よん


あたしたちが恋人同士になるのに、そう時間はかからなかった。

勿論塾に通っていないあたしは、静河が塾のある日は友達に制服を借りて、ただ駅までの道を歩いた。名前と顔を偽ることは出来なかったけれど、それ以外は殆ど嘘だった。大人しめの口調、いつも機嫌の良さそうな笑顔、話をきちんと聞く姿勢。それが普段でも出来ていたなら少しはきちんとした人間になれていたかもしれない。

とりあえず、そのきちんとした人間になれるのは、静河といるときだけだった。


「今度、どっか行こう」

「どっか?」

「デート」


甘美な響き。あたしはどこが良いかな、と頭の中で選択を始めていた。

その様子をみたのか、静河が笑う。


「きっと葵と行くならどこでも楽しい」







駅まで来て、未だ閉口している静河を盗み見る。

何を考えているのか、本当に分からない。さっきみたいに会話をしてずれることを知るのが多いので、頭の中なんて見られたものではない。

偏差値の違う脳味噌ってどれくらい思考回路に差が出るのだろう。なんて、どうでも良いことを考えていた。


「……シてない」

「あ、そっか」

「俺、葵のこと好きだ」


告白。懺悔。戒め?

どれも合っていない。あ、罪悪感だ。

ぴったりな言葉が降ってきて、あたしは足元を見た。あたしは使い古したサンダル、静河は綺麗なスニーカー。


「……それで? あたし付き合ってる人いるって言ったけど」

「聞いた。だから、別に付き合おうとは言わない」

「あっそ」

「でも、好きだから。覚えといて」


傘をとじる。その顔が、昔デートをしようと誘ったときと同じで、目を逸らす。

直視できないのは、どうしてだろう。

罪悪感?


「あたし馬鹿だから、覚えらんない」


言い捨てて、背中を向けた。

名前を呼ばれたけれど振り向かない。本当に鬱陶しい。そのうえおめでたい思考回路をしている。そういうところが嫌いなんだ。

そう言ってやれば良かったのに。


「……面倒くさい」


面倒なのは、あたしが静河を好きだから。

静河を好きでいる自分が面倒で、鬱陶しくて、おめでたい思考回路をしている。そういうところが大嫌いだ。

そして、静河から好かれても全然嬉しくない。静河が好きなのは、あの時のあたしだ。今のあたしじゃない。

追いかけてくるのは、いつかあの時のあたしが顔を出すんじゃないかって期待をしているからだろう。そんな期待をされても、あの時のあたしはもう居ない。出てくる必要がないから。






昔から、本を読むのは苦じゃなかった。

そんなことを言うと周りの奴に引かれるから絶対に言わなかったけれど。


「俺、恋人と暮らすことになった」

「え、まじで」

「まじ。ここ住んでて良いよ、俺があっちの家行くから」

「金持ちどうもありがとう」

「金森だから」


同居人の金森は少しイラついた声を出しながら、荷物を整理している。大掃除を始めたのかと思って聞いてみたら、まさかの引っ越しだった。

金森とはクラブで知り合った。自分で会社を経営しているらしく、株やら何やらでとりあえず金持ちだ。一人暮らしで部屋が余っていると言っていたので転がり込んで、居候させてもらっている。なんでもじいさんのマンションらしく、このフロア全部が金森の家となっている。これは部屋余るに決まってるな、と家に来てとても思った。


「葵もいい加減、就職したら? 別に出てけとは言わないけど」

「出来るならしたいけどね、バイト辞められないから」

「また引き止められてんの? アホだね」


靴下を丸める幸せそうな姿を見て、言い返すことができない。ああそうですとも、あたしはアホですよ。


「泣いて戻って来ても良いんだよ」

「何言ってんの、俺の家だっつーの」


あたしがこの家に転がり込めたのは、金森が男にしか興味がないというのも含まれている。戻ってこないことを祈ってる、と言うと、金森は穏やかに笑って「ありがと」と呟いた。




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