第9話 ネリアの過去と誓い
俺が顔剥ぎに向かって駆け出した瞬間、奴もまた臨戦態勢に入った。強い、構え方を見ただけでその辺の自称プロたちとは一線を画しているのが分かる。が、それはあくまでも一般的なプロの魔術師を基準として考えた場合の話だ。
「ハッ!!」
顔剥ぎからこちらめがけて左ストレートが飛んでくるのが見える。俺はそれに合わせて体を左に傾ける。拳が空を切ったのが見えたが、既に奴は次の行動に移っていた。
「あばよ!!!」
振り下ろされる肘鉄、間違いなくこちらが本命。成る程、拳をかわすために体勢を崩してしまった俺には難しい。男の顔が愉悦に染まる、しかし次の瞬間、
「なぁ!?」
奴の顔からは愉悦が消え驚愕に染まった。なんせ当たると思って打った一撃は、当たる前にすでに無くなっていたのだから。
「グォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!???????????」
顔剥ぎは未だに何が起きたか分かっていないのか錯乱状態に陥っていた。ウォータースラッシュ、時速200km超えの厚さ0.01mの水でできた刃を視認できる人間などほぼいないだろう。
腕を切り落とした時点でもうまだその目からは戦意を喪失していないことが見て取れる。故に俺は今度こそ終わりにするため歩を進める。そして男の頭に手を伸ばし、
「悪いけど俺とお前とじゃ実力に差があり過ぎる。殺しはしねぇから安心して眠りな」
魔術を起動、選択は雷系統最弱と言われるショックウェーブ。だが意識を刈り取るならこれで十分、そう思っていた。しかし顔剥ぎに当たるその瞬間、俺が放ったショックウェーブは突如霧散した。と、同時に何かが飛んでくるのが見え、
「チッ!」
突然の回し蹴りは反射的に後方に飛んで何とか避けることが出来たが、そんなことよりも俺の頭の中は疑問で埋め尽くされていた。
一体何があった? 今の一撃は避けるどころか防壁を張る時間すらなかったはずだ。にもかかわらず奴はまるでダメージを受けていない。一つだけ考えられる可能性はあるが左腕を切り落とせた時点でその線は消える……。いやそうじゃない! 俺は最も重要なことを忘れていた!!
「顔剥ぎ、てめぇ最初の7人を襲ったのはこれが理由か……!」
答えない代わりに奴はにやりと笑った。間違いない、奴がやったのは能力の吸収だ。いや、あるいは知識の吸収か。昔コイツと酷似した能力を持つ男と戦った時、その男は身体能力の加算という恐ろしく厄介な能力を持っていた。
しかし今回の場合身体能力はどこも変わっていない。変わったのは体質、一度目と違い奴は魔術を通さない体になっている。しかしこれは間違いなく天然物ではなく人工、何故ならそうでなければ顔剥ぎは能力を使うことが出来ないからだ。となると答えは簡単、以前殺した人物の中にこの魔術を使えるものがいたということだ。
「ったく面倒なやつだなオイ」
はっきり言って以前戦った相手よりもはるかに厄介だ。何故ならコイツの場合顔を剥げば剥ぐだけ、人を殺せば殺すだけ強くなるのだから。つまるところこの事実は強さに上限がないことを意味している。
ただ一つ幸運なことを挙げるとすればは、今顔剥ぎは魔術を通さない体質になっているということだ。言い換えればこれは魔力を内外問わず一切通さない状態、故に奴は今魔術を使えない状態にある。
であればやることは明確だ。
「終わりだ、メイルシュトローム!!!!」
水系統最上級攻撃魔術の一つ、直後俺の手からほとばしる荒れ狂う水の本流があらゆるものをなぎ倒しながら男を襲う。ただ当然魔力でできた水である以上奴の体には届くことはない。顔剥ぎは既に勝利を確信しているのか薄く笑い続けている。
だが俺の狙いは最初からそこにはない。俺はメイルシュトロームを出し続けながらもう二つほど別の魔術を行使する。
「ファイアーストーム!! アイスドーム!!!!」
俺は炎の嵐を顔剥ぎに打ち込み、同時にネリアの周りに氷の円形防護陣を出現させた。そこまで来てようやく俺の意図が分かったのか男の顔が焦りに歪む。が、もう遅い。水を一瞬で熱すればどうなるか、その身でとくと味わうがいい!
「ぐっ!!!」
何かが破裂するような音と共に部屋の中に爆風が吹き荒れる。水蒸気爆発、それこそが本当の狙いだった。あえて派手な魔術を起動し耐久値を削ることを目的としているかのように見せかけ、油断したところを魔術の余波による物理現象でダメージを与える。完全にこちらの目論見通り進んだが、予想だにしていなかった威力が出たため床にはいつくばって飛ばされないようにするのがやっとだ。
次第に風が収まり始め湯気が引き、視界が開けてきた。ってマズイ! まだ倒せているかどうかわからないのに! だがそんな俺の心配は杞憂だったらしく、顔剥ぎは既に100m以上先の所で倒れていた。演技であることを懸念してゆっくりと近づいたが既に男は白目をむいて気絶していた。ここまで完璧に意識が飛んでいるならしばらくの間起きることは不可能だろう。ただ万が一この状態で目を覚まされると面倒なので、一応縄で手足と口を縛っておく。
が、作業を終えひと段落した俺は気が付いた。今まで俺が戦っていた倉庫が跡形もなく消え去っていたことに。
「やっべぇこれ絶対アースの奴に後で怒られる……」
ただでさえあの男は民間人に迷惑がかかることに対してはうるさいのだ。今回の件がばれれば100%文句を言われる。懸念事項が多すぎて頭を抱えたくなる。と、その時、
「あの、ご主人様……」
消え入りそうな声で俺を呼ぶ声が聞こえた。そこでようやくまだネリアが縛られたままだということを思い出し、急いで倉庫の方に戻った。そしてアイスドームを解除、その後縄をウィンドカッターで安全に切断し、これにてネリア奪還作戦は完全に終了した。
で、だ。さて、問題はここからだ。警備兵本部でアースが位置情報を割り出している間、アイシアから色々と聞いたろところ今朝の一件は明らかにこちらに非があることが分かったため謝らなければならないのだが、どこから謝ればいいのかがさっぱり分からない。
俺が謝罪の仕方について一人で延々と考えていると、
「すまなかった!!!」
「え? は?」
唐突にネリアが勢いよく頭を下げてきた。ずっと謝罪を考えていたのに逆に謝罪されてしまいもう何が何だか分からない。が、そんな俺の困惑など目に入らないほど、彼女は切羽詰まっていた。
「私は、私は君に大事なことを何も教えていないのに、知らないなら当然の反応をしたキミを自分勝手に糾弾し、あまつさえ屋敷から追い出した。こんなバカで自分勝手な女を危険を冒してまで助けに来てくれるような君をだ……。だからきっと今ここで君に謝罪を述べて、二度と君の前に姿を現さないことを約束する、それが二度も命を救ってもらった君への唯一のけじめなんだろう……」
しかしそこで彼女は再び顔を上げ、
「だけど! だけどたとえ君から馬鹿で傲慢でどこまでも厚かましいと蔑まれる結果になったとしても! それでも私はずっと君の傍にいたいんだ! 10年間願い続けてやっと叶い続けた夢なんだよ!? それを、それをこんな形で終わりになんてしたくないよ!!」
ネリアの顔は涙でくしゃくしゃになっていた。普段の余裕綽々な表情など見る影もない。けれど、誰かの涙をこんなに美しいと思ったのは生まれて初めてだ。
「仕方ねぇ奴」
そう言ってそのまま彼女を抱き寄せる。
「全部アイシアから聞いた。ったく会ったことあるなら会ったことあるって最初から言えよ」
10年前に起きた豪華客船ハイジャック事件。それは俺が第四魔王軍に配属して初めて請け負った事件だった。当時6歳だった俺は経験が浅いという理由から比較的戦闘になりづらい救出部隊に回され、そこでネリアは俺と出会った。ただ初仕事ということもあり精神的にほとんど余裕がなかった俺はその事件で誰を救出したかなどまるで覚えていなかったのだが、ネリアの方は自分と同年代の子供に助けられたことが強く印象に残ったのだとか。
それ以来彼女は名前もわからぬ相手を調べ続けていたそうだ。手掛かりは第四魔王軍に所属しているという情報のみ、魔王軍の守秘義務によりアースも口を割らない始末、もう彼女は二度と会えないかもしれないと何度も弱音を吐いていたそうだが、それでもなお諦めず調べ続けていたらしい。
しかしそんなある日、ネリアのもとに第四魔王軍消滅という情報が流れてきた。そして彼女はすぐに行動を開始した。そう、俺が見たあのバイト募集を情報誌に掲載したのである。けれど当然こんなものに確実性なんてない。そもそも俺が他のバイトに受かってしまっていたらその時点で情報誌なんて見ることはなかったし、何らかの事情で俺が命を落としてしまっていたらその時点で計画は破綻する。
だがそれでも彼女は一縷の望みにすがり続けた。ずっと成果が出なくても根気強く。そして待ち続けること半年、見事彼女は賭けに勝った。10年という長い歳月を経て、ようやく彼女の執念は実を結んだのだ。その時の彼女の胸中は推して知るべくもない。
「まぁ流石に10年って聞いた時はアホかって思ったけど、それでも蔑むなんてマネは絶対しねぇよ。第一、10年間一日たりとも俺のことを忘れず思い続けてくれたような女の子を嫌いになんてなれるわけないだろ」
アイシアからその話を聞いた時、俺は今朝の自分を本気で殴り飛ばしたくなった。10年もの間俺を好きでい続けてくれた少女に向かって、魔術だけが目的で婚約者にしたんじゃないかなどとふざけたことをほざいたのだから。俺の言葉がどれほど彼女を深く傷つけたのか。考えるだけではらわたが煮えくり返る。
「だから謝るべきは俺の方だ。けれどいくら謝っても足りるとは思えないから、だから俺は約束する」
そして一息つき、俺たちの運命を決める決定的な誓いを告げる。
「俺はずっとお前の傍にいる。そして絶対にお前をこの世界の王にして見せる」
一瞬ネリアはきょとんとした。そして彼女は次第に意味を理解し始めたのか慌てだした。
「え? ちょっと待って! 私には世界の王になるなんて無理だよ! 君が一緒にいてくれるのはうれしいけど私そんな器じゃないよ!?」
「ああ、言うと思ったよ。最後のは俺の願いだ」
彼女の性格を考えれば辞退するのは目に見えていた。けれど、それでも俺は彼女になってほしいと思う。確かに世間知らずで人の話を聞かずに突っ走ってしまうところはあるが、頭の回りの速さや10年もの間一人の人間を探し続ける一途さ、そして自分の非を認めてなお前に進める強さを持っている。
だから俺は他の誰よりもネリアに王になってほしいのだ。彼女が王になればきっと世界はより良い方向に進む、そんな確信があった。
「ただ勿論今の俺じゃお前を王にするには実力不足だ。今朝お前に言われた通りあの爺さんにも歯が立たねぇしな」
だけど、と続ける。
「俺は必ず強くなる。爺さんにも、他の魔王たちにも絶対勝てるようになってやる。だから、だから頼む!」
今度は俺が頭を下げる番だ。なんせ俺が言っていることは夢物語もいいところだ。俺が爺さんや魔王のような化け物たちに勝てるようになる確証なんてどこにもない。けれど、
「わかった」
彼女はそんな俺の言葉を信じてくれた。どこにも根拠なんて無いのに、無条件に彼女は俺を信頼してくれた。
「だからこれからもよろしくね旦那様」
そう言うとネリアは俺に手を差し出す。そして俺はその手を取り、
「俺は旦那様じゃなくてミストだけどな」
一瞬彼女はぽかんとしたが、意味が分かったのかすぐに苦笑し、
「わかったよミスト」
そう言って再び彼女は笑みを見せたのだった。
ここからは後日談、俺たちが警備兵本部に行くとそこには泣きすぎで目を赤く腫らしたアイシアがいた。しかし彼女はネリアの無事な姿を見た瞬間まだ涙が枯れていなかったのか再び大声をあげて泣き出し、その後30分は泣き止まなかった。この時のアイシアの泣きっぷりは流石のネリアにもかなり効いたのか、今度から外出の際は必ず誰かしらを連れて行くと約束していた。
また、ネリアを護衛していた二人の警備兵だがなんとどちらも生きていたそうだ。彼らは二人とも切られたショックで気を失っていただけで、血の量に対して切り口は浅く命に別状はないとのこと。アースは二人に対して不甲斐ないと叱責していたが、奴の本心は間違いなく両名が生存していたことに対する安堵だろう。あいつはそういう男だ。
そして警備兵本部からの帰り道、俺は工場での戦いのときからずっと気になっていたことをネリアに聞くことにした。
「なぁネリア、お前に一つ聞きたいことがあるんだけどさ」
するとネリアは首をかしげ、
「どうかしたの?」
うん、やはり変だ。最早疑う余地はない。
「お前明らかに口調変わってね?」
刹那、彼女の表情が凍り付いた。必死に笑顔を取り繕おうとしているがぎこちない、と言うか最早恐怖の域である。
「オ、オイちょっと待て、君は一体いつからそのことに……?」
指摘を受けたからか再びいつもの口調に戻ったが、俺の無駄な好奇心は止まらない。
「顔剥ぎとの戦いの後からずっとお前変だったけど気づいてなかったのか?」
彼女の顔が見る見るうちに赤くなる。あ、これ指摘しない方がよかったやつではと思い、必死で話題をそらそうとするも、横からさらに新たな爆弾が放り込まれた。
「あれ? 今日本部でいいませんでしたっけ? お嬢様ったらどうすれば殿方に気に入ってくれるのかってメイドに聞きまわっていらしたので、今のトレンドは男勝りな話し方をする女性らしいですよって教えたら熱心にお部屋で練習始めておられまして」
いやそれ言っちゃ駄目だろうと思ったものの、もうここまで来たら最後まで聞いても変わらないだろうと考え、
「えっと、それはいつ頃から?」
「確かお嬢様が偽のバイト募集を掲載するちょっと前ですから……、第四魔王軍が解散って聞いた直後くらいからですね」
えっと、つまりまさかと思うが半年間もずっと部屋で話し方の練習をしてきたのか? たった一人で壁に向かって? いやまぁ俺に好かれるためにそこまで必死になってくれるというのはある意味男冥利に尽きるが、その光景想像するとシュールを通り越して最早ホラーである。
「あ、あ、ああ、あああああああああ……」
その時だった、呪詛のような音が聞こえ始めたのは。そしてその音がネリアから発せられたものだと気づくまでに数秒を要した。
「な、なぁちょっと落ち着け?」
「そ、そうですよ! それにそこまで一途に思い続けられるって素敵なことだと思います! ね!?」
ここにきてようやく事態の深刻さに気付いたアイシアもアシストに回るが時すでに遅し、ネリアの耳には俺たちの声など届いていない。
そして次の瞬間、
「い、嫌ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
閑静な住宅街として有名なグリム三番通りに大絶叫が響き渡った。なおこの絶叫はグリム三番通りだけにはとどまらず、1km以上離れた警備兵本部にも聞こえたようで、後に街の伝説の一つ、夕暮れ時に響く断末魔の叫びとして取り上げられるようになった。が、真相を知る俺はその記事を見るたびに何とも言えない気分になるのであった。
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