第6話 亀裂
そこまで聞いてようやく話が少し見えてきた。おそらくネリアはこの代理戦争に参加する資格のある人間、すなわち協会の現トップの血を直に引いている人間であり、彼女が魔術を得意とする者を募集していた理由はそこにあるのだろう。
「あれ? でも魔術が得意だと代理戦争ってのは有利になるのか? ルールを知らないからその辺りがよく分からないんだけど」
というかもし本当にそうなら世界のまとめ役を戦闘能力で決めることになるわけだが、世界の支配者がそんな脳筋みたいな人間でいいのだろうか。
が、彼女は俺の発言に意味わからないという表情で、
「待て、まさか君は私が代理戦争に勝つために君を婚約者に迎え入れたと、そう思っているのか?」
今までの話の流れ的に考えればむしろそうとしか思えない。俺が首肯すると彼女は体をわななかせ、次の瞬間、
「ふざけるな!!!」
屋敷中にネリアの怒声が響き渡った。俺自身一瞬何が起きたのか分からず口を開いたまま唖然としていた。何が悪かったのか考えてみるが原因が分からない。が、彼女は怒りが冷めやらぬといった様子で更にまくしたてた。
「強ければ誰であろうと結婚を申し込むと!? 君は! 私がそんな人間だと本気で思っているのか!?」
言われてみると確かに明確に俺に好意を持っている少女に対し今の発言は失礼だった。だがバイトの面接と称し受かったら即婚約を申し込んでいるのだから俺でなくてもそう思うのが普通ではないだろうか。
「第一! 魔術が得意な者という条件で配偶者を選ぶならそもそも君なんか選ばずに、君よりはるかに強い爺を選ぶに決まっているだろう!?」
さすがにこの言われようは我慢ならない。そもそも誤解されるような行動をとったのはネリアの方である以上彼女にだって非があるはずだ。だから俺は売り言葉に買い言葉で言ってしまったのだ。
「ああそうですか。なら弱い俺なんかと結婚せずにもっと強い魔王様でも誘惑して結婚してくれ」
しまったと思った時にはもう遅かった。彼女は俯き、体を震わせながら、
「………いけ」
声はかすれていたけれど、そこには明確に怒りが込められていた。そして、
「出ていけ!!! 君の顔なんてもう二度と見たくない!! さっさと私の屋敷から出ていけ!!!!」
もう無理だ、相手から会話を拒否され以上やることは一つしかない。俺は手早く荷物をまとめてそのまま部屋を後にした。そして外に出るとそこには庭の手入れをするアイシアの姿があった。彼女は俺の姿を確認するとこちらに駆け寄り、
「あの、ミスト様……。先ほどお嬢様の怒声が聞こえたのですが本当に出て言っちゃうなんてことありませんよね?」
その不安そうな表情に心苦しさを覚えるが、こればかりは俺の力ではどうすることも出来ないのだ。俺は彼女の質問を笑いながら誤魔化し、それ以上の追及がないことを確認してから門をくぐり外へと出た。折角仲良くなれたけれどもう二度と彼女とは会うことはないだろう。いや、彼女だけではないか。俺はその事実に一抹の寂しさを覚えたが、仕方のないことだと割り切り、ネリア邸を後にするのだった。
何故こうなったのだろう。私はどこで間違えたのだろうか。考えても考えても答えは出てこない。これからどうすればいいのかもわからない。
いや違うか、夢が覚めただけか。だって私が彼と会うことなんて二度とあるはずがなかったのだから。それが何かの手違いで叶ってしまっただけ、運命とやらのお陰でいい夢を見ることが出来た。けれどたとえ夢であったとしても覚めてほしくはなかった。彼と少しでも一緒にいたいと、そして私が彼のことをどれだけ好きなのか知ってもらいたいと、そう願うのはただの我が儘でしかないのだろうか。
「お嬢様。少しよろしいでしょうか?」
爺か。大方先のやり取りを聞いていたのだろう。正直答えるのも億劫だったが、何か別に用件がある可能性も否定できない以上無視することはできない。
「入れ」
そう言うと爺はそっとドアを開け部屋に入ってきた。しかし来客は爺だけではないらしく、彼の後ろにもう一人いるのが見えた。
「アイシア?」
私が名前を呼ぶと彼女は少し肩を震わせた。おとなしい彼女には先ほどの怒声は少し刺激が強かったかもしれない。委縮した姿を見ると少し罪悪感を感じてしまう。
「私は大丈夫だよ。それより何かあったのかい?」
私が少しだけ笑顔を見せると彼女の緊張でこわばっていた体が少しだけ解れたように見えた。その事実に私は安堵する。
「お嬢様、申し訳ございませんが少々昔馴染みと会わなくてはならないため、二日間だけ身の回りのお世話をアイシアにお任せしてもよろしいでしょうか」
成る程、どうやら本当に彼の件とは関係ないらしい。
「構わないさ。爺も少しは羽を伸ばしてくるといい」
頼みを断る理由もない。それに私自身一人になる時間が欲しかった。
「ありがとうございます。それではもうそろそろ出なくてはならないので失礼いたします。アイシア、後は頼んだぞ」
爺はアイシアを残しドアに手をかけ、しかしもう一度だけこちらを振り返り、
「それとお嬢様、くれぐれもご自身を悲劇のヒロインなどとお思いなさらぬように」
それだけ言うと今度は振り返ることなく去って行った。
「あの、お嬢様……」
アイシアが心配そうにこちら見ているが、それにかまってあげられるほど余裕はなかった。全く参ったな、やはり爺には敵わない。この状況を引き起こしたのが原因がほぼすべて自分にあることくらい、それくらいわかっている。爺に我が儘を言って彼を無理矢理婚約者にして、挙句結果がこれだ。今の私は自分でも笑えてくるくらい惨めで滑稽な人形でしかなかった。
「お嬢様!」
アイシアの声で現実に引き戻された。爺が出て行ってからどれくらい経ったのだろうか。時間間隔が完全に狂っている。正直もう何も考えたくはなかったが、これ以上アイシアに心配をかけるわけにもいかない。だから私は最後の意地と見栄でなんとか笑顔を作り、
「ああ、ちょっとね。もう大丈夫だから下がっていいよ」
けれど彼女の顔は険しいまま、自然に笑顔を作れたと思っていたのは私だけだったようだ。そして彼女はそのまま私の手を握り、
「旦那様を探しに行きましょう」
「は?」
あまりに唐突な提案に開いた口がふさがらなくなった。彼女は何を言っているのだろう、私と彼の関係は今朝修復不可能なまでに壊れてしまったのだ。それを今更会いに行ってどうなるというのだろうか。しかし彼女は真剣そのものだった。
「お嬢様がどれくらい旦那様を愛していたかは私にはわかりません。ですが、お嬢様はそれで納得できるんですか? お嬢様の好意はその程度の……」
「出来るわけないだろう!?」
彼女の言葉を遮る形になってしまったが、もう我慢の限界だった。
「あの時からもう10年も片思いし続けてきたんだ、納得なんてできるわけがない! でも……、でもどうしようもないだろうが! 全部壊したのは私なんだから! 幸せな生活を台無しにしたのは私自身なんだから!!」
「だったら!」
しかしアイシアはそれでも引く様子を見せない。
「だったら余計に会いに行くべきなんじゃないですか? 私はあの方がここを出ていく時にお会いしましたが、あなたのことを本気で嫌っているようには見えませんでした。ですが、もしここで動かなければ本当に終わってしまうんですよ? やり直せるかもしれないのに自らその可能性を捨ててしまうんですか?」
ぽつり、ぽつりとつぶやくようにアイシアは言葉を紡ぎ続ける。一言一言に力があるわけじゃない、けれど私には何も言い返すことが出来ない。だって彼女の言っていることがあまりに正論だから。私がただ理由を付けて目の前の問題から逃げようとしているだけだと見抜かれてしまったから。だからここで本来私が取るべき行動はただ一つ、自分の非を認め彼をすぐにでも探しに行くこと、そうでなくてはならない。けれど、
「頼む、少しでいいから一人にしてくれ」
私の答えにアイシアは悲しそうな表情をしたが、私の意思を尊重し何も言わずに去って行った。よかった……。彼女が気づかいが出来る人間で心底助かった。そして彼女が完全に立ち去ったことを確認した私は少し出かけるという書き置きを残し窓を開けた。ここからなら雨どいをつたって誰にもばれず屋敷を抜け出すことが出来る。
もしも私が探しに行くと言い出せばきっと、アイシアは自分もついていくと言って聞かないだろう。けれどこれは私の問題だ。彼女にこれ以上迷惑をかけることは許されない。
旦那様が出て行ってから既に6時間が経過していた。もしかしたらもうこの町にはいないかもしれない。仮にいたとしても彼がいそうな場所など心当たりもない。けれど、それでも私はもう一度彼に会いたいから。だから私は一縷の望みにかけて、たった一人で彼を探しに街へと出るのだった。
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