きゅう
人は生まれたら、必ず死ぬ。
交通事故死の数は増減を繰り返しつつ、年々減少傾向にある。歩行者、自転車、オートバイ、自動車。あたしも原付に乗るから、車に撥ねられて被害者になる可能性も、自転車や歩行者とぶつかって加害者になる可能性だってある。
手首を引っ張られて、後ろによろめく。
目の前を車が走り抜けて行き、地面から離れた右足が、一歩後に落ち着いた。
「危ないな」
「……ありがと」
「うん」
手が離れて、歩き出す。
夕日が沈みかけている。
「静河」
呼びかけると、静河は何の躊躇もなく振り向く。
あたしは、この男のどこを好きになったんだろうと考える。そんなことを考える余裕もないくらい、話しかけて一緒に過ごして付き合って、楽しかった。好きになったと気付いたときは遅かった。
「嘘だよ」
「え、何が?」
「彼氏いるって」
ちょっと驚いた顔をしてから、宙を見る視線。それから、手を取られた。
「じゃあ手繋いでも良いわけだ」
「いや、それとこれとは別な気がする」
「細かいことは気にしない」
にこにこしている。手を繋ぐことの何がそんなに嬉しいのだろう、とか思うけれど強く言うことはできなかった。
「あと、塾のクラス、隣だったっていうのも嘘」
「あーそうだったんだ」
「薄いリアクションだな」
「同じ中学で、同じ塾通ってた女子が、葵のこと知ってた」
わあ、あたし有名人じゃん。
足は駅へ向かっている。あたしたちのことを知らない人間は、普通の恋人同士だと思っているだろう。
一応、塾の生徒が散ったところで待ち合わせをしていた。見られて、しかも顔だけであたしと認識されるって、その子もすごい子なんじゃないの。
「その女子の姉さんが第三中だったらしい」
あたしの思考が読めたのか、静河が答えてくれる。
「中学生静河は何とも思わなかったの? なんでこいつ制服変えて自分に近づいてきてんだろって」
「思ったけど、聞けなかった。それ教えてもらったの、葵がいなくなってからだから。まあ、たぶんからかわれたのかなとか、思ったけど」
横断歩道を前に足を止めた。
「本当に俺をからかって、飽きて面倒になったから居なくなった?」
これが最後だと思った。
一緒に横断歩道を渡るのも、こうして手を繋ぐのも。
「半分正解で、半分間違ってる」
「じゃあ、解答教えて」
「あんたの親って、どうして亡くなったの?」
目を瞬かせる。
それはそうだと思う。
「なんで俺の親が亡くなってんの……」
「あたしの両親、亡くなってる。交通事故で」
ぴく、と指が震えた。あたしじゃない、静河のだ。
「あたしの両親が赤信号で停めていた軽自動車に、反対側から来た車が突っ込んできた。両親の車も、突っ込んできた車も大破。うちの両親は病院に着いた時点で死亡が確認されて、突っ込んできた車に乗っていた夫婦は重傷、数日後に死亡した。突っ込んできた理由は飲酒じゃないから、居眠りかと推測された」
するりと手が解ける。あたしがそうしたのか、静河がそうしたのか。
「解答は、あんたがその夫婦の息子だったから」
信号が青に変わった。
「あたしは親戚の家をたらい回しにされてるのにさ、あんたを見つけて、近づいて驚いた。塾まで通わせてもらって、お小遣いもらってて、綺麗な身なりとか常識的なところとか、そういう平凡な幸せを目の当たりにするたび、むかついてた」
黄色に変わって、赤になる。
「最初会ったときは、特に。あたしが濡れてる犬にでも見えた? 憐れんで、傘に入れてあげて、そういうのは満たされてる人間にしかできないんだよ。生まれてこの方、満たされていたあんたは知らないんだろうな」
静河の顔を見上げた。驚いた。
泣いていたから。
あんたは、泣くときまで静かなのか。
目を逸らす。そうしないと、言えなかった。
「あんたのこと、出会う前からずっと嫌いだった」
青に変わる信号。ああ、結局横断歩道は手を繋いで渡ることはできなかった。
「さよなら」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます