名もなき少女の回想
強い奴は弱い奴から何を奪ってもいい。
強い奴は殺していいし、弱い奴は殺されても仕方ない。
俺が物心ついた時からそばにいた『女』は言葉以外にそのことを俺に教えてくれた。
それ以外の事は特に教わらなかった。
朝起きて、狩りをして、獲物を『男』に渡す。
この『男』は獲物に満足しなければ俺を殴った。反撃することはできなかった。こいつのパンチは強力で、食らったまず立てなくなる。
俺と同じくらいの背格好をしたオークは俺の他にも何人かいたし、何だったら他の種族のガキもいた。みんな『男』に殴られていたし、それで死んだ奴もいた。死んだ奴は見捨てられたし、それは当たり前だった。
今にして思えば、俺が『男』に殴られて死ななかったのは、『女』が俺を看病してくれていたからかもしれない。殴られ気絶し、目を覚ました時、いつも『女』がそばにいたからだ。
たぶん俺がいたあそこは『男』を中心にした群れだったんだろう。みんな俺とおんなじくらいの年のやつも、『女』と同じくらいの年のやつも、群れに所属している全ての種族は、みんなあの『男』の機嫌を伺っていた。
俺があの群れを出たのは、大猪を狩って意気揚々と戻ろうとした日の事だった。
群れを戻る道中、群れの方向から濃い血の匂いと煙が上がっているのがわかった。
瞬間、全身の血が湧きだすような感覚に襲われ、猪をその場に捨てると、群れまで全速力で走った。
群れは血と炎にまみれていた。群れのいたるところで殺し合いが行われている。
地面を見れば見知った顔のやつと見知らぬ顔のやつが何人も倒れていた。
事情などはよくわからない。だけど、やるべきことはわかる。俺は近くの死体が持っていた大剣を拾うと、つばぜり合いをしている見知らぬ顔のやつを後ろから斬った。
知っている顔のやつは斬らない。知らない顔のやつだけを斬る。簡単なことだ。
俺がさらに獲物を探そうとした時、後ろから抱きつかれた。敵かと思って振り向いたが違った。あの『女』が俺の腰に抱きついていたのだ。
振りほどこうとしたが放れない。どころかその『女』は俺を肩に担ぎあげ、群れから……戦いの渦中から離れていくのだ。どんなに暴れても、『女』の拘束からは逃れられなかった。
『女』は俺を川辺まで運ぶと、小舟の中に押し込んだ。
俺はもう一度あの戦いの場に向かおうとしたが、それは叶わなかった。『女』が俺の顔面に拳を叩きこんだからだ。
俺は薄れゆく意識の中で、『女』に文句を言おうとした。しかし、言えなかった。
俺は『女』の名前を知らなかったのだ。
俺が意識を取り戻した時、小舟は下流まで流され、浅瀬にあった岩に引っ掛かっていた。どこまで流れたかはわからない。おそらくはもう、あの群れに戻ることはできないだろう。
持ち物はあの戦いの中で拾った大剣のみ。
俺は小舟から降り、あてもなく歩き始めた。
どんな道を辿ったかは覚えていない。獣を狩りながらさまようように歩き、あの城壁の街にたどり着いた。
城壁の街の連中は俺を歓迎しなかったが、追い出そうともしなかった。
俺が歩くとみんな逃げる。
きっと俺が恐いからだろう。
弱い奴は強い奴に殺されるのだ。城壁の街の連中はみんな弱い奴に違いない。
強い奴は弱い奴の持っているモノを奪うことができる。
俺は良い匂いのする建物に入り、そこで上手い飯が出ていたので、それを食った。何やら文句を言ってくる奴がいたが、俺はそいつを殴って黙らせた。
うるさい奴は殴れば黙る、これはあの『男』が俺に教えてくれた唯一の事だ。
俺が奪った飯を食っていると、今度は鎧を着た連中が現れた。そいつらも殴ってやろうとしたが……あいつらは俺もちょっと強かった。俺の方が強いんだけど、その時は飯を食っていたところで、本気が出せなくて……それで俺は建物の外に投げ捨てられた。
あの建物は食堂という場所で、そこで飯を食うには金という名の紙切れが必要らしい、というのは後で知った事だ。俺は金なんて持ってない。金を手に入れるにはギルドとかいうわけのわからんところで傭兵とかいうのにならないといけない。クソみたいに面倒なことを何で俺がしなくちゃいけないんだ。
……しかし、あの飯は美味かった。だからもう一度食いたい。
俺が食堂を3回目に追い出され時、俺に話しかけてくる奴らがいた。
自分よりも強い奴に向かってする媚びた顔……あの群れではみんなが『男』に対してそういう顔をしていた……をしながら、そいつらは俺に金が手に入る話を持ちかけてきた。
その男どもは時々俺に話を持ちかけてくる。
金が手に入るからやってるが、いつの日かぶっ殺してやろうと思っている。あのニタニタ媚びる顔はいつも見てもイライラするんだ。
アイツらだけじゃない。傭兵団とかいう奴らもだ。弱いくせに群れて、騒いで、俺をイラつかせる。俺が気に食わないやつらは全員ぶっ殺す。今までそうしてきたんだ。これからもそうしてやる。俺は強い。あんな奴らなんかよりも絶対に、だから……
毒蛙の沼で動けなくなった時、俺は自分の死を自覚した。
強い奴は奪う。弱い奴は奪われる。
あの群れで、教えてもらった掟。俺はそれに従って生きてきた。
あの群れで、俺は奪われる側だった。
街に来ても俺は奪う側にまわれなかった。
俺は……本当は……
薄い光、それが段々と強くなる。そして……
「うん? 起きたか?」
「……」
見たことある顔が、俺の目の前にいた。
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