さん


あたしはその日も傘を持っていなかった。

同い年くらいの子たちが色とりどりの傘を持って塾から出てくる。

雨が降ると分かっていたら、学校からパクってきたのにな。

傘をさすほどじゃない、というあたしの程度はみんなとは少し違うらしくて、学校の友人にも「馬鹿じゃん」と言われながら傘に入れてもらう。少しくらい濡れたって死ぬわけではないんだし。


「傘、忘れた?」


ただ、このときのあたしは自分の仲間以外への気持ちがとても尖っていた。

例えば保護者、例えば先生。

傘をさしてあたしをいれてくれるあんたを見た。

そして、怒りが心臓の奥でぐつぐつと煮えたぎる音を聞いた。


「どこのクラス? 駅までなら入れてける」

「……君の、隣のクラス。傘、入れてって欲しいな」


あたしが塾に行っていると判断した材料はこの制服だろう。治安の良い中学に通っている友人に借りたもの。もしも自分の中学の制服を着ていたなら、話しかけもしなかっただろう。うちの中学はとても荒れていて、見たら逃げろと言われているらしい。実際、あたしも目が合っただけで逃げられたことがある。

そんな中、あんたは制服と雨に濡れているという理由だけで、あたしに近づいた。

あたしのカモであることを知らずに。


「君のこと、知ってるよ」


あたしの方に傘が傾いている。それを少し直して、静河の顔を覗き込む。


「ずっと格好良いなと思ってたから」


その顔を見たら、あんたがあたしを意識したのが分かった。そう、これは短い計画だった。

付き合って、ひどい振り方をしてやる。どうせなら金をふんだくっても良いなんて、犯罪紛いのことを、いや犯罪か。そんなことを思っていた。





「傘、傾いてる」


傘を持って隣を歩く静河の方が濡れている。持ち主が濡れていては意味がない。

それを直すと、静河が見下げてきた。

本当、背伸びたな。

あのときはあたしより少し高いくらいだったのに、今はもう頭ひとつ分以上違う。

これで顔も良いんだから、寄って来ない女は居ないだろう。


「葵、何学部? いつからあそこでバイトしてんの? 付き合ってる奴いんの?」


矢継ぎ早にくる質問。どうしたのか、と口が半開きになる。


「ストーカーにはなりたくないし」

「吾妻が言ったこと気にしてんの? 別にストーカーとは思ってないけど」

「それなら良かった……」


本当にほっとした顔をする。そんなに気にかけていたなら、ここに来るのにどれだけの勇気が要っただろうか。


「他の学部に出来るだけ聞いたんだけど、葵のこと知ってる人にも辿りつかないしさ。公務員試験なら教育学部かなとも思ったんだけど」

「あたし、学生じゃないから」

「そうなんだ。どこの大学?」


話が擦れ違った。これってあれだよね、環境の違いによるもの。

あたしはそれがすぐに分かった。静河はあたしの返事を待っている。

学生じゃない、という意味を、あの大学の学生じゃないと聞いたのだ。

大学に行っていることが前提の訊き方だ。


「ちがう」


笑った。嘲笑になってしまった。

あたしはあんたを傷つけるつもりでいて、本当は自分が傷つきたかったんじゃないか、と思う。だって、そうじゃなかったら、あたしがこんな風に惨めな思いをしてきたことに説明がつかない。


「あたし、フリーターだから。大学行ってない」


その言葉に、静河が閉口する。


「あのバイトは今年から始めた。今付き合ってるひと、いる」

「え」

「静河だってあの清楚系と付き合ってるんじゃないの?」

「清楚系?」

「今日隣に座ってた女。巨乳の」

「きょ……小西? 付き合ってない」

「どうだか。一回くらいヤッてんじゃないの?」


駅まですぐそこ。静河は黙ってしまって、怒ったかなと顔を見上げてみる。

何かを考えていた。

雰囲気、キャラが変わった。もしかして二重人格なんじゃないか。

なんてことを考えていたら、面白い。



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