なな


見上げると、月。太陽は直視できないけど、月はずっと見ていられる。でも、月が見えるのは太陽の光があるからだ。

あの日から、あたしは月明かりの下を歩いている。

そんなあたしが、あんたを知ったのは偶然だった。


―――どうして、神様は残酷なのだろう。



北原静河。変な名前だと思った。静かな河って書いてシズカって。女みたいな名前、人に河って使うふつう。いやそんな風に言える立場かあたしは。

葵は太陽に向かって成長する植物だ。それなのに、月明かりの下で生きているなんて。


「あれだよ、北原静河」


同じ小学校で、学区の違いで治安の良い学校に行った友人が視線でその人物を示す。ひとつ離れたガードレールに座って、あたしは塾の入り口から出てきた制服を着た男子を見た。整った顔をしている。乱れのない制服と、短い黒髪。それがなんというか、育ちの良さを感じる。


「同じ中学の子とはよく喋ってる」

「彼女は?」

「いない。なんなの、仇かなんか?」


友人は戯けたようにして尋ねる。あたしは汚れたスニーカーの先を見て、視線をアスファルトに移した。街灯の光が反射して、キラキラとする部分がある。

今日は月が出ている。綺麗な満月だ。


「ああ、そうだよ」








迷走していた。あたしは、暗いところをこっちで合ってるのか、と問う人もいないままに走っていた。

そこは雨も降っていなければ、月明かりさえない。


「遅れた」


既に待ち合わせ場所にいた姿に声をかける。

静河は立ち上がりながら、イヤホンを取った。あたしの方を見て笑う。


「全然、待ってない」


あの時と同じ台詞。あたしは言い返そうと顔を上げるけれど、止めた。


「あっそ」


冷たい声に、静河のきょとんとした顔。平日の昼時の駅前は空いている。みんな今頃店に入っているのだろう。

あの時とは、全く違う。

あたしは私服を着ているし、連絡先を知っているのに遅れることを連絡しなかった。明らかに悪意があるのに、あたしはちゃんと謝ってない。

今日は静河に嫌われに来た。


「お腹空いてる?」

「空いてる」

「じゃあなんか食べに行こう」


歩き始める。あたしはその斜め後ろに並んで、前を見た。


「静河、大学は?」

「今日の授業、午前終わりなんだ」

「ふーん。清楚系にはちゃんと断ってきたの? どこの馬の骨が分からない女とデートに行ってくるって」

「断る理由がないんだけど。あと、どうして葵はそうやって自分を卑下するかな」

「本当のことを言ったまででしょ」


静河の足が止まる。怒ったか、とあたしも足を止めた。それならここで帰れる。


「ご飯、ここで良い?」


指差したのはイタリアンの店。出された看板に書かれた料理名が普通に美味しそう。


「うん、カルボナーラが良い」

「決めるの早いな」


苦笑して静河が店の扉を開けた。穴場なのか、不味いのか、店内は空いている。平日なのもあるだろうけど。

すぐに席に通されて、メニューを渡された。あたしは決まっているので、静河の方へ向ける。それからいつもの癖で灰皿を指で引き寄せていた。


「煙草吸う?」

「え、あー……」


そうか、静河の周りでは女で煙草を吸う人間なんて見たことがないのか。それを考えると、返答が面倒になって灰皿を戻す。


「いいよ、吸って。咎めたわけじゃない。ただ意外だと思ってさ」

「別にどう思われても良いんだけど、あんたメニュー決まったの?」

「あ、うん」


通りかかった店員を呼び止める。あたしは自分のカルボナーラを、静河はミートソースを注文した。

グラスに注がれた水を飲む。静河がこちらを見ているのを感じた。

前に、『あたしと行くならどこでも楽しい』と言ってくれたことをふと思い出す。今はどうなんだろう。こんなつっけんどんな態度で、不機嫌で、全然静河の方を見ない。

こんなあたしのどこを好きだと言えるのだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る