ペンテシレイアとの出会い その6

毒蛙の沼で倒れていたオークの少女。

俺はこいつを薬師の小屋へ運んで……正確にいうと、引きずってだが……きた。

少女を床に寝そべらせ、俺も床に座り、壁にもたれかかった。

この小屋は今回の狂霊憑き討伐の依頼者が使っていた小屋だ。依頼者は薬師で、毒蛙の沼に生える植物を使って普段、ここで薬を作っていた。しかし、狂霊憑きが現れてからは薬など作っている場合ではなく、仕方なく討伐が終わるまで、ここの出入りを自由にしてくれているという。


いつ狂霊憑きに襲われてもおかしくない状況だが、この少女を引きずったまま行ける休めそうな場所など、こんな所しかなかった。


「……んん……」

「うん? 起きたか?」


この小屋に連れてきてそんなに時間は経っていないが、彼女意識を取り戻したようでゆっくりと目を開けた。硬い床で寝心地が悪かったのかもしれない。


「……お前は……確か街で……」

「アイアアヤトだ、覚えてるな?」

「……」


彼女は俺の顔を見ると、すぐに辺りをキョキョロしだした。


「ここは……」

「一から説明してやる、俺は……」

「……俺は死んだのか?」

「……何?」

「ここは死んだ奴が来る場所か?」


状況が把握できないようで混乱しているようだ。


「何言っているんだ、死んでない、お前は生きてるよ」

「……生きてる? そんなわけねえ、だって俺はあの沼で……」

「倒れてたな」

「そうだ、そのまま……」

「そのままだと死んじまうから、俺が助けてここまで運んできた」

「……助けるだと?」


少女は一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐに顔をしかめた。


「助けなんかいらねえんだよ! 俺は強いんだ!」

「いや、そんなこと……」

「弱い奴が助けられるんだ、俺は強いから助けなんか必要ねえんだ!」

「でも、実際助けられてるだろ、毒蛙の沼でお前動けなかったじゃないか」

「う……うぅ……」


少女はうめき声のような声をあげながら、俺を睨んだ。言い返せないのはおそらくだが、彼女自身がこの状況を認めてしまっているからだろう。


「お、俺は……俺は、弱くなんかない……!」

「もうこの話はいいだろう、それよりも休め、まだこの辺に狂霊憑きがいるだろうし、お前の武器もないしな」


この子の武器である大剣までは持ってくることができなかった。この子が重すぎて大剣まで持てなかったのだ。

少女は苛立たしげに舌打ちすると、小屋のドアに向かって歩いて行く。


「おい、どこに行くんだ?」

「うるせえ、狂霊憑きを殺しに行くに決まってるだろ」

「出来るわけないだろ、お前、武器がないんだぞ」

「そんなもんいらねえよ!」


少女は自棄になっているようだ。よほど自分の「強さ」に自信があったのだろう。


「落ち着け、まずは武器を拾いに行くぞ、あの沼に落ちてるから……」


俺がこの状況を立て直すための作戦を立てている間も、少女はこちらを無視して小屋から出ようとする。


「おい、待てって……おい! ……『ペンテシレイア』!」


少女の動きが止まった。

少女が……ペンテシレイアがこちらをチラリと振り向く。


「……ペンテシレイア? なんだそれ?」

「お前の名前だ、ペンテシレイア」

「俺の……名前?」


ペンテシレイアが首をかしげた。


「名前がないと不便だろ? だから俺がつけた、勝手に」


傭兵団の団員に組み込むためにも少女には名前が必要だった。仕方なく俺がつけるほかなかったのだ。

これが犬猫に名づけるのならまだしも、相手は子供とはいえ物心のついているオークだ。勝手に名前を付けるという行為に罪悪感のようなものがあったのは事実だが、名前がない事を気にもしなかったのだから勝手につけても問題ないだろ、と自分を強引に納得させて付けたのだ。


「……勝手につけた?」

「そうだ」

「……」


怒りだすかな、とも思ったが、ペンテシレイアは何やら飲み込めないものを飲み込もうとする顔をしている。怒っているわけではなさそうだ。


「……とりあえず、座れ、作戦を立てるから」

「……うるせえ」


止まっていたペンテシレイアがまたもドアの方を向いた。


「ペンテシレイア」

「……」


ペンテシレイアの動きがまた止まり、こっちを振り返った。


「座れよ」


俺の隣の床をポンポンと叩く。


「……」


しかし、ペンテシレイアは俺を睨むだけで動こうとしない。


「ペンテシレイア、座わってくれ」

「……」


ペンテシレイアは憮然とした顔をしながらも、俺の隣に座った。

気のせいかもしれないが、先ほどから彼女は「ペンテシレイア」という言葉に反応している気がする。


「これからについてだが、まず、毒蛙の沼に戻る」

「……」

「だが、毒の霧が危険だ、だからこのマスクを使う」

「……」

「……聞いてるか?」


ペンテシレイアから反応がないので隣を見た。

ペンテシレイアは、体育座りで何やらブツブツ言っている。

何を言っているのかと耳を澄ませてみると、


「……ペンテシレイア……ペンテシレイア? ペンテシレイア……俺の名前……ペンテシレイア……」


ブツブツと「ペンテシレイア」という名前を連呼していた。

これは気に入ってくれたと思っていいのだろうか。

それともどうにもしっくりこないと嘆いているのだろうか。

まあ、嫌なら本人がいうだろう。


「話を聞いてくれ……」

「……」

「……ペンテシレイア」


ペンテシレイアがこっちを向いた。やはり、「ペンテシレイア」という言葉に反応しているようだ。これは気に入ってもらったと考えていいのだろうか? まあなんにせよ、こちらの話を聞いてくれるようになってくれただけでも上出来だ。


「まず、作戦だがマスクをつけて毒蛙の沼に戻って大剣を回収する、これが第一目標だ

「……ああ」

「次に本来の依頼である狂霊憑きの討伐をするわけだが、ギルドの調べによると、今回の狂霊憑き普段は魔貌の森を徘徊しているが、毒蛙達が活発になる夕方ごろになるとほぼ確実に沼の近くに現れるんだそうで、ギルド曰く音の反応するタイプだ……そこで俺たちは沼で大剣を回収して罠に仕掛ける、そして夕方までこの小屋に隠れて、夕方になったら、こっそりと小屋を出て、沼にいるであろう狂霊憑きを奇襲する……こういう方針で行こうと思う、どうだ?」

「……」


俺が聞いてもペンテシレイアに反応がない。こちらを見ているから無視しているわけではなさそうだが……


「ペンテシレイア、わかったか?」

「……」


ペンテシレイアが無言で首を横に振った。


「わからなかったか、どのあたりがわからなかった?」

「……まず、剣を取りに行く」

「そうだ」

「そこから先がわからん」


ほとんどわかってなかったらしい。そういえばこいつは説明とかを聞けないタイプだった。


「……簡単に言うと、剣を取りに行って」

「剣を取りに行って」

「またこの小屋に戻ってきて」

「またこの小屋に持ってきて」

「夕方まで待つ」

「夕方まで待つ」

「そして沼にいる狂霊憑きを奇襲する」

「沼にいる狂霊憑きを奇襲する」

「作戦は以上だ、わかったか?」

「わかったけど、まどろっこしい」


俺の作戦は一言で切って捨てられた。


「いや、作戦なんて大抵まどろっこしいものだろう?」

「つうか、そもそも何で俺がお前の言うことに従わなきゃいけないんだよ」

「お前は俺の傭兵団の団員なんだから、俺の作戦には従ってもらわないと困る」

「あん? 俺の傭兵団の団員……だと?」

「あれ、言ってなかったか?」

「聞いてねえよ! 何の話だ!?」

「まあそれなら、今話したってことで……今日からお前の名前はペンテシレイアで、俺の傭兵団の団員だ、よろしく頼む」


我ながら強引だが、やってしまったものは仕方ない。

俺は握手のために手を差し出したが、リチャードのやっていた拳を突き出す動作を思い出し、パーの手をグーに変えた。傭兵の握手はこれだったはずだ。

しかし、ペンテシレイアは拳をあわせずにこちらを睨む。


「言っとくがな、ペンテシレイア、いくら睨んだって退団なんか認めないから、俺達はもう一蓮托生だ」

「……なんだ、一蓮托生って」

「運命を共にする存在ってことだ、お前が嫌だって言っても、俺はそばに居続けてやる」


俺の言葉にペンテシレイアは顔を伏せた。

俺の言いたいことは全て言った。一度手を掴んだ以上、その手を離すことは見捨てる事と同じだ。そんなことするつもりはない。


「……傭兵団なんて弱い奴らが集まってる集団だ」

「……」


顔を伏せながら、ペンテシレイアが吐き捨てるように言う。


「……俺は強いんだ」

「……そうだな」


ペンテシレイアが顔をあげた。


「……だから、俺がいる傭兵団だけは特別に強くなる」

「……ペンテシレイア!」


ペンテシレイアが俺の拳めがけて、すさまじい拳打を放った。


「痛って!!」

「覚えとけよ、人間種、俺が一番強いんだからな!」

「いやお前、思いっきり殴るんじゃねえよ、骨折れるかと思ったぞ!」

「はんっ、ひ弱なお前が悪いんだよ! アイ……アイーア……」

「アイアアヤト」

「……言いにくいんだよ、お前の名前!」

「じゃあアヤトでいい」

「ひ弱なお前が悪いんだよ! アヤト!」


ペンテシレイアは勢いそのままに立ち上がる。


「どうしたんだ?」

「狂霊憑きを殺してくる」

「いや、作戦に従えって……」

「そんな面倒くせえことしてられるか! 俺は強いから武器なんかなくたって狂霊憑きなんざぶっ殺せる! 俺の強さをよく見てろ!」


しまった、これは逆にスイッチを入れてしまったパターンっぽいぞ。

つまり、俺を仲間だと認めたうえで、仲間に自分の強さを誇示する目的で暴走をしている。無茶をやらかすというより、わざと無茶をしようとしているのだ。


ペンテシレイアは小屋のドアを蹴破った。どうやら相当興奮しているらしい。


「待てってば……」


ペンテシレイアの腰に抱きつき、踏ん張る。

しかし、その体勢のまま、俺は引きずられて外に出た。


「おい!狂霊憑き! どこだ! 出てきやがれ!!」


ペンテシレイアの大声が森の木々を震わせる。

間近で聞いている俺の耳がイカレそうだ。


「おい、ペンテシレイア、お前、狂霊憑きの正体を知ってるんだよな?」

「知らねえよ」

「……やっぱりか……」

「どんなやつだろうか関係ねえ、ぶっ殺すだけだ……おい! 狂霊憑き! 出てきやがれ!」

「……一応、言っておくが、今回の狂霊が憑りついてるのは知性のある生物じゃないから、言葉がそもそも理解できないぞ」

「そうなのか」

「……ただ、音には敏感だから大声を出せば寄ってくるかもしれんが……」

「それを先に言えよ、こうすりゃいいんだな? あーーー!!! あーーー!!!」


なぜ余計な事を言ってしまったんだ俺は。

力の限り叫ぶペンテシレイアの口をふさごうと奮闘するが、文字通りの意味での力関係において、俺はペンテシレイアの足元にも及ばない。ペンテシレイアに突き飛ばされ、俺は尻もちをついた。


「あーーー!!! あーーー!!! あーー……お? 来たか?」


ペンテシレイアが叫ぶのを止め、風もないのにも関わらず、木々が揺れている。

俺は緊張を隠せず、ペンテシレイアは興奮を隠さず、その木々の影から出てくるものを注目した。


まず最初に出てきたのは黒い鼻先だった。そこから徐々に相貌があらわになる。

長い鼻先、鋭い牙、ぎらつく瞳、黒い体毛に覆われ、四足歩行でノッソノッソと歩くその巨体。

それは熊だった。

あまりの巨体から『モリユラシ』というあだ名がついており、このように歩くだけで森の木々が揺れる。一応、狂霊に憑りつかれる前からその存在は認められており、その頃は出会っても「気が立っていない時なら助かる」程度には大人しい存在だったらしい。

しかし、狂霊に憑りつかれた結果、生きるものを手あたり次第に襲う凶悪なモンスターとなってしまった。


体長4mを超える大熊。こんなのに何の準備をせずに勝てるわけもなく、ギルドから有効と思われる罠を借り受け、それを仕掛けて討伐しようと考えていたのだ。


まあ、もう何の意味もなくなってしまったけど……


モリユラシの眼はこちらを向けて逸らそうとしない。完全に捕食対象と認識しているのだろう。


とにかく、なんとかこの状況を切り抜けないといけない。必死に考えを巡らせようとするが、目の前にいる脅威のプレッシャーが半端ないせいで上手くまとまらない。


「よう、毛むくじゃら、てめえが狂霊憑きだな?」


俺の焦りなど万分の一も感じ取っていないペンテシレイアは、余裕綽々の半笑いを浮かべながらモリユラシに近づいて行く。


「……おいペンテ、一旦小屋に戻るぞ……あの巨体なら、入り口からは入れないし、少しは時間が……」


俺が撤退の指示を出しかけたその時、モリユラシが動いた。

その巨体を誇示するかのように立ち上がったのだ。まるで壁のようなその肉体の前に、俺は言葉を失った。こんなのに襲われればひとたまりもあるまい。


これで俺の人生終わったか。

素直にそう思った。訳の分からない世界に来て、同情といくばくかの共感で少女を助け、その結果、熊に食い殺される……なんともしょうもない終わり方だ。こんなことで死ぬのならせめてもうちょっと人生を満喫しておくべきだった。


俺が自分の人生を悔いている間も、少女は歩み止めず、とうとうモリユラシの目の前まできていた。


「いつまで立ってんだ、毛むくじゃら」


ペンテシレイアの挑発に応えるようにモリユラシが吼える。

そして、そのままペンテシレイアに倒れ込んだ。

大熊の巨躯に下敷きにされた少女。いくら人間ではないといえど、あの巨体に押しつぶされればただでは済まないだろう……


……この時、俺はみくびっていた。


そうこの時、俺はあまりにもオーク種の事をみくびっていたのだ。


「……重いんだよ! この毛むくじゃらが!」


地面倒れ込んでいたモリユラシが浮き上がり、そのまま木に向かっての巨体が吹きこんだ。

何事かと思ったが、


「ぶっ殺しやる!」


潰されたはずのペンテシレイアが立ち上がって吼えたのを見て、おおよそ理解した。


この少女が大熊に押しつぶされてもピンピンしているほど頑丈な身体を持っていること。

この少女が大熊を持ち上げてブン投げることができるほど強靭な筋力を持っていること。


そして、この少女が大熊よりも強いこと。


「オラァ!」


ペンテシレイアが木に打ちつけられ、倒れ込んだモリユラシに襲い掛かる。

モリユラシは体勢を立て直す暇もなく、彼女の拳打をその身に食らった。

ペンテシレイアの拳はモリユラシの頭部を何度も殴りつける。モリユラシも牙をむき、吼え、ペンテシレイアの身体に傷を刻もうとするが、その熊爪が少女に届くよりも早く、ペンテシレイアの拳がモリユラシの頭を大きく揺らすのだ。


戦いというにはあまりに一方的な展開。モリユラシも自身の形勢不利を悟ったのか、少女の拳から逃げようと地面につくくらい姿勢を低くするが、そうすると今度はスタンプが熊の脳天を襲う。


殴られる事数十回、踏みつけられる事数回、もはやフラフラになったモリユラシは絞り出すように吼えると、ペンテシレイアに体当たりをした。おそらくは最後の抵抗だろう。俺から見てもそれはよくわかった。

しかし、そんな最後の抵抗も、ペンテシレイアは真正面から受け止めた。そして腕をモリユラシの首に回し、思いきり締め上げた。


熊にスリーパーホールドをかける少女、なんて初めて見た。


モリユラシは暴れるが、ペンテシレイアはそんな抵抗意に介さず絞め続ける。

そして数分の後、モリユラシの抵抗がほぼなくなった時、少女が身体を回すように傾けた、


ボギリ


と鈍い音がモリユラシから鳴った。

大熊の身体から力抜ける。


ペンテシレイアは首にまわしていた腕を放した。

ドサリ、とその巨体が地面に倒れ込む。


「どうだ! 俺は強いだろう!」


眼を血走らせながら怒鳴り声をあげるペンテシレイアに、俺はただ頷くしかなかった。

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