だった。

 それでも腰に下げた剣の柄頭をこする。

 山へと向かう途中に多くの墓標が並ぶところがある。ここの村人たちの墓。その中でも一つ大きく作られたものがある。そこには異人たちと戦って死んでいった者たちの名が刻まれていた。長きにわたる戦いで消えていった命の名。同じものが世界各地にあり、エクセルは見つける度に祈りを捧げていた。


 山に入り、整えられていない木々のせいで道になっていない険しい道を歩き続け、急流の川に掛けられた、彼が作ったあまり出来の良くない木の橋を渡るとそこに家がある。彼の住む家、来訪者のない家。

 ひょろりと背が高く力のない葉が茂る木々の中にある家は、昼間でもあまり太陽の光を浴びずにいた。周りは薄暗くある。家は何十年も前に立てられた家主のない古びたれんがの山小屋で、彼はあまり手直しもせず勝手に暮らしている。

 立て付けの悪い扉。ひどい音を立てながらエクセルは開ける。一応扉の役目は果たしているので彼は直そうとはしない。もし直したとしてもそれが意味のないことになるだろうから。


 暗い家の中に入ってようやくフードを脱ぐことができる。そのままマントも脱ぐ。すべて右腕だけでやる。マントは足が壊れかけてぐらぐらしている椅子に掛け、エクセルはその近くにある窓の前に置かれた表面が破れているソファにだらしなく深く腰掛ける。マントの下の服もあまりきれいなものではなかった。

 暗くても彼はよく見える。これも勇者の名残。

 そのソファの横に置かれていた飲みかけの瓶を手に取る。ラベルには酒の名が載っている。酒瓶。蓋を開けぐいっと中の酒を喉に通していく。


「げほっ! ごほっ!」


 すぐに彼は激しくむせた。むせながら瓶の蓋を閉め、元の場所に置くがなかなか喉の違和感は戻らなかった。下戸でまだ少年の彼に酒は味わえない。それでも体の中に入ったアルコールは彼を酔わせるのに十分だった。

 熱を感じ、視界がちかちかとして色をなくしていく。力を抜けば焦点が合わずに何を見ているのかわからなくなる。

 そのまま何も考えられなくなって、意識は離れていく。


 

 ほがらかな日差しの丘の上。芝がなびいて風の進む先を教えてくれる。

 その丘の上でエクセルと仲間たちが休みを取っていた。


「なあ、みんなはこの戦いが終わったらどうするんだ?」


 何気なく十四歳のエクセルが尋ねた。


 ライドは言う。筋肉をまとった太い腕を動かし自慢の剣レーランの手入れをしながら。

「そうだな、国で戦士を続けたい。東の剣でなくなったとしても、俺は剣を振り続けたい。国を守れる戦士も育てたいな」


 ベルナは言う。芝に寝転がってまぶたを閉じたままに、けだるそうに。

「ライドらしい答え。あたしはとにかく休みたいなー。国の、世界の英雄になれるんだし、色々楽させてくれるだろうしさー。あとのことはそれから考える」


 セブリは言う。拳の突きの具合を確かめながら。

「もう、ベルナさんそんなぐうたらな考えで。僕は家の畑をやりたいです。戦士だってわかってもうずっと触ってないなあ、畑」


 クーエは言う。みんなの分のパンを切り、それぞれ渡していきながら。長い髪の良い香りが丘の風と混ざってふわりと広がる。エクセルの心をくすぐる。

「セブリの育てた野菜、食べてみたいなあ。私は旅がしてみたい。静かになった世界をゆっくり周ってみたいなあ。それで色々お手伝いもしたいの」


 それぞれが答えたあと、やはり全員質問主の答えを待っていた。ぽりぽりと頭をかきながら、エクセルはやや恥ずかしそうに左手でぽりぽりと頭をかきながら答えた。


「学校。またふるさとのみんなと勉強して遊びたいんだ」


 

「……ん」

 目覚めてもまだ外は明るいようだった。眠りからすぐに目覚めたらしく、あわせて酔いもかなりなくなってしまっていた。

 腹が鳴る。生きていれば腹が減る。そして何か食べ物を入れろと文句を言う。

 しかし家の中を探してみても腹を満たせるだけの食べ物はなかった。村に下りて買いに行かねばならない。目を閉じて眉間にしわを強く寄せ、椅子から立ち上がって雑にマントを取って着る。だらんと下がった左腕が着るのに邪魔だがもう慣れたものだ。そしてフードを深く被り家を出る。


「嫌だな……またひそひそ言われる」


 走って跳ねて山を下っていく。不安定な足場であろうが彼は安定して進める。力の入らない左腕が邪魔をしてもだ。獣よりも速く山を下りきり、村へと入る。

 日は傾いていたが、まだ沈みはしない時間。れんがの家々が夕飯の準備をしている中、市場へと向かう。食堂もあるが、なるべく村に居続けたくないので彼は買って帰ることを選んだ。


「この芋を十個ください」


 この村で取れた芋を指差し、エクセルは言う。焼いたりふかしたり潰したりと、簡単な調理で食べられることができるこれを彼はいつも買っていた。色々な所へ流れたが、特にこの村の芋は出来が良い。味に関してあまり頓着がないがこれは好みだった。


「……売れないね」


 しかし店主の老婆の対応がいつもと違った。


「あんたには売れないね」


 目の前にある芋を売ってはくれなかった。

 エクセルは動かない左腕をさすりながら尋ねる。


「何個なら売れますか?」


 低くざらりとした声は作っているわけではない。普段からこうなってしまった。


「何個であろうと売れないね。あんたには売れない」


 店主の言葉は変わらなかった。そしてエクセルを指差す。


「あんたエルとか言ったね、ちょっと前に村に来てから子供たちに剣の稽古して先生とか呼ばれて慕われてるみたいだけど。なかなか腕が立つそうじゃないか。私はだまされないよ。異人だろうあんた、そんなぼろぼろのフードをずっと被って誰にも顔を見せないっていうじゃないのさ、異人だからあんたふらふらしてそんなんなんだろ。『蛮者(ばんじゃ)エクセル』のせいで帰れなくなったやつなんだろ」


 早口でまくし立てる老婆にエクセルはやや弱々しく、

「違う、俺は異人じゃない。それに……異人にも色々います、人と同じで」


「ほれ見ろ、異人だからそんな風に言うんだ。売って欲しけりゃその汚いフードを取ってよおく顔を見せてごらんよ。異人は人と違う瞳の色をして牙もあるんだから、人ならできるだろうて」


 完全に思い込んで決めつけている。老婆の差す指がこれまで数多く向けられてきた剣の切先に思え、エクセルは左腕を力強く掴み、瞳をやや揺らしてしまう。刺さるはずのない指に彼は後ずさりする。

 隣の店の様子を伺う。どこもこの店と変わりない雰囲気だった。得体の知れない異邦人を疑っている。


「ほら、早く取ってごらんよ。そうすれば売ってやる」


 フードを脱ぎたくはなかった。顔をさらしたくはなかった。この老婆が、老婆だけではない、誰かがエルはエクセルだと気づいてしまうことにひどく怯えていた。そうなればもうこの村にはいられなくなる。


「どうか、一つでも売ってください。多めのお金も払います」


 それでも腹は減って鳴る。頭を深く下げていた。対価を持つ客が店で何かを買うのは当然の権利のはずだ。けれど今の彼はもうこうすることしかできなかった。


「ふん、そんなんやってたって。私はね、フードを取れって言ったんだよ」

「……脱ぐことはできません、でも、どうかお願いします、腹が減っているんです」

「嫌だね。しっしっ、取らないならはやくどっかへ行きな」


 頭を上げぐっとフードを握り、脱ぐべきか葛藤する。もし脱いでしまってもハリエスタの国の首都から遠いこの村ではエクセルだということに気づかないかもしれない。そうすれば異人でないことが証明できて芋を買うことができる。一個だけではなく、元々の十個が。


「ほう、ようやく取る気になったかい」


 さらにこの村でもっと長く暮らし続けられるだろう。エルとしてそれなりの一生を過ごせるかもしれない。異人の王を討ってから三年、あてもなく彷徨い続けた旅が終わるかもしれない。

 楽になる。もう、ここで。

 と意思を決めかけたところでフードから手を離す。


「すいません。俺はやはり脱げません」


 どうしようが楽になることなどないのだ。ならば彼は脱がないことを選ぶ。そこまでして売ってもらえたとして、腹は膨れても削られてきた誇りがさらになくなってしまう。


「まったく異人は何をするかたまったもんじゃない、さっさとどっかに行きな。ここは人の世界なんだよ」


 こうして今晩、いや、しばらく飯抜きが決まってしまった。こうなれば面倒だが山の獣を狩って加工してもらって食料にするしかない。この村の加工料金や腕がどのくらいのものかはわからないが。そもそもしてくれるのかどうか。

 この村を出ることを考えなければならなくなった。エルとは違う、また別の名前も考えなくてはいけない。

 より深くフードを被り、これからのことを考えようと山へと帰ろうとしたときだった。遠くから声が聞こえてきたのは。それも嫌な感じの声が。


「なんだぁ!? 俺たちが通っちゃいけねえってのか!?」


 村の入り口の所で集団がいて、そのリーダーであろう男がいらだった様子で叫んでいた。その集団はよそ者で、瞳の色は人にないもので、開いている口からは牙が見えていた。それ以外は人とまったく変わらないが彼らは異人だ。元の世界に帰られなかった異人たちだった。


「先へ行くのにわざわざこの村を通ることはないはずだ。迂回してくれ」

「別に通ってもいいだろうがよ! 腹も減ってるんだ!」

 異人たちに村の若き有力者の青年が言う。しかし反発は強くなるばかり。

「だめだ。『この村は昔異人に襲われてまだ怯えている者も多い』 だから入れることはできない」


 そのやり取りを見守る村人たち。その村人たちから少し離れたところでエクセルも静かに覗いている。


「くそっ、ラチが開かねえ。もういい、勝手に通らせてもらうぜ」


 と異人たちが村へと入り始める。有力者が止めるために体を入れようと動くが、その前に一人の少年が現れ異人たちに立ちはだかった。


「ここは通さねえぞ!」


 手には木の剣を握りしめた少年、それはエクセルが稽古をつけている少年少女たちの一人、アラだった。彼はキッと異人たちの先頭に立つ男を睨んだ。


「ここにはお前たち異人に殺された父ちゃん母ちゃんの墓があるんだ! お前たちなんか通さねえぞ!」


 エクセルが鍛えた幼い力が今憎きものに向けられている。その様子を見、エクセルは唇を噛むがそれだけだった。

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