第5話 中央協会
現在朝の6時、一般的な起床時刻にもかかわらず俺はひたすらネリア邸裏にある森の中を走り続けていた。既に走り始めてから30分ほど経過していたため足が動かなくなってきていたが、足を止めてしまえばその瞬間にこちらの敗北が決まる。
「チッ!」
打開策を考えていると突如、目の前に火の玉が現れた。そして次の瞬間火の玉はいくつにも分裂し、四方八方から曲線を描きながら俺めがけて飛来してきた。
「ベールウィンド!」
四方八方からの攻撃では壁を立てたところで意味はないので範囲攻撃を選択。正直炎系統以外であればかなり面倒だったので幸運と言わざるを得ない。
「大したものですがここまでですな」
目の前の男が指を鳴らしと同時に俺は奇妙な浮遊感に襲われた。
「しまっ……」
男の狙いに気づいた時にはもう遅い、幾重にも重ねられた土の檻の中に閉じ込められていた。檻はあまりに強固であり生半可な威力の魔術では傷一つ付けられない上、仮に内側から破れたとしてもその隙を狙われてしまう。つまり完全に詰みである。
「ほっほっほ。まだまだ若いもんには負けませんぞ?」
目の前の男、元魔王の爺さんはあれだけ動き回ったくせに疲れた表情一つ見せていなかった。もう年だというのに俺よりはるかに体力があるというのは一体どういう仕組みなのだろうか。
「はぁ……。ったく少しは手加減してくれよ。まともに戦ったら勝負にならないっつーの」
魔王軍をやめてから今まで俺は魔術の訓練と称して毎朝自主的に鍛錬を行っていたが、実践的な訓練が出来ないという事態は予想以上に俺の腕をなまらせていた。仮にこのまま練習を続けてもかつての実力まで戻すどころか技術の向上すら極めて困難と判断した俺は、打開策としてネリア邸どころか全世界で最強クラスと予想される爺さんに訓練を手伝ってもらうことにした。そして今日ようやく初めて訓練を行うことになり現在に至るのである。
ちなみに俺が俺が未だに爺さんと呼んでいるのは単に呼びやすいから、というわけではなく本人に名前を聞いてもはぐらかされるからである。勿論他の人から聞き出すという試みをしなかったわけではないが、ネリアに聞いても本人が言わないなら自分も教えないと断られ、他のメイドたちも知らないということなのでこの屋敷でも彼の名前を知っているのは彼から多大な信頼を寄せられてる面々だけなのだろう。
「あんた絶対魔王の中でも強い方だったろ。戦ってみて勝てねぇってはっきり思ったのはこれで四人目か」
ちなみにそのうちの一人は俺が所属してたところのトップ、第四魔王様。しかし目の前の爺さんは奴よりも強い気がする。勿論どちらにも本気を出されたことはなかったから正確には測れていないが、少なくとも現段階でよりやり辛かったのは爺さんだ。
「年季が違いますからなぁ……。いくら天才であっても20倍近く生きているものにはまだ勝てますまい」
飄々とそんなことを言ってのけるが、俺が仮に300年生きてその位置に行ける保証はどこにもない。トップクラスの魔王はやはり化け物ばかりだと今一度痛感する。
「それに何よりミスト殿。私にはまだ貴殿は本来の戦い方をしていないように見えますぞ?」
「こんだけボコられて力隠す余裕なんてねぇよ」
事実俺は本気を出していないわけじゃない。だが、
「ふむ、それではそういうことにしておきましょうかね。ではそろそろ朝食をしなければならないのでこれで失礼」
彼は最後に俺に一礼すると、そのまま背を向け歩き去って行った。去って行く時もなお隙を見せないのは見事と言うほかない。彼が去って行くのを見送った後、しばらくの間ぼーっと今朝の訓練を振り返っていたが、どうしても爺さんに一矢報いるビジョンは見えなかった。
「はっはっは! 朝から大分爺にボコられたそうじゃないか」
訓練を終え、部屋に戻るとそこには無邪気に笑いながら傷口をえぐってくる女がそこにいた。誰かなんて言うまでもない。
「弱くて悪かったな。てかネリア、なんでお前が俺の部屋にいるんだ」
面接の日、俺がネリアの婚約者になるにあたっていくつかの取り決めをした。そしてそのうちの一つに部屋を別々にする、というものがある。なぜそんな取り決めをしたかと言うと、いくら婚約者と言えどまだ結婚前なのに同じ部屋で生活するのは世間体的にまずいからである。ただネリアがこの時に猛烈に抗議したため折衷案と言うことで俺たちの部屋は隣同士になった。
「へそを曲げないでくれ。何も私は君を弱いなんて言ってないだろう? むしろアイシアから話を聞いて改めて強いと感じたよ」
俺の後半の発言は彼女の中でないものとして処理されたらしい。別にいいけれど。
「はぁ? あんだけボコられててどこに強い要素があんだよ」
今朝の試合内容はどれもこれも後手に回り続け、一度も勝機が見えなかったものばかり。これのどこに強い要素があるのかさっぱり分からない。しかし俺の言葉に彼女は首を横に振り、
「君はまるでわかっていない。いいかい? 私から名前を言うことはできないが爺は歴代でもかなり強い部類に入る魔王だ、一般的に強いと言われている程度の魔術師相手なら勝負は一瞬でつくはずなんだ。にもかかわらず君はいとも簡単に爺相手に戦いに持ち込めている。それも私と同年代の時点でね。それがどれだけ異常なことかわかるかい?」
確かに爺さんは強いし俺自身未熟なことはわかっているが、それを理由に負けてもいいと逃げてしまっていいものだろうか。というか実力差があろうが何だろうが負けたら悔しくはないのだろうか。
俺が彼女の言い分に納得できず唸っていると、
「向上心の塊みたいなやつだな君は。まぁだからその若さで魔王軍幹部なんて位置にいたのだろうが」
そう言って呆れたように笑っていた。まぁ正直自分でも負けず嫌いが過ぎると思うことが多々あるので呆れられても仕方ないとは思う。
「ん? てかそういえば俺は両親にご挨拶に行かなくていいのか? 俺の方はもともと両親がいないから挨拶も何もないけど」
言ってしまってから彼女の顔に影が差したことに気が付いた。全く迂闊にもほどがある。バイトの募集と称して魔術を得意とする者を誰にも断らず独断で婚約者を決めるくらいだ、彼女の家庭環境に不和があると考えるのが普通だろう。
「あ、いややっぱいいや。よく考えたらまだ早いしな、うん。そのあたりのことはまた今度にしよう」
話題転換があまりに下手過ぎて頭を抱えたくなった。こういうところはホントにネリアを見習いたいと常々思う。が、
「いや、いい機会だし君には話しておこう。いずれにせよいつかは言わなければならないしね」
愛するものと結ばれるためにもねと、そう前置きをし、彼女は自分の身を取り巻く問題について語り始めた。
さて、まず私を取り巻く環境について話す前にこの世界の勢力図について軽くさらっておこうか。では早速一つ聞くが旦那様、君は今世界がいくつの国から成り立っているか知っているかい? ああ、その通り。答えは7だ。世界は現在ロータス、グレナード、デイジー、アマリリス、シェイムローク、シープレス、そしてここローゼンベルグの7つに分かれている。これは世間一般的な常識であり恐らく知らない者はほぼいないだろう。
だがこれらの国々を裏でまとめ牛耳る連中が存在する。どこか。答えは中央協会という完全に秘匿された組織さ。正直な話各国の王なんて本来誰だろうがどうでもいい。何故なら中央協会のトップこそが実質的な世界の王であり、国王共は置かれているだけ、傀儡に過ぎないからだ。と、まぁここまでは魔王軍の幹部だった君には真新しい情報は一つもないだろう。なんせ魔王軍は中央協会によって作り出されるわけだからね。知らないはずがない。
おっといけない、話がそれてしまった。とまぁそんな感じで我々は中央協会に常に見張られ支配されているわけだが、では中央協会のシステム、もっと言えば秘匿された組織のトップはどうやって決まるのかという話に行こうか。さて、君はどうだと思う? 完全実力制? いや残念ながら完全実力制ではない。じゃあ何かって? 実力制じゃなければ答えは一つしかない、世襲制さ。あそこだけは未だにそのシステムを採用しているのだよ、時代錯誤も甚だしいとは思うけどね。
ただそんな機関が何故未だにそれほどまで根強く権力を持ち続けているのか。普通ならそんな組織とうにつぶれていてもおかしくはないし、事実その制度が理由で一時は大幅に力を失ったこともあった。そんな時彼らはある打開策を考えついた。何か、簡単に言ってしまうと一族の中で最も優秀なペアに中央協会のトップを任せることにしたのさ。
「は? ちょっと待て、今まで一族の中で別に優秀でも何でもないやつに任せてたのか?」
だとすれば相当アホである。というかよくそんなずさんな方法を取り続けながら世界を牛耳り続けることが出来たものだ。
「いや、もちろん一族の中で最も優秀なものが選ばれていたよ。だが身内だけでは全員大した才能がない場合に組織が瓦解すると判断した協会は、特例としてある条件を付けた上で外部からの参加を認めた」
外部の条件? まさか……、
「気づいたみたいだね。そう、この制度のミソはペアという言葉にあるのさ。つまり」
そこで彼女は言葉を区切り、こう言った。
「この覇権争いはほとんどが参加者の配偶者によって決まる、いわば代理戦争なのさ」
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